とくべつなひと
もう随分と慣れた、現実から仮想への感覚の変遷。
セーフエリアの道端。転移門の傍らにあるベンチで目を覚ました少女は、見上げれば既に満天の星空に覆われた夜空へ向けて、大きく伸びをして―――
「っ……!」
暫く前から何かと防御力の低下してしまった自らの装いを思い出し、パッと腕を下ろす。ファンタジー然とした世界観のアルカディア基準では、多少派手な衣装とて気にする必要など無いと分かってはいるのだが……
恥ずかしいものは、恥ずかしい。現実世界では、こんな肩だの腋だのと肌を曝け出したような服を着た事など無いのだから。
幸い、見回しても周囲に人気は―――
「ぁ、ぅ……」
あった。
チラチラと此方を見ていた二人の男性プレイヤーと目が合ってしまい、慌てて立ち上がった少女―――ソラは、万が一にも声を掛けられる可能性を嫌ってその場を後にする。
自分の容姿が異性の目を惹く事など、嫌と言うほど理解しているから。
仮想世界では現実ほど外見は重要視されていないが、それでも他人を評価する要因から外れることはない。
この世界でも当然、際立った容姿は他者を惹き付ける。
―――なんて、今はそんなこと、考えていたくない。
プレイヤーの手によって敷かれた整然とした街道を、足早に進みながら。少女は頭を振って、ようやく一区切りが付いた現実世界のしがらみを思考から追い出す。
ネガティブなものに限れば、感情を押し殺すのは得意だ。ここ最近、内心では随分と参ってしまっていたことも『彼』にはバレていないだろう。
それで良い。
この世界には、そういうものは持ち込みたくないから。
「……―――」
無意識のうち、声には出さず名前を呼んでしまった事にソラは気付かない。
パートナーに、早く会いたかった。
◇◆◇◆◇
「……どうかしたんですか?」
いつの間にやら、ソラにとってはもう自由の象徴とでも言うべき青年。
駆け足でやって来た時、既に待ち合わせ場所にいた彼は……なんだろうか? あまり見た事の無い表情でボンヤリとしていた。
「んー……俺にもよく分からん」
振り返ったその顔に浮かぶのは―――戸惑い、かもしれない。
「なんか最近アイツ……いや、最近って訳でもないのか……?」
「……?」
小声でひとり口籠る様は、何というか本当に彼―――ハルらしくなくて。
今はいつも通りの顔を見せて欲しいなんて、我儘だろうか。
……すぐ傍にいる、パートナーを見て欲しいなんていうのは。
「……―――こんばんは、ハル」
「あぁ―――こんばんは、ソラ」
だから、意識して出来る限りの笑顔を見せれば―――首を傾げながらも、彼は此方に目を向けてくれる。
―――自分を、見てくれる。
出会ったあの日からずっと、他の何者でもない自分だけを。
「……良い事でもあった?」
「はい、ほんの少しだけ」
そう答えれば、ハルは「そっか」と軽い言葉で受け流す。
無関心な訳ではない。踏み込まないままに、ちゃんと見守ってくれているのだと分かっている。それはまるで、兄のように。
年下扱い、妹分扱いが、不服であると同時に心地良くもあった。
いっそのこと、割り切ってもっと甘えられてしまえば……色々と、楽になるのかもしれないけれど―――そこまで我儘に振る舞えるほど、ソラは子供ではない。
だから……これが限界。
ベンチに座っていた彼の隣に腰を下ろして、置かれていた手の端―――小指を捕まえる。
「ソラさん?」
「なんでもありません」
人目が……という呟きは、聞こえないフリ。
特大のイベントごとを目前に控えた、大鐘楼前の大賑わいの側である。これ以上に手を伸ばす気なんて無いから、今は目を瞑ってほしい。
「もうすぐ本番ですけど、集中しなくて大丈夫ですか?」
「いや、うん……うん……? ……まあ、いいか」
果たして、誤魔化しは効いたようで―――……誤魔化されてくれただけなのは、分かっているけれど。
「集中というか何というか……直前まで来るな、とにかくリラックスして適当に過ごせって言われたもんだから」
「直前まで、ですか?」
「あぁ、なんか十分前に重役出勤して来いとか」
それは……色々と、大丈夫なのだろうか?
「打ち合わせとか、無いんです……?」
「まあその辺は昨日ひと通りやったから……とにかく、緊張せずいつも通りの動きが出来るようにってさ」
無茶言うなっての―――と、ハルは笑う。
「正直、選抜戦なんかとは比べ物にならないよな……一周回って、自分が緊張してんだかしてないんだか分からなくなってきた」
「それは、その……無理もないと、思いますけど」
比喩ではなく、全世界の目が向けられる舞台―――これから彼はその舞台に、大きな『役』を与えられて立つ事になるのだ。
覚悟なんて、どうすれば出来るのだろう。
もし自分が同じ立場だったなら……このパートナーのように、例え取り繕っているのだとしても、笑顔を浮かべられる余裕なんて持てるのだろうか。
「……やっぱり、あなたは特別ですよ」
「うん?」
小声を聞き逃してくれないのは知っているから、呟きは口の中でほんの囁きのように。聞き取れず首を傾げたハルに、ソラはクスリと笑みを零した。
「ハル」
「なに?」
「いつも通りです。隣に立てない時は、いつも通り―――見守っていますから」
「……それは、うん。頼もしいな」
「しっかり、格好良いところを見せてくださいね」
「それはプレッシャー」
「ういさんのお弟子さんなんですから、頑張らないとダメですよ?」
「それはマジな方のプレッシャーなんだって……!」
「む……パートナーよりお師匠様の方が、優先順位は上ですか」
「ソラさん?」
「酷いです。ういさんに言いつけちゃいますから」
「ちょ……待て待て、話し合おう。そういうアレじゃないのは、ソラならちゃんと読み取って―――」
「そういうアレもコレも知りません。ちゃんと説明してください」
「急に我儘モード入ったな???」
苦笑を浮かべながらも……そういう彼こそ、緊張を解そうという此方の思惑はしっかり読み取っているのだろう。
わざとらしく拗ねるソラに、ハルもまたわざとらしくご機嫌取りに走り―――会話に気を傾けた彼の意識の外で、握った小指に想いを込める。
どうか私のパートナーが、存分にその力を発揮できますようにと。
どうか私のパートナーが、この比類なき大舞台を―――
心のままに、楽しむことができますようにと。
今のうちに糖分補給を済ませておけ……
戦争が始まったらこういうのを挟む余地が
いや分かんない。遠隔で甘さが発生するやもしれない。