賑わいの外で
◇【H&N】トークルーム◇
【Haru】:ニアちゃんや
【Haru】:ちょっと時間もらいたいんだが、忙しいか?
【Haru】:暇ができたら声掛けてくれなー
――――――――……
――――――……
――――……
初めに連絡が来てから、もうどれほど時間が経ってしまっただろうか。
言葉を返せないことなど分かっていたのに、トークを開くことを我慢できず。既読を付けた上で事実上無視を決め込んでいる自分に、彼は怒っているだろうか。
そうしてグルグルと考え続けたところで、状況は何一つ変わることなく――
「…………もう、やだぁ」
口から零れ落ちる内心は、もう何度目とも知れない無意味な弱音。
開いて、消して、開いて、消して……無限に繰り返す動作をまたも辿る彼女は、ジッと睨んでいたトークウィンドウを消し去ると力なく机に突っ伏した。
「――もうやだって、私の台詞なんですけど」
と、机と同化した藍色を小突くのは、横合いから飛んできた柔らかな声音――ただし柔らかなのはあくまでその声質に限り、言葉自体にはこれでもかと言わんばかりの刺々しさが込められていた。
「わ・た・し・は……いつまでウダウダウダウダ引き籠ってる恋する乙女(笑)のお守り役をやってればいいのかなぁ? ご存知の通り、私って結構忙しいんだよ?」
「だってさぁ……‼」
天使のようなニコニコ笑顔で、泣く子も黙るような圧を背後に従えるは――Archiver三枝ひよりこと、西陣営所属の一般プレイヤーひよどり。
それに対してお手本のような泣き言を返すのは、現在あれよあれよと巻き添えを喰らう形で世間の注目を浴びてしまっている一人の職人プレイヤー。
「もうなんでもいいから、とにかく一言くらい返事しちゃいなよ。別に『今は無理ー』とか『また今度ー』とか引き延ばすだけでもいいでしょ?」
「無理でしょ!? 無理だよ!? もう本当にあっちも意味わかんないメッチャ普通にメッセ送ってくるし自分の立場自覚しなよ意味分かんないぃ……‼」
「いやチャットの返信くらいなにが無理なのか意味わかんないし、ニアちゃもいい勝負だよ。泣くのか怒るのかニヤけるのかハッキリしなよ」
「ニヤけてないしぃ‼」
「鏡を見なさい?」
飽きもせず終わりの見えない狂騒に囚われている彼女の心中も理解はできるが、グダグダといつまでも付き合わされるほうは堪ったものではない。
いくらこの親友の存在がひよどりの〝最優先事項枠〟を占有していようとも、鬱陶しいものは鬱陶しいし、じれったいものはじれったいのだ。
「仕方ないじゃん! 気になる男子が一夜で世界的な有名人になっちゃいましたってどんな状況なの!? 初恋に持ってきていいスケールじゃないでしょうがぁ!」
「それも何十回も聞いたし……初恋って、もう完全に認めちゃっていいの?」
差し込まれたツッコミに、ニアは一瞬だけ「むぐっ」と声を詰まらせ――しかし、その躊躇はやはり一瞬だけのこと。
「 も う 知 ら な い よ ! 好 き で す け ど な に か ! ! ? 」
「わぁ……」
言葉通り、もはや照れなど知ったことかと言わんばかり。
机をバンバン叩きながら己が感情を叫び放った彼女は、肩で息をしながらこれ以上なく顔を真っ赤に染めていた。
「好きだよ! ええ好きですぅ! だって無理じゃん仕方ないじゃん顔も性格も好みだし遠慮なく付き合えて気遣いもできるし優しいし顔は好みだし!? その上メッチャ強いし序列持ちだし昨日は超格好良かったし格好良かったでしょ!!?」
「そ、そうだね、凄かったね」
爆発するような剣幕に圧されて椅子を引きつつ、『顔が好みって二回も言ったなこの子』と苦笑い。
確かにまあ現実基準で見れば整った顔立ちの青年だったが……流石は一目惚れといったところか。本当に好みだったんだなと思い納得してしまう。
「でも、それなら余計にでしょ。ちゃんと自覚もできたなら、嫌われないようにしっかり立ち回らないと」
「たっ――……………………立ち回るも、なにも……」
一気に膨れ上がったとかと思えば、萎むのもまた一瞬。ストンと椅子に落ち込んだニアは、いじけるように膝を抱えて――
「もう完全に、釣り合わなくなっちゃったし……」
そんなことを宣ったかと思えば、膝を抱える腕の中に顔を埋めてしまった。
「…………………………それ、久しぶりに見た」
