言伝は四から四へ
「――はい、もう、次に同じこと言ったら本当に怒る」
「えぇー……?」
昨日までは想像もしていないかった、冗談のような非日常。『一夜にして世界的な有名人となってしまった友達を匿う』なんて、物語の一幕のような突然の急展開。
あれやこれやと『彼』の今後について議論する輪から一人抜け出した楓は、これからの長丁場を見越してお菓子や追加の飲み物を用意しつつ――まとわりついてくる姉に対して、彼女らしからぬ冷たい視線を向けていた。
「恋人でもないし、片思いでもありません。そんなの畏れ多い……じゃなくて、ハルっ――の、希君は、ただの大事なお友達です」
あんな風に自分が異性と触れあっている場面なんて初めて見ただろうから、なにかしら誤解を生んでしまったのは仕方ない。
けれど、一度『違う』と言ったら素直に信じてほしいところ。
恋人でもなければ、異性として好意を向ける相手でもない――昨夜を経て、いま心の中にある〝真実〟はそれだけだ。
素敵な人だとは思っていた。
魅力的な男の子だとも思っていた。
けれど特別な感情を抱くまでには至っていなかった、それだけが事実。その上あろうことか、友人以上に〝推し〟になってしまったのならば――
「断言するけど、希君とそういう関係には、絶対にならないから」
見守りたい人。応援したい人。頑張ってほしい人――それに対して楓が望む自分の立ち位置は、他ならぬ〝外側〟であるからして。
望めば叶う身であるというのに、プレイヤーとしてではなく観客として仮想世界を眺めているのがその証明。
楓は夢のようなあの世界を……そこで冒険を繰り広げる者たちを、ただ外から見ていたいのだ。見て、応援して、ほんの少し〝熱〟を分けてもらう。
それが【Arcadia】との、自分なりのふれあい方。
しかして、希が【Haru】としてその枠組みに入ってしまった以上、楓が自ら引いた線を踏み越えることはない。
そういうのを夢見る人を否定するわけではないが……少なくとも楓は、物語の主人公とヒロインの間に割り込みたいとは思わないから――
つまり、
「外野はどうでもいいの……! うい様か、アイリス様か……‼」
他になにを思うでもなく、今の彼女にとって最も重要なのは推し主人公のヒロインが誰かということで――
「……ちょっとよくわからないけど、楓?」
「今度はなに、忙しいんだけど……!」
あまり見たことのない様子で盛り上がっている妹に若干引き気味の姉が、ちょいちょいと指で何かを指し示す。そちらに目をやれば――
玄関に放り出していたのを、彼女が持ってきてくれたのだろう。リビングのソファに置かれている鞄の中で、携帯端末の液晶が点灯して『着信』を報せていた。
今時、いきなり通話のコールを寄越す相手などそうはいない。
家族も友達も、余程緊急の要件でもなければメッセージで済ませる者ばかり。アルバイトの経験もない自分と連絡を取る相手など、学校関係を除けば――――
「――…………」
嫌な予感がして、コールが途切れる前にと慌てて端末に飛びつく。
果たして、液晶に表示されていたのは――お利口なお嬢様が、しっかりと登録を済ませていた既知の番号。
表示されている登録名称は、彼女や友人たちが共に通う大学の校名。
――なんだろう? と、当然の疑問を抱くまでもなく。出所のわからない、形容し難い不安が胸を満たしていく。
今日一日、欠席の連絡は既に済ませている。ならば今、こうして学校から自分へと連絡がきた理由は何なのか。
「…………っ、はい、もしもし」
思い切って通話アイコンを叩き、端末を耳に当てる。お節介かつ構ってちゃんの姉だが、非常識ではない。通話を始めるとスッと傍を離れていった彼女を見送りながら、楓はそのままソファに腰を下ろした。
『――――大学の、九里です。四條楓さんのお電話でよろしいでしょうか?』
「――……はい、四條です」
聞いたことのない、女性の声。しかし、聞き覚えのある名前。思いもよらぬ大人物からの連絡に動揺しながら、ひとつふたつと挨拶を交わして――
「……っ」
春日希――予想通り会話に出されたその名前に、思わず息を詰めてしまう。
――今朝から講義を欠席している。
――連絡が取れない。
――行方を知らないか。
何から何まで、予想できてしまった話の流れ。
つまり、きっと、そういうこと。
大学――教育機関が、プレイヤーを捕まえてどうこうというのは考えにくい。
そのため、極めて都合の良い推測をするなら……自分たちのように一早く事態を察知した学校側が、生徒を守るために動いてくれたか。
反して、現実的な推測は――どこかから、連絡を受けての〝取り次ぎ〟という線。
どちらにしたって、なにも悪いことではない。
しかし、そのどちらかであるのなら――それはとりもなおさず、自分たち以外にも希の正体が露呈しているということに他ならない。
「………………」
重ねて、今このやり取りに『悪者』は存在しない。
何故だか尋問でも受けているかのような心情になっているのも、
わけもなく喉がカラカラに乾いているのも、
落ち着きのない鼓動も、全部が無意味で勝手な緊張と言えるかもしれない。
ただ、それでも、
「あ、あの……! どうして私に?」
求められるまま、居所を伝えるかどうかよりも先に。まず用件を聞き出すことができれば彼のためになる――そう考えて疑問を口にした楓に、
『四條さんと春日さんは仲のいいグループで――』
「は、はい」
『ご友人……というより、交際していらっしゃるという情報がありましたので』
「は――――」
と、そんな予想だにしない特大の不意打ちが炸裂した。
はい?
違いますけど?
どこ情報ですか?
驚きのままに表出しかけた動揺を――意図して、呑み込む。
「それ、は……………――――そうです」
四條楓は、馬鹿ではない。幼い頃からの教育もあり、頭の回転やその他諸々には多少の自信がある。
「――ハル君に、何か御用でしょうか? 昨日の今日で疲れているので、私で良ければ伝えておきますが」
今更隠し立ては無用。学校側が彼のことを正しく把握している前提で――万が一楓の早とちりだったとしても、いくらでも誤魔化しの効く言葉を選んだ。
少なくともこれで、本当にバレているかどうかは判断が付くだろう。
そして彼のことが割れているのであれば、ソレに関する要件は多少なり機密性が生じているはずだ。聞き出すためには、ただの〝彼女〟では不足。
しかし先の言葉で、四條楓が春日希の実情を余さず解している〝とても近しい恋人〟であると、勘違いさせることができれば――
『それでは、伝言をお願いしてもよろしいですか?』
「えぇ、勿論です」
どこかしらの組織から、取り次ぎを求められるようなプレイヤーの恋人という立場。それに加えて『四條』の名が持つ信用も上乗せされたなら……機密は機密でも、その程度の言伝を開示させるのは難しくない。
果たして、思った以上にすんなりと悪巧みを成功させてしまったお嬢様は――
『春日希さんへ――『四谷開発』から、お取次ぎの依頼がありました』
「――――……………………は……?」
端末越しに告げられた〝相手〟の名前に、ただ呆然とした声音を零して……力の抜けたその手の中から、端末が滑り落ちて些細な音を立てた。
カップル疑惑の原因は微妙な距離感で3:2を演出しながらニヤついていた奴ら。