視点は巡りて
「―――……マズいな」
水で満たされたフィールドを目にした瞬間、ゴルドウの口から零れたのは苦々しい呟きであった。
「マズいわね……」
「あっちゃー……」
続いて両脇から顔を出した雛世とミィナも苦笑いで続き―――皆一様に視線を送る先は、序列第十位の少年【不死】テトラ。
「ダメ?」
「ダメでしょ、どう考えても」
隣のリィナが首を傾げれば、彼は憮然とした顔でそう断言する。
「どうする? 流石にコレじゃ、隠密行動とか無理だけど」
「だよなぁ……」
当初予定していたテトラの役割は「とあるプレイヤーの暗殺」―――その対象とは、今回の戦争で大々的なお披露目となる新たな序列九位……その天敵となるであろう、南の序列称号保持者。
ソートアルム序列第四位【全自動】―――プレイヤー名は【Fuji】。
同じく南の第五位【剛断】と共に序列入りしてからというもの、四柱戦争に必ず出場している魔法士である。
序列上位という時点で化物じみた強者であるのは当然だが、加えてその特性が東陣営の新顔……【曲芸師】に対して極めて有効であるだろう事は、本人以外に周知の事実。
勝敗に直結するポイントゲッターの天敵―――とりもなおさず、今戦いに於ける最優先排除目標といって差し支えないだろう。
だからこそ、徹底的な相性ゲームでかの【全自動】を完封できるテトラにその役割が振られたのだが……
「言っとくけど、隠密無しで近付くとか不可能だからね? ハチの巣にされて、また不死(笑)のネタを提供するのがオチだよ」
「分かってるっての。あー……どうすっか」
四柱戦争の舞台となるフィールドは、毎回入場するまでその様子を知る事が出来ない。それでも唯一の例外を除けば、これまで戦略に影響するような環境設定は無かったのだが……
―――溶岩の川が流れているなんて冗談みたいな地獄絵図に比べれば、コレもまだ可愛い方と言えてしまうだろうか。
「俺が護衛について、二人掛かりで仕留めに行こうか?」
そう囲炉裏が提案を挙げるが、ゴルドウは首を横に振る。
「序列持ちが固まって動いてたら、フジの奴は絶対に顔なんか見せねえだろうよ。アイツは『勝てない戦は回れ右』が信条だからな」
「……追い回すにしても、それでハルにぶつかりでもしたら目も当てられないか。まぁ、考えるのは任せるよ」
「あぁ。お前とゲンコツは予定通り、迷路が開いたら突入してくれて構わん」
フィールドに転移してから十分間。まさに今回のようなイレギュラーに対応するためのものだろうが、設けられた猶予期間の間は迷路エリアに侵入する事が出来ない。
水で満たされた長く幅広い路の先。口を開ける黒岩の亀裂を指して待機を告げれば、【護刀】と【双拳】はそれぞれ頷いて歩いていく。
「私は……少しフォローして回った方が良さそうね」
「頼む。遊撃部隊の連中を纏めてやってくれ」
想定外の環境に浮足立っているように見えるプレイヤー達を眺め、仕事を見出した雛世も輪を外れていき―――
「ねぇゴッサン。そもそもお兄さんはコレ大丈夫なの?」
「あん?」
残ったのは代案待ちのテトラと、防衛役ゆえに拠点待機となるミィナとリィナのペア。そのうちミィナが足元の水をジャブジャブとやりながら、『お兄さん』が待機している城へと目を向けた。
訳あって本来は謎空間に埋まっている地底城ルヴァレストだが、四柱戦争のフィールドに顕現する城は空間同期されたレプリカ―――よって、いま現在はその和洋折衷とでもいうような奇妙な外観も目にする事が出来る。
ともあれ、少女が意識を向けているのは見飽きた建物ではなく、その中で出番を告げられるのを待っている青年だ。
「ステルスもそうだけど、ランナーもヤバくない? 敏捷型にしたこと無いから分かんないけど、こんなフィールドでも走れるものなの?」
「無理だと思う」
「無理でしょ」
首を傾げるミィナの言葉に、知識でもってリィナが。そして経験でもってテトラが解答を発する。
「このゲームの『環境補正』は現実よりも強調されてる」
「アバターの性能とかほぼ無視してくるからね。どれだけ極端な敏捷特化でも、こんな水の中で走ろうとしたらメチャクチャ負荷が掛かってスタミナ持ってかれるよ」
「はぇー…………で、リィナちゃんはどこでそのお勉強したの? あたしがお兄さんバリに無知だと思われるからヤメて?」
「情報なんてネットにいくらでもある」
「あり過ぎてなに見たら良いか分かんないんだってば……」
澄まし顔で答える相方の頬を両手でムニムニしながら、「で?」とミィナはゴルドウへ問い直す。
