一刀体現
―――変わった。
右手の槍を放って新たな武装を持ち出した青年が、その見事な翠刀を抜き放った瞬間。その身に纏う空気が明確に色を変えたのを感じ取る。
これまでと何が違うのか、咄嗟にそれは分からない。
しかしながら、『違う』という一点だけは間違いなく―――背筋を走った怖気にも似た感覚が、疑いようもない確信を齎していた。
アレはヤバい。
あの刀が、ではない。
刀を握ったその姿が、だ。
「悪いなトラ吉」
と、何故か膨れ上がる既視感を追い掛けようとしたところに、軽い声音が差し込まれる。右に翠刀、左に鞘を逆手に携えたハルは……フードの奥で、静かに笑う。
「これでやる以上、何があっても無様は見せられないからさ―――何もさせないくらいの勢いは、覚悟しといてくれ」
揺れた鋒の些細な動きにすら、最大の警戒を強要される。引き摺り込まれるように視線が吸い寄せられたのを自覚して―――【大虎】は全身を震わせて凶悪な笑みを滲ませた。
「おいコラ……武者震いなんて生まれて初めてやで。ええ加減にせえよ」
漏れ出た笑みは、とりもなおさず『期待』の証左。
大言を宣った【曲芸師】は、今まさに『剣士』として―――
「―――いざ参る、ってな」
踏み切ったその身体は、研ぎ澄まされた一刀と化す。
◇◆◇◆◇
結局のところ、俺は『縮地』を修得する事は出来なかった。
その事実は歯痒くも、最初から分かりきっていた事ではある。堪らなく悔しいのを誤魔化すつもりは無いが、納得の結果ではあった。
そしてその事実が何を意味するかと言えば―――結論、俺はまともに【結式一刀流】の技を扱う事が出来ない。
基礎の基礎たる一の太刀《飛水》であっても、再現が及ぶのは劣化の劣化がいいところ。勿論、ういさんが編み出した剣の理合そのものは幾らでも型に宿す事は出来るが……少なくともこの状態では、俺が結式一刀を名乗る事は憚られた。
だがしかし、俺が【剣聖】の弟子である事に変わりは無く。
であれば、何を置いても。
刀を握るのであれば、俺にはかの『至高』を穢すことの無い―――最強の俺を体現する義務があるのだ。
「―――『纏移』」
それは師匠から……ではなく、何故か彼女の御祖父様より名を賜った『縮地』の劣化版―――と、そう卑下するものではないとお叱りを受けた、俺だけの歩法。
『内』へ『外』を段階的に重ねる事で刹那の間【剣聖】に迫るその技は、高速から超高速への瞬間的な変速を実現する。
その挙動は強者の目こそを欺き、自分でも対応を過ちかねないと『師』に言わしめるほどのもの。つまりこの『纏移』は紛れもない―――俺だけの、特別な武器。
そしてそれは、如何な序列称号保持者と言えども、
「―――――――――」
初見での対応など不可能だろうと、お師匠様のお墨付きだ。
仮想世界の道理も水圧の負荷も薙ぎ払い、水路を割って懐へと跳んだ俺に、【大虎】は一切の反応を見せなかった。
知覚できていない。確信の下に、振るうは一刀。
水を散らして下段から跳ね上がった【早緑月】の翠刃が、逆袈裟の軌道で奴の脇腹へと吸い込まれ―――緑の輝きを宿した双眼と、しかと視線が噛み合う。
あぁ、まあ対処不能ってのは―――思考加速は例外なんだが。
反射的に刃を返して即座にその横を駆け抜ければ、頬を掠めた巨大な『何か』が奴の真正面に特大の水柱をぶち上げる。
《虎牙操躁》―――北陣営の序列第七位が保持する、特殊称号『大虎』のユニーク強化効果。
数いる序列持ちの中でも特別にシンプルかつ純粋な力に寄ったその権能は、不可視の四肢を具現化する能力―――より正確には、四肢の如く機能する巨大な顎を操作する力だ。
「このアホたれ……思考加速使うても姿が霞むってどないやっちゃねん」
「悪いな、脚の速さに関しては『神様』のお墨付きなんだ」
「誰やねん神様」
「さあて、俺を負かせたら教えるよ」
「ッハ……! 口の減らない新顔やなぁッ!!」
ドッと足元の水を爆散させて迫るその挙動は、先程までの荒々しくも精緻な体捌きとは全くの別物。両手両足に対応した虎牙、その脚部分を利用した『剛』の歩法。
《虎牙操躁》によって発現する不可視の顎は、記録が正しければ実にSTR:500相当の馬鹿力―――それによって実現される速度は、素の状態の比ではない。
そして、俺の速さはその比ですらない。
ありがたく使わせてもらうよ、『専属』細工師殿。
「赫け―――【赤より紅き灼熱の輝琰】」
白蒼の奥。戦衣の胸元に仕舞われた紅玉のペンダントが、羽根で織られた布地を通して煌々と紅の輝きを放ち―――全身に奔るは、拍動する真紅の焔。
特別な素材が使われている訳ではない。
誰にも成し得ない技術が使われている訳でもない。
ただ俺だけにしか扱う事が出来ないという点に於いて、こんなものを実用品として仕立てたのは仮想世界でもニアだけだろう。
その効果とは―――コンマ一秒ごとの連続割合自傷ダメージ。
《鍍金の道化師》の権能によって「ダメージを受けた」という事実を据え置きに、「体力の減少」という結果だけを放り捨てるという特大のズルにより、
実現するは、無法極まる《瞬間転速》の常時起動。
つまり、今この瞬間より―――
俺のアバターは、全ての加速の過程を破却する。
「―――……ッ!!?」
目前から消え失せた俺の姿を【大虎】が探す。その瞬間には、俺は既に接近と攻撃と離脱を終えていた。
切り返しは必要無い。眼に宿した《先理眼》の恩恵によって不可視の顎を掻い潜り、肩口に一刀を放りざま背後へ抜けた勢いのまま。
《強制交戦》によって召喚された障壁を駆け上がり―――限界高度に構わず突っ込んで、極大の反発力をそのまま足場にして真下へ突貫。
影を見て咄嗟に振り向いて見せたのは、流石の反応。だが、
「なんッ……!?」
奴の四牙、その不可視という極大のアドバンテージの一切を無視。
淡々と真赤な軌道予測を寄越してのける瞳に従い、鞘を挟んで滑るように迎撃の顎をいなして見せれば……驚愕のまま、堪らず【大虎】が動揺を漏らす。
「ハッタリでも強がりでも無いぞ」
果たして、右の翠刀は既に振りかぶられ―――奔り抜けた一刀が、今度こそ存分にその脇腹を搔っ捌いた。
水面に映る盛大な赤を噴き散らしたその身に、俺は告げる。
「―――ぶっちゃけ俺は、お前の天敵なんだよ」
言葉を失った【大虎】は、もういっそ呆れ果てたと言わんばかりの顔をして、
「……チャレンジャーは俺の方ってか? この怪物めが」
口の端に滲む笑みを隠せずにいるその様に、俺もまた小さく吹き出すのを止められず―――笑い合った俺達の足元で、また水が弾けて何度となく宙を舞った。
《先理眼》とかいうタイガー☆ラッキー特効。