夜空の下で
――仮想世界、アルカディアには『星座』が存在しない。
それは単に形や名前を定める者がいないから……というわけではなく。空に浮かぶ星々が一つ残らず、自由気ままに動き回っているから。
規則正しい周回軌道をするでもなく、近付いたり離れたり、ときには姿を消したりもする彼らを正確に観測することは事実として不可能。
ゆえに、この世界には星座という概念がないのだ。
「――――――…………」
ただ一つ、変わらない姿で夜空を彩るのは、大きな大きな銀の月。
昼夜を問わず、満ち欠けもなく、いつまでも数多のプレイヤーたちを天から見守り続ける、巨大な真円。
思えば夜空に浮かぶその姿を、ゆっくりと眺めたことはなかったかもしれない。
【隔世の神創庭園】の街を出て、ふらりと足を伸ばした見知らぬ場所。小さな泉の中心へポツンと置かれた丸岩に座る少女は、夜闇の中で静かに空を眺めていた。
師の元へ向かったパートナーと別れてから、一時間余り。理由はなく、なにを考えるでもなく……ただただ、なんとなく。
思いがけず人に懐かれ、歓迎されて――予想よりもずっと楽しむことができた宴の席から、熱を引き摺ってしまったのかもしれない。
すぐに現実世界へ戻る気になれず……さりとて、相棒不在で二次会のお誘いを受けるなんて選択肢も、ありはせず。
そのため『すぐにログアウトしますよ』なんて顔で彼を見送っておいて、ふらふらと一人でこんな場所まで来てしまった。
「………………ついていけば、よかったかな」
表情を変えるでもなく呟きながら、膝を抱えた両腕に頭を載せて目を閉じる。
――静かな泉のせせらぎが、耳に心地よかった。
「…………――」
瞳が夜空を映すのをやめれば、瞼に浮かんでくるものは一つしかない。気付けば声に出さず名前を呼んでしまうことも、もう諦めた。
当たり前になってしまったんだな――と、そう認める他にない。
真直ぐに、自分だけを見てくれるあの瞳が。
時に無邪気に、時に優しく、名前を呼んでくれるあの声が。
なんてことないようなフリをして、縋る指先をつかまえてくれる、あの手が。
隣にあることが、もう、当たり前に。
異性としての意識――……正直なところ、それも無視はできないけれど。
それよりも、なによりも……ただ、隣に。
それ以外を求めたりはしないから、隣にいたい、いてほしい――男性相手にそんなことを思うようになろうとは、二ヶ月前には考える由もなかった。
好きとか恋とか、面倒な感情を差し置いて。
とにかく、ずっと、一緒にいたい相手。
ゲームの中で、たった二ヶ月。そんな些細な時間でこれほどまでに依存してしまうなど、人によっては笑われてしまうかもしれないが――
誇ればいいのか、呆れたらいいのか……もうなんと言われようが、自分は胸を張って笑い返せてしまうのだろう。
私の相棒は――たった二ヶ月で、世界を動かしてしまうような人ですから、と。
せせらぎの水音に混じって、音高く鈴の音が響き渡る。
それは泉にも、夜空にも、星にも、そして月にも聴くことはできない、自分だけへ向けられた『誰か』の呼びかけ。
目を閉じたまま、少女は微かに頬を緩め――〝許可〟は下り、〝道〟は繋がる。
そうすれば――
「――――こんな夜遅くに一人かい、お嬢さん?」
転移の音と光。
傍らに現れたのは、覚えのある気配――耳に届くのは、他ならぬ〝あの声〟。
緩んでしまう口元を見られるのが恥ずかしく思えて、拗ねたフリをするように腕の中に顔を埋めた。
「誰かさんに、置いて行かれてしまったので」
「お誘いはしたんだけどなぁ」
「行ーきーまーせん。お邪魔かそうでないかくらい、私だって察せます」
「んー……言うて、一緒に来たらういさんも喜んだと思うよ」
「本当に、ハルはハルですね」
「ちょっと待って? 今回は流石に俺、悪いことはしてないと思うんだけど」
「もうっ……いいんです。私だって、ファンとして気を遣っただけですから」
「はぁ、なるほど……? ところでここ結構涼しいけど、寒くない?」
「平気です。ニアさんに頂いた衣装、温度調節の補助効果があるみたいなので」
「流石のニアちゃんクオリティ……」
会話が途切れ、すぐ隣に座り込む気配。
その〝距離〟は彼自身ではなく、こちらの望みを汲み取ってのこと――それは即ち、手を伸ばせばすぐに指先が届く距離。
いつも――
いつも、いつも、いつも、いつも――いつだって、このひとは、
「さて……――こんばんは、ソラ。さっきぶり」
求めるときに、求める笑顔で――
「……こんばんは、ハル。さっきぶり、です」
当たり前のように、隣にいてくれる。
ズルい人だと、勝手な文句代わりに肩をぶつけてみれば……彼は物言わず受け止めて、自然体で傍に寄り添うだけ。
……無視できない感情が、また一つ積まれていくのを自覚しながら。
溜息を漏らす少女は、火照る頬を隠すように――深く深く、顔を埋め直した。
年が明けてすぐ大変な状況ですが、読者の皆様はご無事でしょうか。
私のお話がどこかで誰かの気持ちを、ほんの少し紛らわせられたらと思います。