願う剣、希む剣、待ち人は此処に 其ノ弐
――鈴鳴りが止まらない。
地上だけに留まらず、空をも駆け巡るその人は脚を休めず。『刀』が刻む翠緑の軌跡、そしてその身に纏う〝青い糸〟だけが目に映る存在の証。
目で追うことなど不可能だ。その身は既に理を踏み越えて、人間の――アバターの知覚速度を振り切ってしまっているから。
肩を掠め背後へ抜けた剣閃を追い、視線を投げても無駄なことだ。黒髪を載せた白蒼の姿は、どうせもうそこにはいない。
「――――四の太刀……ッ」
頭に響くのは、聞き慣れた鈴の音。そして耳朶を打つのは、
「《天雪》ッ‼」
聞き慣れない、青年の声音。
目も留まらぬ高速戦の最中。しかとその『声』が『言葉』となって耳へ届くのは、この世界お得意のさりげない演出。
例え交錯がコンマ一秒であれど……お節介極まる『何者か』の手によって、刃を交える者の意思は相手へと伝えられる。
しかして仮想世界に於いて、気配を読むというのは現実世界ほどに難しいことではない。加えて、何かしらの手助けによる補助も併せれば――
「――ッハ、あっぶねぇ……‼」
見えずとも、視て追うことは不可能ではない、
「――――……」
はず、なのだが。
頭上からの急襲を打ち払い、返しに放った剣がまたも空を切る。少なくとも、〝振り〟には加減を加えていない。
強化は載せていないといえど、本気の一振りには違いない――なら、なぜ?
首を傾げる最中にも、楽しそうに致死の一閃を回避した彼は止まることなく。水を散らし、壁を踏み、如何なる手品か宙を蹴って――数限りなく、向かってくる。
打ち払う、返す一閃――当たらない。
身を躱す、返す一閃――捉えられない。
叩き落す、返す一閃――その身は剣を擦り抜けて、
「いや、マジ反応速度がおかしいだろッ……そしたら――ッ‼」
何度も、何度も、何度もなんども――
「こんなのはどうよッ‼」
払い除ける刃から伝わってくる、その感情が、心の底から……
ただ、ただ、〝怖い〟から、遠ざけてしまいたい。
仮想世界の剣には、真の意味で感情が宿る。ポジティブなものでも、ネガティブなものでも、性質は問わず。
気分が上がればパフォーマンスを跳ね上げる者がいるように。
感情的に振るわれた得物が、本人の理解を越えた一撃を生み出すように。
戦いに身を置く多くのプレイヤーたちが、恥ずかしげもなく自慢の『技』を高らかに叫ぶのも、その理に則った振る舞いに過ぎない。
この世界を見やる『何者か』は、いつだって。
〝人の感情〟というものを、一つの『力』として仮想世界に出力している。
「――――ッな……!?」
剣に込めた力は、変わらぬ百。しかしその威力はスキルに頼らずとも、込めるなにかによって容易く上下する。
変わらぬ動作、変わらぬ剣速――なれど威力はこれまでの比にあらず。
振るった剣は、前触れなく上がった出力に驚きの顔を見せた青年の手から、有無を言わせず刀を弾き飛ばし――
………………あぁ、そう。
――それでもあなたは、止まらないのね。
思考加速など、無用の長物。目に見えずとも、視ようと思えばこの〝眼〟に映らぬものなどない。
しかして、静止した時間の中で。
驚きから、畏れではなく――性懲りもなく、その顔に〝笑み〟を宿して見せた〝その人〟を真直ぐに見つめて。
――きっとまた、違うのだろう。
――これまでと同じように、期待は裏切られるのだろう。
――これが終われば、もう一度……
ただ『誰か』を待つだけの日々に…………――
「――――ごめんなさい」
蓋をする、全てに。
「は……ッっと……――なに……!?」
新たに喚び出した紅の短剣を振り被り、怯むことなく踏み込んで来た青年が――目前でその動きを止める。
剣を下ろし、身動ぎもせず、真直ぐその瞳を見つめる『私』の目前で。
その身に纏うエフェクトは、何らかのスキルの強化効果なのだろう。生き急ぐかのような怒涛の猛攻を鑑みるに、時間制限などもあるのかもしれない。
だから、時間は取らせない。
ただ、どうしても――初めて会ったはずの私のために、真直ぐ真直ぐ全力をぶつけてくれるその人に、少しだけ言葉を伝えたかっただけだから。
「――南陣営……の、アイリス、です」
それは、興味を向けまいと努めていたせいもあり、返せなかった名乗りの返答。いつまでも好きになれない称号は省いて……与えられたものではない、自ら刻んだ名前を告げる。
「知ったこっちゃない――って、あなたが言ったように、私もあなたのことは知らないけれど」
寂しいのか――と、どうしてその黒い瞳が、この胸の内を読み取れたのか、全部全部、わからないけれど。
偶像を見るばかりで、多くの者が読み取ってはくれない心の内を、察してくれた。そればかりではなく、そう――その人は、言っていた。
笑わせてやる、って。
この世界の剣は、感情を宿す。
しかし、刃を交わさずとも――その顔に、隠すことなく一杯に「俺は楽しんでるぞ、お前も楽しめ」と言わんばかりの笑みだけを宿して。
何度となく刃を打ち払っても、刀を退けても、怯むことなく、畏怖することなく――ただただアイリスだけを見据えるままに。
……だから、少し遅れてしまったけれど。
今この時から、
「向き合ってくれるあなたに――向き合うね」
違うかもしれない――その恐怖に蓋をして、その人に。
――ハルに、願いを掛けてみようと、思えてしまったから。
「…………オーケー。それじゃ、まあ……あと、二百秒ちょいだ」
「それは大変。急がないと……」
楽しむ時間が、なくなってしまう。
「それじゃ――全部見せてね、ハル」
「――……」
果たして、上手に笑えただろうか。どうしてか、固まってしまった彼の表情からはわからないが……今は、それよりも。
「私も全部、見せるから――《ひとりの勇者》」
孤独を名に冠する、大嫌いなこの王冠を頭に載せてでも――はやく『先』を見てみたいと……本当にいつぶりか、心が揺れていた。
残り三分……セーフ寄りのアウトでしょこれ。