Ninth × 2
開幕十分足らずで齎された【大虎】敗北という信じがたい報より、まだ二時間と経ってはいない。四柱の通例をなぞるのであれば、様子見が終わりそろそろ本番か……という時分である。
だが各所から上がってくるおかしな報告や、その確度を示す冗談のようなスコア差が今この瞬間、既にこの戦争がピークを直走っている事を意味していた。
最初からクライマックスなんて言葉がこれほど嵌まる四柱など、まだ自分たちが『観戦者』だった頃も含めて覚えが無い。
開始数分で次々と『柱』が薙ぎ倒されていくのも、
早々に序列持ちが退場させられてしまうのも、
そして開幕から一時間程度で、南北の作戦統括役であるソートアルムが『決戦』の号令を下すのも―――何もかも、紛れもない異常事態だ。
北陣営の序列持ちであるリンネとマルツーは、先輩と仰ぐ【大虎】ほど四柱戦争の常連とは言い難い。二年前に二人揃って序列入りしてからここに至るまで、参加したのは二度にとどまっている。
此度で三度目の参加となる彼女らはそれ故に、初めてこの戦場に足を踏み入れた時のことも鮮明に覚えていた。
昂揚、緊張―――そして、経験したことのない類の圧倒的な恐怖。
普通の神経をしているならば、怖いのだ。世界中からの視線に晒されるという非現実的な事実も、そんな環境で嬉々として暴れ回る超人たちから『標的』にされるという冗談みたいな立場も。
戦争初参加の序列持ちは、通例として散々に脅されるものだ。覚悟を問われ、期待に応え、責任を認める―――正直言って、いちゲームプレイヤーが何故と突っ撥ねたくなるほどに、その肩書きは重い。
そういった重圧に耐えうるメンタルも選定基準に含まれている……というのが通説だが、幸いソレにより潰れるような序列称号保持者は過去存在していない。
リンネとマルツーも、二人で乗り越えた―――だが、それは戦場へと赴いた一歩目の話などでありはしないのだ。
積み上げられた情報と、横を奔り抜けていった白蒼が巻き起こす突風に頬を撫でられて……これまで半信半疑であった「【大虎】がほぼ一方的に撃破された」という報告が、現実味を帯びる。
そして疑いは予感へ、予感は確信へと姿を変えて―――【音鎧】と【変幻自在】は当然のようにその『結論』へと至った。
それ即ち―――コレを止めなければ、勝ちは無いと。
「―――マルッ!!」
「―――俺がやるッ!!」
意思の疎通は一瞬、判断は即座。回復役の部隊を瞬く間に討たれ、前後を『奴』と【熱視線】に挟まれた瞬間。
微かな鈴鳴りを合図に、【変幻自在】の青年が自らの足元を押し上げる力を射出機として迷いなく飛び出した。
目標は『奴』―――前代未聞の戦果を上げ続ける、埒外の【曲芸師】だ。
虚を突かれたのか、或いは余裕か。如何なる理由かは分からないが、動きを見せないその身へと迫り……ラインを容易く踏み越えた瞬間、マルツーは彼のソレが「不慣れから生じる判断ミス」であると理解した。
何故ならば―――
「《強制交戦》!!」
「……ッあぁ!?」
援軍と来て、共闘を仄めかした会話の後に―――単騎で飛び出した相手を易々と発動圏内に迎え入れるなど、こなれた序列持ちであればやらかす筈が無いからだ。
◇◆◇◆◇
『……おいコラ坊主』
『……ハル君?』
頭に響く二つの声が、何とも言えない圧を纏って間抜けを働いた俺を責める。遠くから飛んでくる、雛世さんの珍しいジト目が胸に痛い。
「わ、悪い……引き付けてから抜いて、攪乱しようかと…………」
《強制交戦》のスキルを忘れていた訳では無い。しかし相手が連携を主とするであろうペアである事と、バチッと決まった「さあ共闘だ!」というテンションに流されてしまった。
嗚呼、反省点が増えていく……