「そこんとこ、我らがお兄さんはどうなの? ランナーが走れないんじゃ、そもそも作戦総崩れ―――」
「彼にその心配は要らないよ」
と、少女の問いに答えたのは正面に立つ大将ではなく。小柄な三人組が振り向いた先に立っていたのは、赤い法衣を身に着けた亜麻色の髪の男性プレイヤーだった。
「おうロッタ―――仕上がったか?」
「完璧に。総大将殿」
現れた馴染みの顔相手へジャレつきにかかる少女を受け流しながら、【見識者】はその手に持っていた巻物をゴルドウへと渡す。
大きく頷き、彼がそれを開けば―――そこに記されているのは、複雑怪奇に入り組んだ迷路の道筋。今回の戦時フィールド、その全体マップである。
「毎度の事だが、数分程度でよくやるもんだな……今回も、役立てさせてもらうぜ」
「どうぞ、存分に」
元序列称号保持者である【見識者】の権能と、彼自身の技術の併せ技。
システム的なマップ機能が封じられている四柱戦争に於いて、巨大迷路の全貌を如何に早く詳らかにするかは戦局に関わる重要なファクターだ。
各々の陣営に、ロッタのように個人技能としてマップ制作を修めている専門家が必ず存在しているが―――東の【見識者】と言えば、その精度と速度に並ぶ者無しと持て囃されるほど。
過去の四柱でも大いに勝利、或いは善戦に貢献してくれた彼こそ、影の大黒柱と言っても大袈裟ではないだろう。
……と、いったところで、だ。
雛世や各班のリーダーの働きもあり、部隊も凡その落ち着きは取り戻している。
猶予期間は間もなく終わり、迷路への道が開かれる事だろう。
共に序列入りしてからこれまで、変わらぬ右腕から必要な物も貰い受けた。
―――ならば、準備は整った。
大仰に一歩踏み出せば、開幕を間近に大将の様子を窺っていたプレイヤー達が反応を見せる。顔を引き締め、自然と整列した彼らの中央へと歩み出て―――トンと、こめかみに指を当てた【総大将】は口を開く。
「そろそろ出番だぜ。出て来いよ」
相変わらず緊張しているか、はたまた待ちくたびれてシビレを切らしているか。戦争時限定のスキル《念話》で声を掛ければ、頭の奥に返事が届き―――
「おう。あぁ? シケたこと言ってんじゃねえ。こういうときゃド派手に登場するもん……あーあー分かった分かった」
総勢三百弱の注目を一身に集めてなお自然体。気負いなど一切ない様子で『誰か』と会話を続ける彼が、空を仰ぐ。
「お前さんの好きにしろ―――お披露目だぜ、【曲芸師】」
瞬間。
聞き取ったその名に理解が及ぶより先に、
彼に続いて空を見上げるより先に、
音も無くその隣へと降り立った白蒼の姿が、全ての視線をさらう。
羽根で織られた白の衣装に、手足を守る夜空の甲。
多くの者はその腰に提げられた短刀の情報圧に目を引き寄せられ―――次いで、目深に被ったフードの奥にある暗闇へ目を凝らす。
隠蔽効果が付与されているのだろう。僅かに窺い見れるのは口元のみで、全体の雰囲気から辛うじて年若い青年である事が推測できる程度だ。
「改まって自己紹介ってのも間抜けだろうよ。なんか適当に一言あるか、ハル」
「え、一言……―――あーっとぉ……?」
果たして、ゴルドウの言葉に引き攣った口から零れた声は多くの推測に違わぬ青年のもの。
慌てふためく……まではいかないが、彼―――【曲芸師】は困ったようにフードの上から頭を搔きつつ、
「……よ……………………よろしく、お願いします?」
―――と、我ながらクッッッソ情けない挨拶をかました瞬間。
俺の無様に堪らず噴き出したゴッサンと、煽りの具現の如き腹立たしい表情を浮かべた赤色娘に左右からド突かれる。
アウェーの極致で呻きながら味方を求めて首を回せば……目に入るのはお澄まし顔のリィナと、お澄まし顔に見せかけて笑いを堪えている様子の先輩の姿。
あとしれっとこの場にいるロッタ。おい貴様なんだその格好は。
実は元序列持ちだけに飽き足らず、そもそも剣士ですら無かった的な? 徹底的に人を化かしやがって、絶 対 に 許 さ ん 。
「もういいから……はやく始めようぜ……」
暇なのか何なのか知らないが、調子に乗った赤色にガックンガックン揺さぶられながら。溜息交じりに呟いて、俺は現実逃避がてら大きなお月様を眺めている事にした。
―――心の中では勿論、刑罰執行のカウントダウンを忘れずに。
五秒後、満天の星空にたわけの悲鳴が響き渡ったのは言うまでもない。
側から見ても芸術的なまでのウザ絡みだったからおそらく許される。
むしろファンは「悲鳴助かる」まで思ってそう。