空模様
「――…………………………よし」
現在時刻は三十一時過ぎ――別に延々と続くリスポーン地獄のせいで、頭がおかしくなったわけではない。
現実比1.5倍の仮想時刻として至極正常な、現実換算の午後九時前だ。
もう何度ルビバレ連中に爆散させられたかも知れない調整作業に見切りをつけて……というより、諦めをつけた悟りの境地で俺は無心の呟きを零す。
「無理」
人間やればできることと、何をどう足掻いてもできないことがある。
つまり無理なもんは無理。スキルビルドが半崩壊を起こした現状は、どう足掻いても俺個人のプレイヤースキルどうこうで片が付く問題ではない。
幸い、四柱戦争に関わる流れで俺のフレンドリストは大きくその登録件数を伸ばしている。しかもその大半が最上位のプレイヤー勢ともなれば、アドバイスの一つや二つは期待できるだろう。
なのでまあ、事実上の封殺を喰らってしまった空中機動に関しては一旦保留。最悪地面に留まれば《兎乱闊躯》の暴発は起こりえないし……無茶ぶりへの対応は、いざ本当にされた場合また考えるとしよう。
――で、
◇【H&N】トークルーム◇
【Haru】:ニアちゃんや
【Haru】:ちょっと時間もらいたいんだが、忙しいか?
【Haru】:暇ができたら声掛けてくれなー
――――――――……
――――――……
――――……
この子は本当にどうしたんだか……トークルームの仕様で未読既読の判別は付くのだが、送った呼び掛け全てに既読が付いたものの一向に返事がない。
フレンドリストはログイン表示になっているし、いくら忙しくても思考操作でパパっと一言二言の返信くらいは送れそうなものだが――
「っと?」
不思議に思うだけでいいのか、はたまた心配した方がいいのか。首を傾げているところに、ようやくメッセージ着信のシステムサウンドが届けられた。
【Sora】――『いつものところで、待っています』
果たして、それは予想した人物からの〝返信〟ではなかったが――その送り主もまた、大切な待ち人には違いなく。
はて、いつものところというのは、俺が思う場所で合っているのだろうか。
昨夜の無茶苦茶を見守ってくれていたであろう彼女は、顔を合わせたときにどんな表情を見せるのだろうか、と。
あれこれ考えつつも自然と緩む頬を自覚しながら……パートナーを待ちぼうけさせないように急行するべく、俺はダンジョンの転移門へと飛び込んだ。
◇◆◇◆◇
――――仮病を使ってでも、逃げ出した方がいいんじゃないだろうか。
前日の約束を果たすために仮想世界へとログインしたソラは、そんな益体もないことを考えながら挙動不審を体現していた。
示し合わせたりはせずとも、自然と待ち合わせ場所として足を運んだのはイスティア街区のいつもの酒場。
幸い……などと言って良いものか他に客の姿はなく、席にも座らず一人でソワソワと立ち尽くしている自分に奇異の目を向ける者はいない。
初老のNPC店主は有難いことに見て見ぬフリをしてくれているが、普通なら一発で『大丈夫?』と怪訝な声を掛けられるであろう有様なのは自覚していた。
一体、どんな顔をして会えばいいのかわからない。
たったの一日を境に、下手をすれば『世界でいま最も有名な人物』になってしまった相手に。駆けて駆けて、とうとう手の届かないところまで行ってしまった、そう思えてしまうパートナーに。
彼のことだ。きっと自分の想像を当たり前のように跳び越えて、驚くような大活躍をしてしまうのだろうと――
現実は、そんな予想をも裏切り天高くへ飛んで行ってしまった。
今日一日、どこへ行ってもその名前を聞いたように思う。登下校の最中でも、学校の中でも、皆が交わす話題は人を問わず『昨夜』について。
そしてその話題の『核』となっているのは、言わずもがな。
「…………――」
零した言葉は、声にはならず。
感情の手綱が掴み取れず、自分の内心すらも読み取れない。今、自分の中で一番大きい感情が何なのか、わからない。
戸惑い? 高揚? 不安? 全て正しいようにも思えるし、どれでもないようにも思える。一つ言えるのは、結局のところ――
「「――――――――」」
こうして顔を合わせる以外に、答えを知る方法はなかったということ。
酒場の扉を押し開いて現れた青年と目が合い、息が止まる。自分が今どんな顔をしているのかも判然とせず、顔を背けそうになるのを堪えるソラを他所に、
「こんばんは、ソラ」
いつもどおり、笑いかけてくれたハルへ――――
「っ……こんばん――」
強く引き寄せられるかのように、口より先に足が動いていた。
◇◆◇◆◇
「――わぷっ……」
「おうっ?」
挨拶を交わすと同時に、勢いよく突っ込んできたソラの身体を受け止める。剣聖様との修行を経た今の俺に〝入り〟を悟らせないとは、中々の踏み込みだ。
両手で肩を捉えて勢いを減じつつも、胸元にぶつかってきた頭に押されて身体が揺らぐ。ぶっ倒れなかったVIT:0の我が身を褒めてやらねばならないだろう。
「へ……? ぁ、ぅ、え……っ?」
一体全体どうしたことだ――と目をやれば、ご本人の顔にも浮かんでいるのはハテナのみ……ソラさんいま服下の【赤より紅き灼熱の輝琰】にゴツって思いっきりおでこぶつけなかった? 大丈夫?
「え、と……どうした?」
なにやら混乱しているソラに声を掛けつつ、優しく肩を押して距離を離す――――はな、離す、はな……距離を、
「ソラさん???」
「ち、ちがっ……! 違うんです、変なんですっ……!」
一向に離れない――どころか、グイグイ身体を押し付けてくるパートナー殿に困惑、もとい『勘弁してくれません?』といった視線を向けるも、返ってくるのはこちらも混乱に満ちた声音のみ。
加えて『逃がさない』とばかり服を掴まれてしまっては、無理に引き剥がすこともできない。あと五センチ上にずれてたら襟首を鷲掴みにされていたところだ。
そっちのほうがまだ気恥ずかしさを誤魔化せて助かったな――などと自分でもわけの分からない思考逃避を交えつつ、謎パニックを起こしているソラを宥めるように眼下の頭をぽすぽす叩く。
至極光栄なことに、このくらいのスキンシップが許されているという自負はあるので……一度ピクリと反応を見せつつも、されるがまま自分自身に対して首を傾げている少女の様子を眺めながら――
「…………あ、二人です」
俺はグラスを拭きながらジッと横目でこちらを見ていた店主に、二本指を立てて愛想笑いを向ける。
いつも表情らしい表情を見せない初老のNPCは、フンと鼻を鳴らしながら『ご自由に』とでも言うように店の席を示した。
思考で身体を動かせるような世界なんだから、
感情でアバターが勝手に動くことくらいあるでしょ。