「……うるさぃ」
幼い頃はお決まりだった、誰しもありがちな落ち込んでいるポーズ。
今度は苦笑いではなく『仕方ないな』といった具合の笑みを浮かべて、席を立ったひよどりは丸まってしまった親友に遠慮なく歩み寄っていく。
もう十年来の付き合いだ。彼女のそれが『拒絶』ではなく『甘え』のポーズであることくらい、お見通しなのである。
現実の彼女のものとは異なる、ハネの強い藍色の髪を優しく撫でてやれば――ニアもまた遠慮などなしに、傍らに立つ親友に身を預けた。
「ニアちゃも元序列持ちなんだから、釣り合わないなんてことないでしょ?」
「西とそれ以外じゃ全然意味合い違うじゃん……」
「私みたいな〝一般人〟からしたら、あんまり変わらないんだけどなぁ」
そうは言いつつ……ひよどりも実力はともかく古参プレイヤーの一人として、彼女の言葉が的外れではないことくらいは理解している。
西陣営ヴェストールの序列は絶対的な個人の実力を表す他陣営のそれとは異なり、一定周期でほぼ一新される『シーズンランキング』のようなものだ。
現トップスリーのように、幾度も続けて順位を維持するような者たちはともかく。単に名前を連ねただけでは、他陣営の序列持ちと同格扱いはされない。
加えて昨晩のアレである。『釣り合わない』という言葉が出てくるのも、大袈裟とは言えないかもしれない……が、それにしてもだ。
互いの立場なんてものを考えて、想いにブレーキをかけてしまうというのは――
「――本気になっちゃった?」
「っ――……」
「いいじゃん。応援するよ私は」
自分だけではなく、相手のことを想えばこそ。
そして、そのために身を退こうと考えるなど――それこそ、自分より相手のことを想わなければできないはずだから。
「ねえニア。諦めるなら、それでもいいと思う。でも……」
――でも、きっと、簡単に諦められないくらいには〝夢中〟なんでしょう?
それはもう、子供みたいに膝を抱えてしまうほどには。
「諦めないぞーって本気で頑張るなら、私はいっぱい応援するよ」
「…………………………」
されるがまま、黙って寄り掛かること数十秒。
「…………本気に、なったらさぁ」
未だ顔を埋めたまま、ニアが零したのは予想よりもずっと心細そうな声。
「……あたしは、アレじゃないですか」
「……うん、そうだね」
「立場がどうこう、とかじゃなくて……やっぱり、その」
「うん」
「いろいろと、厳しいだろうし……」
「それを決めるのは、ニアじゃなくて相手のほうでしょ?」
果たしてそれは、ひとつの〝事情〟を共有している者同士の会話。
理解し合い、分かり合っている上で――ひよどりが初めての恋を患った親友へ向ける言葉は、やはり変わらず。
「わかってるけどさ――その辺の引け目とか不安とかを踏まえても、簡単に諦められないっていうなら……それだけの相手ってことじゃない?」
「………………」
「それならやっぱり……頑張らないと勿体無いって、思うけどなぁ」
ほんの少し頭が持ち上がり、藍色の瞳がわずかに顔を出す。ジッと見つめれば、恥ずかしがってすぐに視線を逸らしてしまうのはいつものこと。
けれど――
「……………………引かれないかなぁ」
「どうだろうね。というか、いきなりそこから攻めるつもりなの?」
「や、だって……それ後出しはダメじゃん」
「んー……もう先に、そんなの関係ないってくらい惚れさせちゃえば?」
「ダメだってば……! というか、ほ、惚れ……そもそも、あたし多分意識すらされてないと思うし……」
「いやそれはないでしょ。ニアちゃもニアちゃで自分の魅力を自覚しなさい?」
「そんなこと言ったってぇ……!」
けれど、もしなにか譲れないことができたとき。そんなときにはいつだって、あれこれ泣き言を漏らしながらも諦めたりしない。
彼女のそんな性質を、深く理解しているからこそ――
「あぁもうハイハイわかったから。いい加減そろそろ、お返事はしなさい?」
「うぅ……な、なんて返せばいいと思う……?」
「………………」
「ねぇ面倒臭そうな顔しないで! 応援するって言ったじゃんかぁ‼」
――前途多難が過ぎる〝初恋〟であれど。
その背中を押さないなんて選択肢は、初めから在りはしないのである。
え、ニアちゃんもなんか訳アリなのかって?
伏線はしっかり設置済みなんだよなぁッ‼