生徒より先生へ
「―――それで、スキルが発現した後については」
「はいストップ」
今回の件についての、己の立場を説明する為なのだろう。
囲炉裏が身の上話を始めてから沈黙を守っていた俺は、傍から聴いているだけで重たい過去を―――しかし、余りにも軽い調子で話し続ける奴の口を止めさせる。
「なんだ、まだ途中だが」
「なんだじゃねえんだわ。お前……お前、『大した話じゃないから適当に聞け』とか言っといて……」
なにが大した話じゃないって? おぉ?
「…………左手、まだ悪いのか?」
中学時代に部活をやっていた程度ではあるが、俺だってスポーツマンが身体を壊すというのがどういう事かくらいは理解出来る。
本人がこの惚けた調子でもなければ、素直に訊くのも憚られただろう―――が、囲炉裏は怪我の関与しない仮想の肉体の左手を、冗談めかしてヒラヒラ振りつつ笑う。
「リハビリが上手くいってね。握力の大半は戻らなかったけど、日常生活を送る分には何の問題もない程度には回復した」
「……そう、か」
それは、良かったと思う。けれど、言葉に出す気にはなれない。
「なんで君が落ち込んだ顔してるんだよ。まだ話は終わってないし、別にネガティブな内容じゃないとも初めに言っただろう」
「これでネガティブじゃないって、お前の精神構造はどうなってんだ……?」
「それでまあ……先生にはその日の内に頭を下げて、道場通いは打ち切らせてもらったんだが」
「この流れでさも当然のように続行するのは、俺のメンタルに対する敵対行動と取るぞ???」
半眼で睨み付けてやるも、鼻で笑い飛ばした囲炉裏は話を止める気は無いらしい。次々と俺の胃に負荷をぶち込んでくれた口を開き、奴は小馬鹿にしたような顔を向けてきた。
「なにを勝手に胃を痛めたような顔してるのか知らないが、最初からしっかり俺の話を聞いてたのか?」
「聞いてたからこんな顔してんだよなぁ?」
「なら、読解力ってやつが足りてないな」
何だとこの野郎。こちとら現役文系大学生で―――
「―――子供の頃から打ち込んできた剣道の道を閉ざされて、少しだけ寂しく思ったで終わらせるような奴だぞ」
「はぁ……?」
「剣聖の技を修得できない? システムに不適格を告げられた? それがどうした―――その程度の事で、俺が不貞腐れる訳ないだろう」
―――……………………………………、
「えぇ……」
何コイツこわ……メンタルの化物か?
「いや、流石にお前それは……」
「そりゃ、悔しさが無かったと言えば噓になる。けど後を追い掛ける事が出来ないからといって、彼女に追い付けないと決まったわけじゃない」
ふっと零した笑みは、どこまでも自然なもので……囲炉裏が口にする言葉が、全てその本心なのであろう事が分かってしまう。
「道が閉ざされたなら、別の道を見つけて走れば良いだけなんだ―――仮想世界へ来て学んだことを、また繰り返すくらい訳も無いさ」
「………………」
…………………………はぁ。
っはぁ~~~~…………なんなの???
―――お前、それは格好良すぎるだろ。
「先生の……【剣聖】の道は俺には合わなかった。なら俺は、別の道で自分だけの剣を磨く―――そしてあの日、一目惚れした彼女に並んで見せる」
言葉を失って呆けるままの俺を置いて、遠くを見つめる【護刀】は言葉を結ぶ。
「もう何があったって壊れない身体があるんだ、止まることなく走って行けば……いつか届くさ」
……いやもう、何を言えば良いというのか。
どんな言葉を選んだとて、この場に相応しい答えになり得るとは思えない―――そう思って口を噤むしかない俺に振り返ると、囲炉裏は雰囲気を解して軽い笑みを浮かべて見せた。
「一目惚れって言うのは、剣士としてだぞ。そういう意味じゃないからな、茶化すなよ後輩?」
「……………………はぁ、茶化してんのはどっちだよ……」
沈んで、呑まれて、解かれて―――散々に感情を引っ掻き回された俺は、脱力して気の抜けた返事を返すのが精一杯だ。
「……んで? 結局、俺に向けてた妙な視線は何だったんだ」
此方から切り出した、思うところってやつだ。それに関してまだ答えを聞いていない、と横目を向ければ―――
「『期待』さ。あとは……まあ、『感謝』だ」
「期待に感謝ぁ……?」
何でも無い事のようにサラリと囲炉裏が返してきた答えは、想像していたものとは真逆と言っていいものだった。
「どうせ、『生徒』の俺が『弟子』の君に嫉妬でもしていると思ったんだろ? っは、舐めるなよ」
「いや、まあ、その……」
状況的に普通はそう思うじゃん……?
いつもの調子に戻った囲炉裏は、図星を突かれて顔を逸らす俺を小突いてくる。的確に鳩尾を狙ってきたのは、不満の表れだろうか。
「先生の下を離れた事に、後悔は無い。けど、負い目はあった。ただ与えられるだけで、俺は結局あの方に……何も返す事は出来なかったから」
言葉通り、悔いは無いのだろう。そして負い目を口にしながら―――普段通りの爽やかな笑みが崩れる事も、もう無さそうだった。
「歓迎する、と言っただろう。俺は君に『期待』してたんだ―――知りもせず『外』を使いこなしている君なら、あの方の技を修められるんじゃないかってね」
「……選抜戦の時から、気付いてたのか?」
「当たり前だろう? 誰の生徒だと思ってるんだ」
期待していた、と―――誰かと似て真直ぐ前だけを見つめているコイツの思いは、きっと言葉よりもずっと大きなものだったのだろう。
その事は試合以降、軽口を叩きながらも積極的に俺へ歩み寄っていた事からも察せられる。
そして俺のためというよりも、それは―――
「まんまと期待に応えてくれたな、ハル」
こいつが誰より敬愛するであろう、彼女のために。
『生徒』から『先生』へ、『弟子』を送り届けるという恩返し。
「……試合だけじゃ飽き足らず、またお前の掌の上かよ」
「なんだ、不満か? 今度は謝るつもりはないぞ」
おちょくりやがって、ふざけんなこの野郎。
「不満なんてあるかよ……―――ありがとな、先輩」
「こっちの台詞さ。この世界に君が来てくれて良かったよ、後輩」
差し出された手は、これまでも何度か交わした握手の誘い。
けれど今回のそれは、安易に応じるのを思わず躊躇うほどの重みを感じさせて―――取れば強く俺の手を握ってくる『左手』は、やはり重く。
「先生を頼んだ―――存分に、夢を叶えさせてあげてくれ」
師匠と併せて二人分、期待の圧し掛かる身体の重さに苦笑いを零しながら―――その手を強く握り返さずには、いられなかった。