刀の軌跡
―――子供の頃から、剣を振るのが好きだった。
とは言っても勿論、本物の刃なんてものを扱っていた訳では無い。ただありふれた、スポーツとしての「剣の道」に身を置いていただけ。
しかしながら、才能に関してはありふれた者ではなかったようで。
どれだけ厳しい練習も苦ではなく、周囲の誰より早く技を修め、試合に出れば敵は無し―――竹刀を初めて握ってから天才と持て囃されるようになるまで、そう時間は掛からなかった。
秀でた容姿も相まって、成長するにつれて注目は更に高まっていき……高校二年のインターハイを目前にした、夏の日の事。
過去から繋がり、そして未来へも続いていくはずだった栄光の道は突如崩れ去る。
歩道橋の階段で、前を歩いていた老人が足を踏み外した。
何を考えたでもなく、咄嗟に身体が動いて―――ひとつの命を救った代償は、左手の複雑骨折。握力のほとんどを失うほどの後遺症を伴う、紛れもない大怪我。
もっと上手く動けていればという反省はあっても、後悔は無かった。竦む事なく身を挺する事が出来たのは誇らしかったし、道の閉ざされた自分を支えてくれる人も、大勢いたから。
ただ、好きだった剣を振れなくなってしまったことを、少しだけ寂しく思いながら。リハビリに励みつつも、暫くの時を平穏に過ごして―――
出会いの―――否、画面を隔てた邂逅の日が訪れる。
選手から観客へと身を移してなお、好きは褪せる事なく。試合の動画や記事などを日常的に探す中で……いつからか検索ボックスで『剣』の文字を打ち込むたび、予測変換に入り込んでくる『剣聖』なるワードに目を引かれた。
別段、それ自体は珍しい言葉という訳でもない。流行りの漫画か何かの話か? と軽い気持ちで情報を追い掛けてみれば―――果たして、それは世間で話題をさらっている【Arcadia】というゲームの中の話だった。
剣聖という言葉が指していたのは、世界で唯一の仮想世界とやらで大層強いらしいプレイヤーの事であったようで……曰く、並ぶ者のいない刀の使い手だとか。
正直な話、あの頃の自分は【Arcadia】というものを単なる遊びとしか認識しておらず、散々にその【剣聖】を誉めそやす言葉の数々を見て失笑を零していた事を覚えている。
―――剣術ならば『お姫様』をも上回る。
―――文字通りの一騎当千。
―――最強の刀使い。
―――合法ロリ剣聖。
お姫様云々や最後の方に関しては首を傾げながらも、共通して抱いていたのは「侮り」に他ならない。
―――たかがゲームのプレイヤーの話だろ。そんな風に鼻で笑いながら、ネットの記述に誘導されるままひとつの動画を再生して……
安易な侮りに対しての後悔、そして人生最大の感嘆に呑まれるまで、数分と掛からなかった。
画面の中央に映し出された小さな身体が相対するのは、五十を下らない戦士の集団。まさしく漫画やアニメ然とした現実味の薄い光景の最中―――『彼女』が振るった剣は、何よりも真実を具現してそこに在った。
お遊び?―――とんでもない、『彼女』は本気で剣を振るっている。
ゲーム?―――違う、『彼女』はあの世界で剣士として剣を振るっている。
途方も無く美しかった。そして―――途方も無く、悔しかった。
現実か、仮想世界か。生身か、アバターか。そんな括りなど一切関係なく、『彼女』の在り方に剣士として明確な敗北を認めている自分を自覚したから。
また、剣を振りたいと思った。
満足に動かない己が左手を見つめれば―――そうするために自分が何処へ向かえば良いのかは、もう分かりきっていた。
一年後。学業の傍ら遮二無二働いて稼いだ資金に、生まれて初めて両親に本気で我儘を言い援助してもらった分を併せて、最大の問題だった購入費用は何とかクリア。
審査も無事に通り、仮想世界へと足を踏み入れた後は早かった。
元々持ち合わせていた剣のセンスが、実際に身体を動かしてプレイする仮想世界に於いて役立たない訳もなく。時にはソロ、時にはパーティを渡り歩きながら、二ヶ月と少しを掛けてチュートリアルエリアを突破。
その頃には広く道場の門を開いていた『彼女』の下へ辿り着くまで、そう長くは掛からなかった。
遂に出会う事の叶った『彼女』は剣の技のみならず、若いながら人としての在り方さえも見習うに足る人物で―――それからの数ヶ月。生徒となり夢中で教えを受けている間は、比喩なくそれまでの人生で最良の日々であったと断言出来る。
元来、一つの事に夢中になるとそれ以外が見えなくなる性質だ。
ただ剣を振るために。自分と、先生と、刀以外に目を向けないままでいる内、飛ぶように日々は過ぎ去っていき―――
唐突に我に返り、気付いた。
いつしか自分が、彼女の道場に通い続けるただ一人の生徒となっている事に。
その自分さえもが、彼女から何一つ技を受け継げていないという事に。
彼女の剣―――結式一刀の核となる、『縮地』という埒外の技術。
そしてそれを成すために必須となるのは、『内』と『外』という理解し難い二種の操作概念を完全に支配する事。
常人に容易く成し得る事ではない……故に、多くのものは早々に諦めて去っていく。それが常であり、いつまでも残っている自分の方が異物だった。
情けない連中め、根性が無い―――気付いた傍からそんな事を思いかけて、更にまた気付く。去るも残るも、そんなもの彼らの自由ではないか。
何故なら、これはお遊びなのだから。
アルカディアは【Arcadia】でしかなく、仮想世界という存在自体は、どこまで行ってもゲームという娯楽の域を出ることはない。
それを『真実』と成すのは唯一つ、自分の意思だけ―――あの日、画面の中に見た【剣聖】のように。
湧き上がったのは納得と、強烈な反骨心。
他の誰が諦めようと、自分だけは絶対に彼女の技を修めて見せると。
技を修め、自らで更に磨き上げ、いつかはその隣に立って見せると、強く誓って―――とあるスキルを獲得したのは、その数日後の事。
スキル名は『延歩』―――移動系のスキルだ。
それは「一歩進む」という事象を捻じ曲げ、その移動距離を大幅に延ばす……効果内容の詳細はどうあれ、見た目には完全に瞬間移動としか言えないような効果を実現するもの。
『縮地』による高速移動と、同じ類のもの。
アルカディアに於ける『スキル』とは、基本的にプレイヤー本人では成し得ない事を可能とするため、システムが授けてくれる超常の力だ。
そう、プレイヤー本人では、成し得ない事を。
つまり、『縮地』を習得すれば身一つで実現可能となる動きを、システムによって与えられた自分は―――その技を修める事は出来ないと、仮想世界に告げられたようなものだった。
なんか急に重ためですが、長引きはしませんのでお付き合いくださいませ。