その身に湛えて
◇アーツを修得しました◇
「―――……」
四柱戦争本番を翌日に控えた、夕刻のこと。
視界端に流れるシステム通知、脳裏に刻まれる新たな力の詳細を意識の隅で捉えながら。俺はゆっくりと目を開けて、己がもたらした成果を見据える。
師が誂えてくれた打ち込み用の木人形―――剣聖本人の太刀ですら数度は受け止めて見せる耐久度を誇るそれが今、『刀』を振り切った俺の目前で粉々に砕け散っていた。
「―――ハル君」
呼ばれて振り返れば、ジッと俺を見守っていた『お師匠様』と目が合う。万感の―――と、自惚れて良いだろうか。溢れ出さん限りの想いを湛えた笑顔を向けられて……『弟子』としては、素直に誇らしい限りである。
鍛錬用にと与えられた打刀。もはや右腕の延長となるまでに慣れ切った重みを鞘に納めて、身体ごと向き直りしっかりと頭を下げる。
「ありがとうございました―――お陰様で……なんとか間に合いました」
「……いいえ、あなたの努力の賜物です。師として、誇らしい限りですよ」
そう言いつつ手を伸ばして見せるのは、もはやお馴染みの仕草。
思えばもう、出会ってから二週間が経つわけだ。相も変わらずこの世界での出会いというやつは、短い時間で驚くほど深い繋がりを結んでしまうもので……
普通に生きていれば、現代ではそう縁の無いであろう『師弟』という結び付き。それがすっかりと当たり前となってしまった今では、お師匠様からの愛情を受け止めることに躊躇いは無くなっていた。
―――恥ずかしさが無いわけではない。ただそれ以上に、『弟子』を大切に思ってくれている『師匠』の気持ちに応えたいというだけで。
膝を折って頭に手を受け入れれば、彼女は本当に嬉しそうに笑ってくれるんだ。もう男女がどうとか意識するなど失礼というもの……これを躱すなんて選択肢は無いだろうよ。
「では―――約束通り、あなたに贈る物があります」
額を撫でるようにかき分けられた前髪の向こう側、灰色の瞳が真直ぐに俺を見ている。丁度良い―――頷き返し、俺はそのまま石畳の上で片膝を突いた。
預かっていた打刀を鞘ごと捧げるように掲げれば―――剣士というか、これではまるで騎士だろうか?
きっと、考えていたのは同じこと。徐々に厳かな雰囲気を纏いつつも、生来の和みが滲み出て止まない師と笑みを交わした。
俺の手から取り上げた刀を袴の帯に差して―――入れ替わりに、元より其処に収まっていたもう一振りが抜き取られる。
何の装飾も無い単純な品だった返上物とは異なり、そちらは鞘に納まったままでも「特別」である事が察せられる見事な造りの三尺刀。
基本に忠実な菱巻きで柄を彩る糸は深い黒緑。刃との境界に嵌め込まれた美濃鍔には―――桜だろうか? 咲き始めを思わせる開花しかけの花模様が描かれていた。
黒塗りの鞘に散らされた模様は、やはり桜の花弁。嫌味無く黒を彩する桃色が暗色寄りの全体の中で際立ち、武器というより芸術品のように見えてしまう。
―――しかしながら、これは刀だ。真に重要なのは外面ではなく、鞘に納められている刃にこそ命が宿っている。
ゆっくりと、澄んだ鞘鳴りと共に抜き放たれた刀身は翠鋼。まるで透き通っているようだと錯覚してしまうほどに透明感のある翠色に輝く鋼を、見事な簾刃の刃文が優美に飾り立てていた。
ういさんは【剣聖】であり、また彼女自身が『刀匠』でもある。西陣営のように生産に関する加護は持たないが、理由あって彼女の打つ刀は本職の職人達にも引けを取らないらしい。
つまりその一振りは、全美な様に違わぬ至高の品であるという事。
「―――銘は、【早緑月】といたしました」
鞘に納め直した翠刀を抱え直し、俺に向き合ったういさんがその銘を詠んで微笑む。その柄頭で揺れる新緑色の飾り紐に至るまで、目を奪われっぱなしだった俺は思い出したように呼吸を再開する。
唾を飲むのをすんでの所で堪えたのが、果たしてバレてしまったのだろうか。もう一つだけ穏やかな笑みを零して―――彼女の瞳が、【剣聖】のものへと遷り変わる瞬間を見た。
「―――受け取っていただけますか、我が弟子よ」
「―――謹んで頂戴いたします、我が師よ」
掲げた両手に、確かな重みが載せられる。
「ならばこれにて―――あなたを結式一刀流、初伝と認めます」
告げられるは伝位の授与。手に収まった【早緑月】が、その重みを増したように思えるのは、きっと気のせいなんかではないのだろう。
顔を上げれば、授けられた刀の向こう側で……
「……っ、ふふ…………何と言いましょうか、此処まで畏まってしまいますと……」
ただ一粒、涙を零すその姿に目を奪われる。
「流石に少しだけ……恥ずかしいですね」
喜びも、照れも、何もかもを隠さずに向き合ってくれる師の姿に―――
「―――……っ、あ゛り゛が゛と゛う゛ご ざ い゛ま゛す゛ッ……!!」
男十八歳、人生で初めて人前でのマジ泣きを経験する俺だった。
やだもう、超恥ずかしい。
◇◆◇◆◇
男女がどうだの意識しないとか、お師匠様のスキンシップを受け入れるのに今更躊躇いはないとか……いや、本心だよ? 本心ではあるんだけれど―――
「お師匠様?」
「なんでしょうか、ハル君?」
「なんでしょうかじゃないんですよ。今日という今日はもう覚悟を決めて言わせていただきますが……」
見上げるご尊顔は今日も変わらずお美しくいらっしゃる……じゃないんだわ。
未だ克服しきれぬ、二種の出力を用いた後の副作用。気怠い頭をふわりと包む柔らかな膝の感触は、そりゃもう許されるなら無限に享受していたい。
でも、普通に考えて許されないのでね?
