兎く駆り行くは
「―――《兎く駆りゆく紅煌の弾丸》」
おそらくそれは、途切れ途切れに耳が拾っていた詠唱の先にある『魔法』の名。
考え得るに、例の妙な形状の短刀が秘める能力なのだろう。後ろに回した右手で柄を握り込むまま、抜かれること無く鞘に納められた紅刃から光が漏れ出しているのが目に映る。
ただ、それ以外の変化が見て取れない。
アルカディアに於いて、魔法とは派手なものだ。或いはそれが魔法では無かったとしても、『詠唱』を要する現象は基本的にその原則から外れる事は無い。
詳しく聞き取ることは出来なかったが、口の動きからして彼が唱えたのは中~長文詠唱に類するモノ……つまり、それによって引き起こされる『超常』は決して軽いものではない筈だが―――
「……ッ!」
関係無い。じっくりと、しかし一秒にも満たない思考にケリを付けたマルツーは、己が得物を握り込んで水に満たされた地を蹴った。
正直に言って、この戦闘が戦闘として成り立っているのは十割『敵』のノリの良さに起因している。埒外の敏捷で完全に脚を上回られている以上、本気で逃げに徹されたらどうしようもない。
それこそ、やろうと思えばすぐにでも《交戦解除》を通すことも出来るだろうに―――然して、それを良しとしない彼の性質こそが、【大虎】の頭から引き際という文字を消し去って仕留めるに至った最大の要因。
好ましい、と思う。
別にマルツーは戦闘狂集団所属でもなければ、戦闘の師たる【大虎】のような勝負好きという訳でもないが―――ただ、そう。
その、目の前の全てを目一杯に遊び尽くそうという姿勢が。
相手の全力に対して、ならば自分もと迷いなく真向から挑んでくる気概が。
そして、
「―――っはは……!!」
目に見える口元からだけでも十分に伝わってくる―――対戦相手からも笑みを引き出してしまうような、ひどく無邪気で楽しそうな笑顔が。
それはもう、共に遊戯に興じる相手として、どこまでも好ましい。
……さて、それでこの青年は、結局のところどこまで上がっていくのだろうか。
短剣、長剣、槍、大剣、棍棒、大槌、曲刀……十倍の速度で巡る思考を仮想脳が焦げつく勢いでフル回転させながら、タネを変え型を変えての変幻自在の攻勢を、
右手を短刀の柄から離さぬまま、小盾を構えた左手一本で捌いているこの怪物は……ワンアクション毎にその速度を増していく、この紅光を宿した白蒼の影は、果たしてどこまで。
好奇心のまま、フードの奥を覗き込むように視線を凝らした【変幻自在】は、
「――――――」
闇の中に、瞳か否か―――爛々と輝く『赤』を見た気がした。
◇◆◇◆◇
実際のところ、俺は別に兎短刀が秘める権能を勿体ぶっていた訳でも、出し惜しんでいた訳でもない。そのむやみやたらに意味深な詠唱文言をドヤ顔で唱えるのを恥ずかしがっていた訳でも、勿論ない。
その理由は単純に、この《兎く駆りゆく紅煌の弾丸》というユニーク効果がどうしようもなく使い辛いからに他ならなかった。
使い辛いというか、ぶっちゃけ行きつく先が制御不能というか……とにかく、剣聖様の下で修業を積んだ俺のプレイヤースキルをもってしても、完全には従えることの出来ない特級の鬼札であるからして―――
そう、まさしく鬼札。
切り札には頼らないが、鬼札を切らないとは言っていない。
【刃螺紅楽群・小兎刀】の生成は、あくまでもサブ効果だ。
【兎短刀・刃螺紅楽群】が持つ本来の主権能たる《兎く駆りゆく紅煌の弾丸》の効果は―――最高速度の更新。
つまりこの権能を一度発動させると、俺のアバターが敏捷ステータスの許す最高速度をマークした瞬間、その限界値が僅かずつ引き上げられていく。
僅かずつ、つまりは累積して。
そして『アバターが出し得る最高速度』というやつは、なにも駆けっこの速さだけには限られない。例えばそう……得物を振るう速度とか。
【輪転の廻盾】を構えた左手を振るい、襲い来る数多の攻め手を叩き落す度に。
防ぐのではなく迎え撃つことを主題とする盾甲を、最高速度で振るう度に。
僅かずつ積み上がっていくAGIの数値が、紅蓮奮の強化効果に似た―――しかしどこか禍々しい、絡み付くような真紅のオーラとなって具現する。
あんまりにも気分が上がるものだから、己が笑ってしまっているのは自覚していた。釣られてだろうか、マルツーも口端を持ち上げて快活な笑みを浮かべているが……徐々にその頬が引き攣り始めているのは見間違いでは無いだろう。
きっと彼は、こんなことを思っているのではないだろうか?
