願う剣、希む剣、待ち人は此処に 其ノ肆
「「――――――――ッ!」」
とうに交わす言葉は失われ、互いの全速をぶつけ合うだけのフィールドはただひたすら、絶え間のない撃音に満たされていた。
才能と寵愛、世界に愛されきったその身の振り手は捉えられずとも、不可視の一閃に至る構えの癖や挙動――〝記憶の蓄積〟は既に十二分。
躱し、打ち込み、可能なら出掛かりを叩き落とす。
《決死紅》による強化を重ね、『縮地』の理合いを従えた俺のアバターはしかと【剣ノ女王】に喰らい付き――しかし、そこまでだった。
死に物狂いで、なんとか追い付くまでには至れた。けれどそれより先……打ち合いを越え、その身へ刃を届かせることが叶わない。
思い知らされるのは、やはり隔絶した素の実力差。端から分かり切っていたことではあるが、俺と彼女を隔てる壁は『才能』の大小だけに留まらなかった。
サービス開始から〝三年〟――世界が『本物』と判を押した天才が、思い連ねた感情はどうあれ、弛まぬ努力を重ねた末に【剣ノ女王】が在る。
……なんて、知ったような口を利くなと憤慨されるかもしれない。
でもさ、ほら、わかるんだよ。俺は、わからないといけないだろ。
ただひたすら憧れを目指して――〝好き〟のために終わりなき努力を重ね続ける、そういう御人の『弟子』なのだから。
敬意を払うべき相手くらい見分けられず、剣聖の弟子は名乗れない。
「――……っ」
「ッづ……ぬぁラアッ‼」
幾度目とも知れぬ交錯。先手、上段、更には紅翠二刀をもってすら、なお力負けして捌かれる。アイリスの瞳は、確かに真直ぐにこちらへ向けられているが――
そのガーネットに、いまだ俺の望む感情は浮かばず。
向き合わせる、そこまでは至れた。けれどそれでは足りない――
払われるだけに止まらず、まるで剣で巻き取るように刀を引き込まれ体勢が崩れる。覚えのある技術――『師』も扱って見せた、剣による柔法。
「こ、ッの……――‼」
焦りの声を漏らすのは、俺一人。〝至高の刀〟を体現する【剣聖】の、一歩先を行く少女は――
「ッ――――!」
言葉はなく、それ以外の全てをもって――〝最強の剣〟を具現する。
受け、崩し、返す一閃。それは疑いようもなく、気が遠くなるほどの修練の先にある極致の技に違いないのだろう。
咄嗟に挟み込んだ《ブレス・モーメント》の起動が間一髪で間に合い、命からがら回避には成功――しかしそれは、これでまた一歩ゲームオーバーが近付いたことを意味する。
残り時間百秒と少し。特殊称号のクールタイム半減効果によってリキャストは間に合うが、これで時間内に半絶対回避を切れるのはあと一度だけ。
《先理眼》など、先の本気モード移行時に対応するため使用済みだ。やはり最初から、手札の数が絶対的に足りていない。
盾……も、彼女相手には役に立たないだろう。俺がアイリスと曲がりなりにも打ち合えている理由は、偏に直近で獲得したスキルの効果が百であるからして。
《削身不退》――HP上限に対する総自傷ダメージの比率に応じて、武器と武器の打ち合いによって生じる削りダメージを割合カット。なおかつ余剰分のダメージをMPで肩代わりするというスキルだ。
俺というプレイヤーに都合の良過ぎる神スキルではあるが、取得の元きょ――原因、もとい、キッカケは……まあ、おそらく、果てない【剣聖】様との打ち合いでボコられていたことに由来するのだろう。
ともかく、おかげで打ち合うことはできるが〝受ける〟のは不可能だ。【輪転の廻盾】を構えたところで、ガードの上から消し飛ばされる未来しか見えない。
そしてその打ち合いのほうも――MP残量的に、そろそろ限界が近付いていた。
《決死紅》ではなく、《兎く駆りゆく紅煌の弾丸》を切るべきだったか――いや、『縮地』と『赤』の併用は継戦能力が低過ぎる。数歩で俺の操作限界を迎えて破綻するのは見えていた。
自傷ダメージとは異なる自滅ダメージを避けられない『赤』の加護は、限界まで体力を落とし込む《鍍金の道化師》と共存不能。リキャスト短縮効果を求めて、二者択一の後者を優先したのを愚策だったとは言い難い。
ならば、切るタイミングを間違えたか? 【紅玉兎の髪飾り】を温存し、即死回避を頼って最大火力を――と、それも無茶だと言えるだろう。
髪飾りの加護が発動するのは、一度限り。
そして今回の自決行為に際して《決死紅》と《鍍金の道化師》がほぼ同時に発動したことから分かるように、『即死無効』は致命ダメージを一度だけ無かったことにするだけで、無敵時間が発生するわけではない。
