象徴
油断も、侮りも、慢心も無かった―――だが結果として、その自負は確かなものではなかったのだろう。
力も技も出し切れないままに、無様にも叩き伏せられている現状がそれを証明していた。滅多打ちと言うに相応しい猛攻の末、背から突き抜けた痛打によってHPは三割程が失われている。
急所をピンポイントで狙って来るか、或いは大振りで必殺を狙って来るかしていれば対応は間に合ったかもしれないが―――果たして、コイツは中々にクレバーな手合いらしい。
僅かな隙をしっかり「僅かである」と見極めて確実な一手を差し込んでくる辺り、疑いようも無く抜群の戦闘センスを持っているものと評するしか無い。
―――問題無く楽しめそうだ。などと、つい先ほど己が口にしたばかりの言葉を思い返せば、苦いものが込み上げるのを止められなかった。
―――大言吐いて何やこのザマは、アホ晒すのも大概にしとけ。
上から目線で楽しめそうなど、どの口が言ったものか。こんなしょうもない奴を相手にさせられる方は、楽しむどころか堪ったものではないだろう。
散らされた水が再び流れ込み、地に張り付けられた身体を呑み込んでいく。
そして水越し、振り返らずとも分かる―――迫るのは追撃の気配。
目深に被ったフードの奥で、奴は言っていた。デビュー戦で初の山場をなんとやら、と……その通り、あぁ、その通りだ。
こんな面白い奴の初舞台を、こんなしょうもない一幕で飾るなんて勿体無い。
滅多打ちに熨されようが、得物を手放す事だけは有り得ない。指先に留まっていた槍を握り直し、腹の奥底に喝と―――溢れんばかりの熱をくべる。
そして、
存分に頭を冷やしてくれた水を吹き飛ばし―――再起する【大虎】の声無き咆哮が、迷路を染め上げる星空へと打ち上がった。
◇◆◇◆◇
「ッ゛―――!!」
突き立てた【魔煌角槍・紅蓮奮】をそのままに、容赦無く振り下ろした追撃の【巨人の手斧】が逸らされる。
真横からの、途方も無い衝撃―――それを成せる役者など、この場にはただ一人しかいない。
「―――《虎牙操躁》」
「チィッ!!」
耳朶を打った静かな声音に、舌打ちを残して全力で跳び退れば―――その瞬間、目の前スレスレを巨大な圧力が奔り抜ける気配。
拠点を飛び出してからこっち、瞬間転速の使用を重ねて半減しているHPなど容易く刈り取るだろう―――そう確信を抱く他ない、特大のプレッシャーを放つ『何か』。
「無様晒してすまんかったなぁ、曲芸師」
「っは、正体現しやがったな【大虎】……!!」
水を滴らせて立ち上がった姿。爛々とした輝きを宿す両目にかかる髪を乱暴にかき上げて―――その頭上に顕現するは、牙を思わせる装飾の施された黒金の冠。
それ即ち、序列称号保持者の証―――この世界から『頂点』の一人と認められた者だけに与えられる、力の具現。
特殊称号の効果発現を示す共通エフェクトにして、序列持ちそれぞれの特色を模した……俺の『割れた冠』と同種のモノだ。
傍らに俺が置き去りにした【巨人の手斧】を一瞥し、奴は楽しげに笑みを漏らして―――空の右手が掲げられると同時、重量数百キロにも及ぶ黒龍岩の戦斧が宙に浮く。
「ほれ、返すわ」
言葉と同時、ぞんざいに右手が振られた次の瞬間。
馬鹿馬鹿しいほどの大質量が、まさしく巨人に放られたかの如く凄まじい勢いで飛来して―――《ブリンクスイッチ》。
敢えて微動だにせず、目前で消し去ってハッタリを利かせれば……【大虎】は、どこか嬉しそうに口の端を吊り上げた。
「センスは抜群、技もキレキレ、オマケに呆れるほどのクソ度胸……ほんま気に入った。強敵という他ないわ」
「そりゃどうも……出来れば、そうなる前にご退場願いたかったんだけど」
評価されるのは喜ばしいが……といったところ。喧嘩を売ったはいいが、正直な所あまり引き延ばす訳にも―――
『―――おいハル、状況はどうだ?』
……いかないから。ほら、上司から確認の連絡が来た。
「あー……ちょうど今、お相手が本気モードになられた所で」
『あぁ? おい坊主……ならお前、本気になる前のやつに削られ過ぎだろうがよ?』
「いや、これは削られたわけじゃなく自分で削ったというか……」
「おうコラ、盛り上がり所やぞ。暢気にオッサンとくっちゃべっとる場合か自分」
『なに訳分かんねえこと言って……いやお前さん、長丁場前提の単独行動で自傷技使いまくってんじゃねえだろうな?』
「あの、ゴメンちょっと待っ……」
「白けさせんなや曲芸師。こちとら久方ぶりのマジモードやで、ちゃんとこっち向いとけ」
『自信があるのか向こう見ずなのか、こっちは判断付かねえんだからよ? あんまヒヤヒヤさせんじゃね―――』
―――いーやッ、あっちこっちで喋り倒すの止めていただけるか!!