―――コイツはどこまで上がるんだ、と。
残念ながらその問いに返せる答えは、あまりにも『無法』な一つのみだ。
「ついて来いよ【変幻自在】―――上限なんてありゃしないぜ」
《兎く駆りゆく紅煌の弾丸》……その権能は、最高速度の更新。
そして瞬く間に駆け上っていくその速度に―――天井は、存在しない。
「ッ゛……!?」
敏捷値の不利を思考速度の有利で覆していた奴の処理速度を、遂に上限突破を直走った俺の拳が上回る。
首元へ奔った短剣の刃を叩き落した流れで横っ面に裏拳をくれてやれば―――いやもう本当に序列持ちはどいつもこいつも……
一撃喰らっても当然のように視線は切らさず、反射的に目を瞑る素振りすら見せないたぁ肝が据わり過ぎだろうがよ!!
「小兎刀ッ!!」
目前に喚び出すは数多の紅短剣。燦然と輝き宙に浮く刃の群れに、咄嗟の反応を見せるマルツーだが……悪いな、ブラフだ。
《ブリンクスイッチ》―――自ら並べた小兎刀の壁には目もくれず、左手に喚び出すは【巨人の手斧】。刃の向きから射線を推測したのだろう、予想通り横へ身体を逃がそうとした奴の行く先へ大質量の黒斧を叩き落す。
振り手の速度は、もはやAGI:350など過去のもの―――現時点で、いつだか卒業した頭の悪い数値に届いていることだろう。
いや、届いていたが正しいか。
いまこの瞬間、斧撃を持ってその最高速度すら過去のものとしたのだから。
―――さあ、そろそろ俺も悠長にはしていられない。
何故かと言えば、この埒外の権能が『切り札』ではなく『鬼札』たる所以が遂に現れ始めたからだ。アバターの許す限界速度を大きく超えた今の一振りによって、マルツーではなく俺のHPが削られたのがその証左。
無茶苦茶をやっているようで確たる技術の下に成り立っている『縮地』とは異なり、《兎く駆りゆく紅煌の弾丸》の権能による超加速は『赤』とやらのご加護によるドーピングのようなものだ。
過ぎたる力は身を亡ぼす―――つまりこのまま加速を続けると、俺のアバターはステータスを超過した負荷に耐え切れずに自壊する。
更に言えばこれは自傷ダメージではなく、過負荷によるスリップダメージ判定なので……元々マルツーに削られてしまったため発動の余地は無かったものの、仮に体力全快から始めても特殊称号『曲芸師』の発動条件には当て嵌まらない。
ちなみに最高速度を抑えて更新を止めるのも無しだ。この我儘短刀、俺が手を抜いたと見るや否や即座に拗ねて強化効果をポイしやがるもんだから……
つまり、このまま戦闘が長引けば俺は自滅する。
なら、簡単な話だな?
「それじゃ始めようか―――攻め手は、十歩!!」
限られた手数での詰めろ詰めろは―――最近加わった、俺の特技の一つだぜ!!
持ち主が「手を抜いた」のを感知してヘソ曲げる武器ってなんだよ。