『ったく……問題ねえな?』
「まあ、うん…………問題は無い」
「―――言ってくれるっすね」
しれっと嘯く俺に対して、明朗な声音が投げ掛けられる。
声音も顔色も、どことなく体育会系を思わせる快活さ。身長は俺よりもやや高く、剣士然とした革防具を纏うアバターは、筋肉質でがっしりとした様相だ。
そして握る得物は、今は直剣―――北陣営序列第九位、【変幻自在】のマルⅡ氏とお見受けする。
「正直、会いたかったよ【変幻自在】殿」
「……正直、会いたくなかったっす【曲芸師】さん」
対照的な言葉を交わして、浮かべるのは両者笑顔。それもまた、ポジティブなものかネガティブなものかで真逆ではあるが。
「トラさんをボコボコにしてからこっち、次から次へと入ってくる情報を総合するに……―――アンタ、下手すりゃ俺の完全上位互換じゃないっすか」
勘弁してくれとばかり、そう言ってマルツーは色濃い苦笑いを浮かべて見せる。
さて、上位互換どうこうは議論の余地があるが―――
「まあ、《交戦解除》の必要は無いかもな」
展開したフィールドを見回しながら宣えば、青年はガリガリと頭を掻きながら「はは」と笑いを零し……持ち上がった顔からは弱気は消え失せ、瞳には見覚えのある色が宿っていた。
―――流石は【大虎】の『弟子』といったところか。煽り文句を即ポジティブな戦意に変換してくれる性質は、師より受け継いでいるらしい。
「……ハギさん。悪いけどコレ相手に時間稼ぎは無理なんで、全開でやらせてもらうっすよ」
何事か向こうの大将に断りを入れたのだろう。呟いたマルツーはそれきり問答もせず、真直ぐに俺へと全ての意識を傾けた。
はてさて―――吠えたはいいが、ぶっちゃけ対【大虎】を超える山場だぞ。
完膚なきまでの相性ゲーを叩き付ける事が出来たトラ吉とは異なり、この【変幻自在】に対して俺は真の意味で明確な優位性を持ち合わせていない。
相変わらず敏捷で上を取れる事実はあるものの……天敵とはまた違うが、そう。
言うなれば、この青年は俺にとって正しく同じ土俵の相手と言えるのだ。
「お互い、勉強になるんじゃないか?」
「時間稼ぎって自分でも言っちゃってるんですけどね、悠長にお話してていいんすか?」
相手に合わせて【白欠の直剣】を喚び出しながら笑って見せれば、マルツーもまた僅かに口端を持ち上げて軽口を返す。
それはアレだよ、いいもなにも―――
「待ってるんだよ。『全開』とやらをな」
【変幻自在】の戦闘スタイルには、表と裏がある。さきほど彼自身が仄めかした全開とやらは、おそらくその裏側に当たり―――そして俺が見たいと思ってるのも、まさしくそっち側に他ならない。
「それはそれは、有情っすね」
「序列持ち同士の礼節は心得てるさ」
観客が見たいのは、こういうのだろ?
―――そして俺も、そういうのは嫌いじゃない。
「せっかくだ、全力全開でやろうぜ【変幻自在】」
「……トラさんが夢中になって引き際をミスったのも、何となく頷けるっす―――それじゃ、百秒間の殴り合いと行きましょうか」
どこかの誰かに似た獰猛な笑みを浮かべて、マルツーがその両手に持った短剣を構え、腰を落とす。
発される特大の戦意と序列持ちの威圧が、水路に大きな波紋を描くのを錯覚させ―――その頭上に、歯車で構成された異形の王冠が顕現した。
「―――《時欺の慧眼》」
己が権能を告げる青年の瞳が、視るものを焦がすかのような蒼炎を宿し、
「北陣営序列第九位、【変幻自在】マルⅡっす」
「東陣営序列第九位、【曲芸師】ハルだ」
互いの名乗りを、互いに「知ってるよ」と笑い合って―――俺たちは同時に、水を散らして宙へと駆け上がった。
女性陣二人が「ノリノリだなコイツら……」みたいな目で見てる。