「甘やかし過ぎというか何と言うか……あの、俺も一応、男ですからね?」
と、正式に弟子となってから一週間ほど―――子煩悩ならぬ弟子煩悩と化してしまった剣聖様に、遂に俺はお説教を試みる事とする。
「こう、むやみに触れ合うのはよろしくないというか、剣聖様の品格的にもですね? あとまあ俺の感情面というか、健全な男子としては色々と精神衛生上の問題が……その、分かりますよね?」
ういさんはやや感性が独特な所もあるが、基本的には常識的かつ思慮深い御方だ。コレだって何の自覚も無しにやっているわけではないだろう、俺の言葉にもテンプレよろしくハテナを浮かべたりはしない。
「ごめんなさい、分かってはいるんです。分かってはいるんですが……やはり、憧れでしたので」
「憧れ……? え、と……男に膝枕をする事が、ですか?」
それはちょっと彼女らしからぬ……と勝手な解釈違いに謎のダメージを受けかける俺を見て、ういさんは「そうじゃありませんよ」と可笑しそうに微笑んだ。
「男性にではなく、弟子に……いえ、違いますね。おかしな言い方になってしまいますが、面倒を見る相手に、でしょうか」
「はぁ……」
実際に俺は面倒を見て貰っている立場なので、間違っちゃいないからおかしいとは思わないが……
「……お祖父ちゃんが、私の小さい頃によくこうしてくれたんです」
「あぁー……」
あぁー……それ、は……
その流れは、ちょっ…………と、俺に効きますねぇ……?
「縁側で日向ぼっこをしながら……ふふ、あの頃はそうしてお昼寝をするのが日課でしたね」
はい本日の十割。エモーショナルに訴えてくるのは反則なんだよなぁ……!
だが、しかし……!!
「そ……れでも、やっぱりよくないものはよくない、かと……」
流石に、な。
例えばこの場をソラに見られたとして、俺はまず間違いなく罪悪感を感じるだろう―――その時点で、この状態を見逃し続ける訳にいかない理由には十二分。
少しでもそう感じてしまうのならば、正さなければなるまいよ。
大切なお師匠様との関係に、やましさなど欠片とて抱えていたくはない―――
「………………」
「っ……、…………」
ない……ん、だけど……―――ちょっと待って、そんなに? そんなに悲しそうな顔します……!?
俺の師匠が弟子煩悩過ぎて幸い―――間違えた、辛い……!!
「……いやです、と素直に我儘を言いたいところですが」
「そこまで言われちゃうと、断る自信が無いので勘弁していただけると……」
「ハル君は優しいですからね。師として、弟子に付け込むような真似は出来ません」
優しさではないですね、間違いなく。ええ、俺も男なので。
「でしたら、もう―――理由を作るしかありませんね」
「は……はい? 理由?」
おい、またなんか始まったぞ。
剣聖様特有の、超速結論からの爆速展開が始まったぞ……!!
「ハル君に、私の我儘を受け入れなくてはいけない『理由』を作ってしまいましょう。私が悪者になってしまえば、あなたの体面を庇う良い口実になります」
「いやいやいやいや……! いつにも増してなに言ってんすか……!?」
ういさんを悪者にする時点で、自動的に俺がそれを超える大悪党になるんですがそれは。
何をする気かは分からないが、彼女自身が画策してそれをしたとしても、俺の認識ですら俺が悪者になるんですがそれは……!!
