小さな重戦車
目前に壁……とはいえ、そもそもが『壁』を目指しての疾走である。
元々の目標地点であった中央戦域に密接する形で展開された《強制交戦》の障壁に対して、反応が間に合わずに激突死なんて馬鹿は晒さない。
《浮葉》起動―――思えば随分とこの「よく分からんスキル」にも慣れてきたもので、最初の頃はベクトル転換にもそれなりのアクションを要したものだが……今ではこの通り。
「ッふぬぁ!!」
クイと指先を動かすのみで生み出した矢印を掴み取り、ほぼノーモーションで最高速のまま直角に曲がることが可能である―――
……なんて、そんなことは分かってるんだろう? 動じることなく俺の速度に対応したってことは、下調べはバッチリみたいだからなぁッ‼
運動エネルギーを操作して進路を上向け、駆け上がるままに足場とする障壁へ手を伸ばした俺目掛けて、黒鋼を握り込む砲弾が飛来。
間一髪で射線から身体を逃がせば、障壁へ着弾した小柄な影はまさしく戦車砲の如き轟音を上げて《強制交戦》のフィールドを揺るがした。
「初手で逃げようとするのは酷いんじゃないッ?」
「この状況で暢気に遊び始めたらそれこそ酷いだろうよッ!」
まんまとカットされてしまったのは、《交戦解除》の一手。
ここまで都度三回、南北の序列持ちが決まって『宣言』により《強制交戦》を発動している通り、戦時限定スキルは起動にハッキリとした発声を要する。
加えて、《交戦解除》及び《交戦割込》に於いては「《強制交戦》のフィールド障壁に触れていること」が起動条件に追加。
『壁』に触れた上で、ブレイク―――たった四文字だ。
そんなもの、馬鹿みたいにハキハキ喋ったところでせいぜい一秒。最低限システムに認められる速度であれば、コンマ五秒といったところか。
コンマ五秒……成程。それは―――随分とキツい条件なこって……!
壁から離れて宙に浮いた俺へ、暇など与えないとばかり切り返した【重戦車】の刃が迫る。左右に握られた得物は短剣、しかしながらアレとまともに打ち合う訳にはいかない。
《ブリンクスイッチ》―――喚び出すは【輪転の廻盾】。更に《ウェアールウィンド》及び《リフレクト・ブロワール》を並列起動。
「そぉ―――らッ‼」
宙で勢いよく横転するまま、繰り出された左右揃えての一閃を左の盾甲で弾―――けない無理ッ!!
「ッリリース‼」
真正面から受けたわけではない、元より斜めに受け流すための軌道。されども左腕のみならず全身に駆け抜けた激甚な衝撃に、堪らず盾の裏から差し込んだ右手の暴風を解放して無理矢理に黒鋼の短剣を流す。
トラ吉しかり、マルⅡしかり、アバターを苦も無く吹き飛ばしてきた暴風をぶつけても弾くには至らず。身体を逃がした俺の横をすり抜けた小柄な影は、水路へと着弾し冗談のような水柱を叩き上げた。
いやはや……いったいあの短剣、どこまで世界を欺けるんだか。。
【星隕の双黒鋼】―――そのネーミングから薄らと察することもできるかもしれないが、かの『魂依器』が備える主な権能は『重力操作』……
ではなく、『重量偽装』。
偽装、それはつまり何者かを騙す権能。そしてあの短剣が騙す相手というのは『敵』ではなく、『人間』ですらなく―――世界だ。
簡単に言えば、【星隕の双黒鋼】は実際の重さを減らしたり増やしたりするのではなく、システム的な判定に於ける『計算式の中でのみ重量を偽装する』ことができる。
なんだかやたらと回りくどく難解な能力だが……つまるところ、それによって生まれるメリットとは何か?
挙げればキリがないほどに悪さができてしまうヤベェ権能ではあるものの―――まあ、まず真っ先に特筆すべきは、
「ッぅ重……!!!」
「受けちゃダメだよ、すぐ潰れちゃうからさぁッ‼」
まるで重さなど無いかのように振るわれた短剣が、盾替わりに構えた【序説:永朽を謡う楔片】を轟音を鳴らして押し込むという異常。
計算式に介入する―――つまり、攻撃判定後に偽装された重量が適用される。
それが意味するところは……あの短剣はいま、奴にとってはせいぜい数キロ程度。超人スペックの仮想アバターにとっては無きに等しい軽さであり、
「せぇ―――のッ‼」
「ぬ、ッぐぉアッ!?」
―――俺にとっては、【序説:永朽を謡う楔片】どころか【巨人の手斧】をも凌ぐ、馬鹿重量の致命武器であるということだ。
「ええいッ、やりたい放題かインチキ魂依器め……‼」
「インチキPSが何か言ったかなぁッ!」
おっとお褒めに預かり光え―――重いッッッ!!!
