糸をほどいて
――四條楓はアルカディアオタクだ。
それ自体は別に珍しいことでもなんでもない。その〝趣味〟は今や全世界で一般化していると言っても過言ではない、極めてありふれたものであるからして。
ただ、ひとえにオタクといっても好みというものがある。
プレイヤーではなく観客として外から仮想世界を眺めるにしても、のんびりとした異世界生活風景を覗くのか、心躍る冒険活劇を覗くのか、あるいは血の湧き立つような闘争の舞台を覗くのか。
あるいは――特定の〝誰か〟へと、熱心なその視線を送り続けるのか。
四條楓がどのタイプかといえば四つ目、彼女は典型的な〝単推し〟勢である。そしてその愛と情熱が向けられていた先とは、何を隠そう俺のお師匠様。
東陣営イスティア序列第二位、【剣聖】様その人であった。
とはいえ再び、それ自体は別に珍しいことでもなんでもない。かの〝刀の神様〟のフォロワーなど、全世界に億ではきかないほど存在しているのだから。
ただ、彼女に少々特別な点があるとするならば。
それは一般平均よりもちょっとだけファンとしての情熱が深い点と――――……何の因果か、その目の前に〝剣聖の弟子〟が現れてしまった点くらいか。
――さて、ここでクエスチョンだ。
問一:突然〝友人〟が〝弟子〟という、激推し人物にいま最も近しい可能性のある存在へと変わってしまった際、熱心オタクはどうなるか?
「ごめんなさいごめんなさい私などが畏れ多くも曲芸師様におかれましては昨夜のご活躍まことに凄くて素晴らしくてところでうい様剣聖様とのご関係は如何様なのかとお訊ねしてもよろしいでしょうかいえ邪魔立てする気など一切ございません私はむしろ師弟仲睦まじくいらっしゃることを切に望んでおりそうなりますと昨夜最後はなんだかちょっとだけ良い雰囲気を醸していたアイリス様とはどうなっちゃうんでしょうなんてごめんなさいごめんなさい野次馬のようにやたらめったらあれこれあれこれと私ったらはしたない――……‼」
解答:こうなる。
「ナニコレ……?」
「昨日のアナタにやられちゃった。見事に『師弟』両推し化」
俺と美稀がそれぞれ困惑と呆れの表情を向ける中、楓はソファの上に〝平伏〟してバグり散らかしていた。ちゃんとスリッパは脱いでいる、えらい。
「あー……楓?」
「ハイなんでしょうかっ!」
「………………………………」
そんな名前呼んだくらいで『至上の喜びッ!』みたいな顔されても……四條だけに至じょ――いや痛い何故バレた美稀さんや。
アホな思考へのツッコミか、はたまた『はやくコレなんとかしろ』という催促かはわからないが……ともかく美稀に脇腹を小突かれて、バグったお嬢様の修正を試みるべく口を開いた。
「とりあえず、様は禁止な?」
「そっ……そんな、ご無体なっ……!」
「なにキャラだよ君は」
ちょっと面白いんだよ、いい加減にしたまえ。
美稀に手振りで楓を起こすよう頼み、顔を持ち上げたお嬢様と正面から目を合わせ――うわぁい真っ赤っかぁ……‼
「あーあーあー、全く……!」
そこまで直接的な反応をされたら、流石に俺だって恥ずかしい。誤魔化すように大袈裟な溜息を吐き出しつつ、微妙に視線を逸らしながら……もう言いたいことはさっさと言ってしまおう。
「いま、目の前にいるのは君の〝推し〟じゃない。半月前、四條楓さんのお友達になった春日君です――さて、清廉潔白温柔敦厚を体現する【剣聖】様フォロワーの楓さんは、プレイヤーの現実を無視する厄介ファンなのごっはぁッ!?」
「違いますごめんなさいっ‼」
と、距離感を誤ったお嬢様の頭突きが鳩尾にクリティカルヒット。
ここが仮想世界なら間違いなく【紅玉兎の髪飾り】が発動していた――なんて馬鹿なことを考えつつKOされた俺に縋る楓は、真赤な顔のままアタフタしていた。
「お、おい……大丈夫か?」
「っ…………、……」
大丈夫――と言ったつもりが声が出なかった。やるじゃねえかお嬢様……間違いなく、昨日と今日を含めた中で最大の一撃を喰らったぜ……。
「楓、いい加減に落ち着いて」
勢いのまま馬乗りになりかけている親友を引き剥がして宥める美稀を他所に、俺のほうはひどく楽しげな顔の翔子に助け起こされた。
気持ちはわかるから文句は言わないが、起こしてくれた礼は差し引きゼロとさせてもらうからな?
さて、親友の撫でパワーで落ち着いた頃を見計らい――
「楓」
「は、はい……」
「その扱い続けるなら、楓だけ〝四條さん〟な」
「っ……、…………」
わざと冷たく素っ気なく言ってやれば――己が暴走を顧みたのか、彼女は先程までとは異なる朱色で恥ずかしげに顔を染めながら、
「ご、ごめんなさい……ハル――か、君」
「オッケー、これからもよろしく楓――向こうと被ると意識しちゃうってんなら、全員これからは名前のほうで呼んでくれ」
「わかった、希君」
「おっけーい」
わかりやすく俺の名前を言い淀んだ楓に苦笑いを零しながら提案すれば、美稀と翔子は当然のようにノータイム順応。
問題の楓に関しては――
「…………れ、練習、します」
男子を名前で呼んだことがないらしいお嬢様は『もうなにもかも恥ずかしい』と言わんばかり、両手で顔を覆い撃沈していた。
寝坊しましたぁッ‼