「ふふ」
「ふふじゃないんですよねぇ!!―――あ、え、ちょ……待って……どこへ、何処へ連れて行こうというのでしょうか……!!」
まだ僅かばかり本調子ではない身体で起き上がらされて、外見に見合わぬステータスでグイグイと俺を引っ張るお師匠様に連行されて道場の中へ。
プレイヤーのステータス的にどうしても屋内だと手狭になるので、修行は基本的に外がほとんど。休憩所代わりの縁側は慣れ親しんだものだが、内部へ立ち入った回数は多くない。
広々とはしているものの、特筆するべき点は無い道場然とした道場の造りだ。壁も天井もあるため、俺に限らずういさんもこの中で全力を出すのは不可能だろう。
ちなみにまさかの土足OK。汚れたりしない素敵仕様だからね、そういうところだけ実にゲーム的である。
そんな道場内へと連れて来られ、立ち尽くす俺に差し出されるは『木刀』―――ははーん読めたぞ? 甘やかしを継続するか否かを試合で決めるって魂胆ですね?
なんで?????
「ちょっと待ってください……! こんなの初めから結果が見え―――」
「あら、私は言いましたよ?」
十歩。俺に木刀を押し付けて距離を取ったういさんは、自らも得物を提げながら悪戯っぽく微笑んで見せる。
「私が悪者になってしまいましょう、と」
故意犯……!!
「くっ……いや、ま、負けませんよ……!! なら一分、いやさんじゅ……十秒! 十秒耐えられたら俺の勝ちって事で良いですかね!?」
我ながら日和りまくりだが、たったの十秒とてこちとら決死の覚悟である。この二週間で以前までの自分とは別人と言えるまでの成長を果たしたことは自覚してはいるが、その程度で手が届くほど俺のお師匠様は甘くない。
「それはもう、全く構いませんよ」
ほら見ろよあの表情。負ける可能性など微塵も考えちゃいない―――相も変わらず、自身の武威に関しては絶対の自負を持った御方だ。
弟子としては、この上なく誇らし―――
「では―――参ります」
「―――……ぁ」
木刀を握る右手、そして右足を大きく後ろに引いた半身の姿勢。
緩く開かれた左手は、まるで駆け出す予備動作の如く軽く肘を曲げ胸の前へ。
そして低く―――地に水平になりそうなほど体勢を低くしたその構えは、
俺にとって、一番ダメなやつ。
「結式一刀―――七の太刀」
「ちょ、待―――ッ!!?」
「―――《七星》」
掻き消えた姿は、既に目で追うこと叶わず。百パーセント反射的な行動で正中線に木刀を構えるが、
「ッ゛……!!」
不可視の一撃によって瞬時に手から弾き飛ばされ―――それと同時に背後に、
足元に、
首筋に、
脇腹に、
肩に、
腰に、
全て同時―――否、同時に等しいコンマ以下の間隔しか存在しない、神速多角連撃が俺の全身へと襲い掛かった。
理屈的には俺の高速機動と同一のもの。見て、敷いて、辿る―――それを彼女にしか出来ない『縮地』をフル活用して行えば、こうなるという埒外の神業。
つまりは、俺というプレイヤーの完全上位互換とも言える挙動。
躱せるわけがない―――そう、以前までの俺だったなら。
糸が舞う。
細く細く、蒼く光る糸が舞って―――
「―――終の太刀」
交錯する七閃。それを瞬間的に上回る速度で上へと跳び逃れた俺に、紛れもない『死刑判決』が言い渡された。
超連続で用いられた縮地によって生み出された太刀の威力、そしてそれを繰る身体に生じた勢いや反動―――それら全ては、本来であれば使い手のアバターすらも破壊して然るべき絶大なエネルギー量であるはず。
だが剣聖は、それすらも己の剣と成す。
それはさながら、神速の舞踊。何がどうなっているかも分からない、これまた神業めいた足捌きで回転するまま。彼女の手の中で砕け散りそうなほどの威力をその身に留めたままの木刀が、目の回りそうな乱回転をして見せて―――
【曲芸師】のお株を奪うかのような、人間業ではない体捌き、刀捌きの末に―――鞘に見立てたのであろうその左手に、既に自壊を始めた木刀が装填された。
ギシリ、と。
空間の軋みを錯覚するほどの圧を湛えたその構えに至るまで、およそ一秒。
ようやく落下を始めた俺が、既に諦めの表情で見つめる先。
先の七閃―――全ての威力を上乗せされた必殺の一刀が、解き放たれる。
「―――《唯風》」
耳元を風が通り過ぎた気がして―――その時には既に、俺のアバターは塵ひとつ残さず消し飛ばされていた。
弟子を好きに甘やかすために全身全霊で弟子を消し飛ばす師匠がいるらしい。
人を消し飛ばす木刀の一撃とは???