こちらもこちらで特大重量&不壊属性持ちの語手武装があるから辛うじて守りは成立しているが、奴の言う通りそもそも受けてはダメなのだ。
ダメなのだが―――脚が重い。
正しくは、全身が重い。明らかなステータスの変調であり、この重度の倦怠感にも似た鬱陶しい感覚はおそらく……
「おいコラ、プレイヤー自身にも『介入』できるなんて情報は、無かったんだがぁッ……!?」
涼しい顔で軽々と振るわれる短剣を、我ながら必死の形相で押し返しながら。そう恨み言を向ければ、【重戦車】は悪戯が成功した少年のように楽しげな笑みを浮かべて見せる。
この野郎……マジいま人様にはお見せ出来ない顔になってるからな俺、フード被ってて良かった―――んなこと言ってる場合かぁッ‼
脚が重い、身体が思うように動かない。
ならばいっそ、速度を落とした立ち回りに切り替えようか。
「来い、」
「っ」
「―――【早緑月】」
喚び出すは『刀』、抜き打つは翠刃。
音高く放った居合の一刀を、しかし直前で勘良く察知したのだろう。情報通り中々の敏捷を発揮した【重戦車】が跳び退ったことで、【早緑月】の刃は空を切った。
AGI:200……もうちょいあるか? 250程度と考えた方が良さそうだ。
「あー……ソレ。ソレが怖いからやり合いたくなかったんだよね」
「ほう? そりゃあ、中々お目が高いな」
まだバラしてはいないし、明確には『技』も見せていない。俺の『剣』が【剣聖】様由来だということは―――……いや、どうなんだろうな? めっちゃコアなファンの人とかには立ち回りとかでバレてんのかな。
さておき、目の前の少年はそこまで推測が至っている様子ではなさそうだ。多分だが、遠目に俺とトラ吉の戦闘を見ていたのだろう。
「曲芸師さん、なんか刀握ると雰囲気変わるじゃん。怖いんだよね、技術で押してくる相手って……予想通り、脚もほとんど封じられないみたいだし」
「やっぱなんか悪さしてんだな……第五階梯おめでとうでよろしいか?」
「あは、まあバレるよね。隠すつもりなかったからイイけどさ」
カマをかける……必要も無かったらしい。クルリと短剣を弄びつつ、アッサリと認めた【重戦車】が得意気に笑う。
「どうせ戦争後に『公開』する予定だったし、教えてあげる―――《鎮樹の王権》、第五階梯で発現した【星隕の双黒鋼】の新能力さ」
「へぇ、名前はカッコイイじゃん」
「でしょ? 自分を中心とした一定範囲内のプレイヤーを対象に、相手の耐久力ステータスで敏捷を減算するっていう……またしても、各方面から色々と文句を言われそうな対人特化の能力だよ」
―――あぁ、成程……それで。あれこれ全部得心がいったわ。
俺にも効果があるということは、防具などによる追加ステータスもデバフとしてひっくり返るのだろう。加えて推測だが、俺の場合は【流星蛇】シリーズで加算されている50程度のマイナスでここまで脚が鈍くなるとは考えにくい。
つまりAGIに対して耐久力と言い表したように、おそらくはプレイヤーの総合的な防御力を計算に適用しているのではないだろうか。
そうと考えれば―――過剰な減算が、AGIをマイナスにまで落とし込む可能性を考えれば。『双翼』の壁役に特化した東の守備隊たちが、揃って行動不能にされていたのも頷ける。
…………これ、魔法抵抗の精神も耐久力に数えられてたら詰みだったな。
「そりゃあ敏捷がマイナスになりゃ、動けなくもなるか」
「その通り。検証したけど、-1でもメチャクチャ重くなるらしいよ。-10も行けば這うくらいしかできないってさ」
確定か。インチキ能力極まれりだな……
「だからまあ、相手を選ぶんだよね。現に曲芸師さんには全く効いてないし。VIT:100も無かったりするの?」
「……まあ、そんなようなもんだ」
ゼロです。
なんだよ、ゼロも百も似たようなもんだろッ!
「さてぇ? 俺としてはこのまま、お喋りを続けるのも都合がいいんだけどね?」
「お生憎―――こっちとしては都合が悪いッ!」
軽口を叩き返し、【早緑月】の柄を握り直して躊躇無く突貫へ踏み切る。
小憎らしい表情を見せる【重戦車】の背後。隣接するもう一つのフィールドの内側は、絶え間なく立ち上がる粉塵が邪魔をして相変わらず窺い知ることは出来ない。
しかしながら激しさを増して響く轟音が、光芒が―――
「もう猶予は無いぞ」と、言外に告げていた。