心臓を穿った刃を胸に留めれば、あっという間にHPは消えてなくなる。
それと同じように継続ダメージ、そして連撃や余波などによる多段攻撃には無力――正しくは、まともな耐久力があるのならば用を成すのだろうが、紙装甲を極めている俺では大抵の場合は耐えられずに絶える。
一撃に見えて実は瞬時の連撃であった《枯炎》しかり、埒外の威力によって生じる余波が副次的に多段攻撃の形を成していた《唯風》しかり――他ならぬ師匠の刀に、もう何度この『即死無効』を貫通されたかわからない。
不意の発動で命を拾って喜ぶ場面はあるかもしれないが……残念ながら俺はもう、意図的な駆け引きに織り込めるほど『即死無効』の効果に信頼を残していない。
結局のところ、素のステータスでは彼女相手にここまで食い下がれたとも思えず――早々に手札を切ったことが間違いだったとは、言えないだろう。
つまりは、やはりそういうこと――俺はアイリスに勝つことはできない。
……なんて、
「んなことは最初っから……ッ」
誰よりも、俺自身が――
「納得済みで、挑んでんだよッ‼」
「ッ――――……っ!?」
目前への縮地。数限りなく繰り返したその挙動に、これまでと違わず正確に反応したアイリスによって――振るわれた剣が、これまでになく盛大な空振りを描いた。
頭から飛び込んだ先は、彼女の目前――より正確には、その足元。
かさを減らした水路に激突するような軌道で踏み込み、間合いの外から振るった翠刀を全力で床に叩き付け――反動によって跳ね上がる勢いのまま、切り替え跳躍による三次元機動へ移行。
水飛沫による目隠しなど用を成さないことなど理解している。だが、
「――小兎刀ッ‼」
《フリップストローク》起動。頭上へ兎短刀を放り投げつつ宙を駆けるまま牽制の紅刃をバラ撒き、壁を足場に切り返して水柱を突き破り――
「二の太刀――」
「ッ……」
「――《打鉄》ェッ‼」
翠刀一閃、からの――――《瞬間転速》ッッ‼
「ッ、な――ぁ、ぐ……っ!」
接触、減速――そして、口に咥えた【愚者の牙剥刀】の引き金を噛み、ゼロ百加速の疑似連撃。
結式一刀にて唯一諸手の型。数百キロの鉄塊をも紙屑のように吹き飛ばす、比類なき『剛』の太刀。
更には追い打ちをかけた『縮地』の踏み込みと、加速の過程を破棄した振り手の推力が、さしもの【剣ノ女王】を打ち揺るがす。
水柱により視界を妨げ、小兎刀の乱打で思考を裂き、初出しの手札で意表を突く――止まるな、動け、翻弄しろッ!
体勢をわずかに崩しながらも、アイリスの反撃は一拍も置かぬ即座。揺らぎながらも、しかと受け止めてみせた【早緑月】の刃を押し返し――
「っ!?」
一切の抵抗なく、消滅した翠刀に目を瞠る。
《ブリンクスイッチ》――鍔迫り合いの最中に、前触れなく相手の得物が消える……そんな経験は流石に無かっただろう?
背中もらったぜお姫様ッ‼
多段『縮地』による切り替えしで背後を取り、振り上げた両手にそれぞれ喚び出すは、【巨人の手斧】と【序説:永朽を謡う楔片】二振りの大得物。
重量反映まで、一瞬のラグ――柄を掴み取った両腕は二種の出力をフル稼働し、既に限界超過の最高速ッ‼
「ぬぅ――ッ……」
「っ……こ、の――ッ‼」
「――――ッどぅァらぁあアアアアアアアッッッ‼」
轟音、蒸発――そして衝撃。
完全に体勢を崩した彼女が零したのは、初めての明確な焦燥の声音。
そこへ情け容赦なく、総重量一トンに迫る質量の暴力を叩き付けた俺は――〝信頼〟をもって、停止の二文字を蹴り飛ばす。
才能が及ばない、だからどうした。
経験が足りない、んなもん知ってんだよ。
実力が劣っている――関係ねえ、ぶっとばす。
足りない、及ばない、そんなこと見せ付けられる前から理解している。
俺にとって端からこれは、勝つための戦いじゃない――退屈で、寂しくて、泣き出しそうな顔してた遊び相手を、ただ笑わせるための戦いだ。
比べられるものが、何もかも絶望的に劣っているのなら――代わりに相手が持たないモノを叩き付けてやるまで。
幸い俺は、曲芸師。お姫様には縁遠い、手癖の悪さには定評がある。搦手上等は『師』の剣とは真逆を行くものではあるが……俺のお師匠様は寛大でいらっしゃる。きっとニコニコしながら見守ってくれるだろう。
だからほら――お前も、もっと笑えよ。
極大の反動をいなし、再度突貫する先。莫大なエネルギーによって蒸発した水煙の向こう側――薄らと目に映った微かな笑みに、
もうどうしようもないくらい、俺も凶悪な笑顔を抑えられなかった。