師弟
「……あの、ういさん」
「身体の事でしたら、心配はありませんよ」
曲がりなりにも『内』と『外』の併用を成功させ、その反動なのかピクリとも動かせなくなってしまった俺のアバター。
鉛のようだとか、そんな次元ではない。比喩無しに一切の身動きが取れなくなり、もう十分ほどが経っただろうか。
俺を縁側まで運び寝かせてくれた剣聖様曰く―――「初めて縮地を成功させた時は似たような状態になった」との事。数十分も経てば副作用も散るらしいので、その点は心配していない。
繰り返し運用訓練を続けていれば身体が動かなくなるなんて事も無くなるらしいので、そちらについても不安は無い―――ならばなぜ俺が、笑顔を見せる彼女に何とも言えない視線を向けているのかと言えば……
「いえ、ではなく……本当に、床に放り出してくれて結構ですので……」
「いいえ、いけません」
有無を言わせずとは、まさにこの事。
死に体となっている俺の頭をいつぞやのように膝に載せて、請えど願えど放り出そうとはしてくれず―――それだけに止まらず、見て分かるほど上機嫌に髪など梳いてくるものだから堪らない。
こちとらもう素直に「子供」とは言い難い十八歳男子大学生。四つ年上のお姉さんに膝枕された上で優しげに頭まで撫でられて、一体全体どういう顔で受け止めれば良いというのか。
本当に、何を思っていらっしゃる事やら。
このところは確かに、順調に打ち解けられているという自覚もあった。しかしながら、いきなりコレは流石に行き過ぎである。
ういさんの態度の変わりようには、おそらく何かしらの要因があるのだろう。
「―――お祖父ちゃん……祖父が、言っていました」
ジッと見つめれば、果たして俺の疑問が伝わったのか。
穏やかな手つきで、けれどもどこかぎこちなく。慣れていない様子で俺の髪を梳くままに、彼女は微かに眉を下げて笑んで見せる。
「教えても覚えが悪い者は、可愛い生徒。教えるだけ覚えて見せる者は、自慢の生徒―――そして……教えてもいないのに見て盗む者は、悪い生徒だ、と」
「悪い……生徒」
急な話の意図が分からず、気になった部分を復唱すれば……まるで「あなたの事ですよ」とでも言うように、前髪をかき分けた指先が額を優しく叩く。
「どこまで伸びるだろうか。どこまで育つだろうか。どれほど自分の先へと進んでくれるだろうか―――そんな風に、教える者を夢中にさせてしまう、悪い生徒さんという意味です」
「はぁ……」
教えてもいないのに盗んだ―――というのは、少し違う気もするが……直接的に教わらないまま、見よう見まねで模倣を成して見せたというのは、まあ事実か。
いや、ぶっちゃけあれ『縮地』でも何でもないんだけどな。言うなれば、多段アクセルで無理矢理にギアを蹴飛ばして追加速しただけ。
本物とは似ても似つかない、劣化版と称することすら烏滸がましいレベルだ。
「期待して貰えるのは嬉しいですけど……残念ながら先は無さそうというか、多分あれが俺の限界で―――」
「ハル君」
たまにお茶目で聞こえないフリをしたりもするが、ういさんは基本的に他人の言葉を遮ったりはしない。
そんな彼女が声を差し込んできたことを意外に思って口を止めれば、俺を見下ろす灰色の瞳はこれまでになく真剣な色を宿していた。
「私の【結式一刀流】に連なる技は、全てにおいて『縮地』を前提の基礎としています」
「え、と……そう、ですね」
これまで何度となく立ち合いをする中で、彼女が編み出したアーツは幾つも目にしてきた。そのどれもこれもが尋常ではない、極致とでも言えるような見事な技の数々だったが……
惜しむらくは、その再現難度が高過ぎる点。彼女の言う通り、結式一刀のアーツを会得するためには『縮地』が―――というよりも、『縮地』の習得に要する『内』と『外』の同時運用こそが必須条件なのだ。
例えば、一の太刀《飛水》―――起こりが存在せず、真正面からの奇襲という矛盾を実現する瞬息の剣も。
例えば、二の太刀《打鉄》―――強烈な踏み込みの勢いを遠心力に転じ、固定した太刀を金棒と成して鋼を砕く剛力の剣も。