「あーもう分かったよ!!―――速攻でキメてやるから見とけやッ!!」
果たしてそれは、目前と頭の中で好き勝手に喋りまくる野郎どもに対する同時宣言。改めて啖呵を切られた【大虎】は目を吊り上げ、
『おい、こらッ……!?』
【愚者の牙剥刀】の四連打―――更なる自傷連打の暴挙を、大将権限のメンバーステータス参照で把握したのだろう。
焦り声を上げるゴッサンを他所に、特殊称号【曲芸師】の強化効果《鍍金の道化師》が起動。
俺の頭上にも顕現した冠のエフェクトが水面に映るが、相も変わらず似合わな―――…………いや、これ顔が隠れてれば意外と……?
さておき、だ。
「ええやないか。自分のもイカしとるで」
「俺のセンスではどっちも悪趣味の範疇だが?」
牙の装飾に、真っ二つに割れた傾冠。それぞれの象徴を掲げて対峙する俺達を―――今更ながら、多くの気配が取り巻いているのに気付く。
【大虎】の後ろには、合流してきたのだろう追加部隊が。そして俺の後ろには、
「―――ようロッタ。観戦にでも来たのか」
「どこかの誰かさんの熱気にあてられてね。一目散に走って来たよ」
チラと一瞬だけ振り返って見とめた顔に軽口を叩けば、背中に返ってくるのはそんな気の抜ける言葉。
三十人近い連結部隊の先頭に立つ、まだ出来たばかりの友人は、
「観に来たよハル。ファンとして、君の更なる活躍をね」
相変わらず、芝居がかった台詞でもって。
わざとらしく、腹立たしくも、しかと俺の戦意を盛り上げて見せる。
何事か返事を返すのが妙に気恥ずかしく思えて、無言のままサムズアップを真横に掲げてから―――待たせたなとばかり、俺は真直ぐに正面の【大虎】へと視線を向け直した。
「そしたらまあ、茶々入れてくる無粋もんはおらんやろが……一応、使っとこか―――《強制交戦》」
二ッと笑みを描いたその口から鍵言が放たれた瞬間、奴を起点に放たれるのは金色の円環。
ソナーを思わせるリングは勢いよく拡大して、俺のアバターに触れた瞬間にその色を真紅へと変える―――そして形成されるのは、直径二十メートル程度。
ピタリと通路を塞ぐ大きさの真円闘技場だ。
「これが……例の専用スキルか」
内外を隔てるのは、薄紅のベール。見上げた星空はあるがままの紺碧で、天井のようなものは無いらしい。
とはいえ、元よりの制限である高度十メートルの力場は健在であるはず―――総じてこのフィールドは、俺にとっては有利にも不利にもなり得るだろう。
「舞台料は俺持ちや―――ほなやろか、ハル」
腰を落とし、構えを取った【大虎】が不敵に笑う。その表情は如何にも、これ以上は辛抱堪らないとばかりギラついた色に染まっていた。
「……はは」
そして俺は結局のところ、そういう『楽しさ』を追求する相手が、
「来い―――【早緑月】」
どうにもこうにも、嫌いではないのだ。
周りの連中は何してんのって?
人間国宝がタイマン張ってて、しかも片方は初御披露目のニューフェイス。
そんなのお祭り好きなら一も二も無く観戦するに決まってるでしょう?