後に続く様々な剣技、それら全てに例外は無い。
「けれど……私の力不足、ですね。これまで多くの方に乞われ、教示の真似事をしてきましたが……誰一人、会得へ導くことはできませんでした」
声音は決して明るいものでは無かったが、俺を見下ろすういさんの表情に影は無い。ずっと前を向き続けているこの人の事だ、自分の心には既に折り合いをつけているのだろう。
「…………『師匠』ではなく『先生』なのは、そのせいだったり?」
と、思い切って口にした俺の言葉は、果たして的を射ていたようだ。
意表を突かれたように、僅かばかり目を瞬かせたのち後―――「先生でも過分なくらいですが」と、彼女は少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。
「満足に技も授けられない者が、『師』と呼ばれていい筈がありませんから」
……成程ね、納得した。
初めて会った時から、違和感はあったんだよ。【剣聖】と【護刀】―――共に刀を扱う序列持ちにして、教えを受けたのどうのと口にしているくせに『先生』と呼び続ける囲炉裏にな。
疑問と言うほどではない、あくまで違和感程度だが……普通そこは、先生ではなく『師匠』と呼びそうなものでは?―――ってな。
「……私は、お祖父ちゃんに憧れていました。いえ、今もずっと、変わらず憧れの人です―――そんな祖父のように、私もまた……誰かに剣を教えてみたかった」
けれど、ういさんが仮想世界に於いて編み出した『技』は、あまりにも特異。
彼女自身以外に、会得できる者は終ぞ現れず―――囲炉裏に俺を紹介された時、躊躇い顔を曇らせたあの場面に繋がった……という事か。
「多くの方になどとは、初めから望んでいませんでした。誰か、ひとり……―――ただひとりで、良いんです。私も憧れの人のように、『師』になってみたい」
熱を、視た気がした。
ジッと、ジッと、ただ真直ぐに俺の目を見つめ続ける灰色の瞳の奥に、
『誰か』を求める、渇望の熱を。
「―――ハル君、お願いを聞いてください」
焦っても、慌てても、ういさんの声音はいつだって穏やかだった。
こんな風に、例え僅かでも……震えを忍ばせた声なんて、聴いたことは無い。
どうしようもなく理解できてしまう。
俺にとっては、唐突でしかないこの状況も―――彼女にとっては、待って待って待ち続けた、焦がれ続けたその瞬間なのだろうという事を。
多くのプレイヤーが会得出来ずにいた『縮地』を曲がりなりにも模倣して見せた俺は、彼女の求め続けていた『誰か』足り得るのだろうという事を。
「…………はい、何でしょうか」
聞く構えを整えた俺に頷いて、ういさんはゆっくりと深呼吸をしてから―――
「―――私の『弟子』になっては、いただけませんか」
紡がれた言葉に宿る熱は、愛の告白とでも聞き違えてしまいそうなほど。
その熱が伝播するのは、他でもない俺の心のド真ん中。
いや、だってなぁ―――こんなの、堪らんだろうよ。
誰かに心の底から『自分』を求められるなんて―――人生で何度あるかも分からない、一世一代の大事件に違いないのだから。
相も変わらず身体は動く気配を見せず、格好が付かないことこの上ないが……俺の返事を待ち望む剣聖様を、あまり待たせるわけにもいかない。
「……それはむしろ、此方から頼むのが筋でしょう」
まさしく、願っても無い事だから。
俺も彼女に倣って、深呼吸をひとつ―――
「俺で良ければ、あなたの『弟子』にしてください」
果たして、膝を借りたままという失礼極まりない姿勢のままに挨拶をした『弟子』に対して―――
ほんの一瞬だけ、くしゃりと表情を崩した『お師匠様』が微笑みを返す。
「「不束者ですが……っ」」
続いて、示し合わせたように声を重ねた俺達は、どちらからともなく。
二人して気が抜けたように、笑い合うのだった。
キャラクターのバックボーンが密度高すぎて
どう足掻いても情報の開示が追いつかない件について。