道は見えども前進は遠く
「―――ハル君、何か良い事でもありましたか?」
「え、なんか顔に出てましたか」
「それはもう、いつもより表情が柔らかく見えますよ」
「いやぁハハ……何というか、新しく友人になれそうな人達と縁がありまして」
「まあ。それは素敵ですね」
「願ったり叶ったりというか、降って湧いたというか……相手の厚意に甘えただけなので、若干情けなくはありますが」
「そんな事はないと思いますよ。魅力の無い人に、縁は寄って来ません。そして魅力のある人というのは得てして、何かしらの努力を積んでいるものです」
「……え、あ、褒められてます?」
「褒めていますよ。ハル君は魅力的です―――はい、捕まえました」
「言葉の繋ぎが殺人的……!!」
攻め手の十歩ピッタリ。当然のように俺を捕まえたういさんがふわりと微笑み、二重の意味で敗北を喫した俺はガックリと項垂れる。
もう何度、何十、何百―――下手をすれば何千と積み上げた敗北を見上げて、しかし俺の胸に落胆や絶望はもはや無い。
未だ一度も勝利出来ていない現実に悔しさが無い訳ではないが、それでも得る物は確かにあったから。
―――思考だけで身体を動かし過ぎている。
そして自分で気付く事こそ肝要と言われてから、俺はずっと考え続けていた。
まずこの『鬼ごっこ』について、この修業は一体なんのためのものか―――簡単だ。これは言わば、休みなく考え続ける鍛錬。
左右の足を必ず交互に出す、更に攻守それぞれの歩数制限という縛りを設けた上、「歩く」という一定の速度下で延々と相手の思考を読み続ける。
勝敗が関係無いとは言わない。しかし、それはこの鍛錬の主題では無い。
おそらくは、囲炉裏が「手本」と称した立ち合いでわざと勝敗を有耶無耶にして見せたのは……いや、断言は出来ないけどな?
多分、きっと、それを教えようと……思っての事、ではないかなぁ? という疑いが……その、無きにしも非ず。
ともあれ、解答自体は間違っていない。それは先日この答えに辿り着いた際、ういさん本人から正答の判を頂いている。
つまるところ、この訓練が何になるのか? より正確には、仮想世界でこの訓練をする事に、何の意味があるのか。
要は、現実世界で言う走り込み―――仮想世界に於ける体力づくりである。
勿論それだけではなく、この『鬼ごっこ』は実戦でも応用できる駆け引きの訓練なども兼ねた複合的な修行だが……主題はやはりそれ。
精神疲労=肉体疲労と成り得る仮想世界は体力=精神。間断無くぶっ続けで負荷の高い思考を強いる事で、これを鍛える事こそが目的なのだ。
次に、ではその修業を課す事で「俺が気付ける」ことは何か?
注目すべきは、俺と彼女の圧倒的なタフネスの差。仮想世界の幻感疲労にステータスは関係ないため、VIT:0とかいう舐めきった俺の耐久力がどうこうという話ではない。
連続で百戦―――ういさんは呼吸一つ乱さず、俺は疲労困憊。
連続で二百戦―――ういさんは呼吸一つ乱さず、俺は意識混濁。
連続で三百戦―――ういさんは呼吸一つ乱さず、俺は無事死亡。
流石におかしい。いや、剣聖様はそりゃ天上の存在だが、彼女も俺と同じ人間である事には変わりない。
修練のレベルが違うと言えど、差が余りにも大き過ぎるというもの。
俺の脳のスタミナが彼女と比べて十分の一だとか百分の一だとか、そんな事は流石に無い筈なのだ。
ならば何故か―――ここで剣聖様のお言葉がヒントを……というか、もう答えそのものを俺に齎した。
―――思考だけで身体を動かし過ぎている。
つまり、俺は思考でアバターを操作している。
ういさんが剣聖たる所以の一つである、《縮地》の核となる二つの出力の話。
彼女が語った、「内」と「外」―――俺はいつしか、「外」の力だけで己がアバターを操作していたと、どうもそういう事らしい。
そうと仮定すれば、思い当たる節は随分前からいくつもある。
幾度となく潜り抜けてきた死地に於いて、度々経験してきた勝手に身体が動く感覚。思考など追い付いていないとばかり思っていたが、反射的に出力されたイメージがアバターを突き動かしていたのだと考えられなくもない。
加えて、正直自分でも何やってんのか分からなくなる事も多い高速機動。予めルートを敷いておき、後はそれを辿る事だけを考えてアバター操作に集中する―――実際それこそが、肉体の思考操作だったのでは?
思えば、ここ最近の俺はバテるのが早過ぎる。
選抜戦の各試合、囲炉裏戦―――ソラとの試合だって、実を言えば相当キツかった。
果てはこの鬼ごっこだ。いくらぶっ続けとはいえ、一時間少々で立ってもいられなくなるとはどういうことなのか。
同じ一時間でも、途方も無い格上である【神楔の王剣】と一瞬も気の抜けない死闘を戦い抜いて見せた俺は何処へ行った?
【螺旋の紅塔】では二日間、実時間にして十五時間オーバーの終わりなき全力ダッシュマラソンを走り抜いた俺は何処へ行った?
然して、恐らくはそこが転換期。
かの馬鹿げたダンジョンで最適化された俺のアバター操作こそが、ういさんの言う「外」の出力操作だったのだ。
精神こそが体力である仮想世界で、俺はずっと思考操作で―――言うなれば、操り人形のように自らを動かしていた。
他のプレイヤーがオートマチックでアバター操作している中、俺だけマニュアルどころではないアホみたいな労力を掛けてひいこら身体を操っていたという……
―――いや、疲れるに決まってんだろ馬鹿じゃねえの。
……で、だ。
「気付けたとはいえ、なぁ……」
ならばそれを『矯正』出来るかと言えば、そう簡単には行かないわけで。
相変わらず俺は百戦も続ければ息が切れるし、そもそも何をどう矯正すれば基本出力を「外」から「内」に戻せるかも分からない。
というかぶっちゃけ、戻すとか言っても何をどう戻すのって話。基本出力も何もなくない? 普通はそれらを意図的にコントロールする事が出来ないからこそ、剣聖様は【剣聖】なわけで―――
「自ら気付けた―――何度も言いますが、それこそが肝要です。たった二日で答えに辿り着いたのですから、ハル君は偉いですよ」
……という事で、二日前。修行開始の翌日にはこの事実に思い至り、既にういさんにも答え合わせをしてもらっている。
成否はと言えば、先の鬼ごっこの主題についてと同じく大正解。
それからというもの剣聖様は妙にご機嫌というか、先からの言葉選びでも分かる通り若干俺の扱いが変わっている気がしないでもない。
何というかこう……「人から預かっただけの教え子」に、僅かずつ愛着でも湧いてきたかのような―――
「リィナさんではありませんが、私も努力をする人は好ましく思います」
そんな言葉と共にスッと両手が伸びてきて、優しく肩を押される。
「そして……努力を積み上げ、しっかり前へと進もうとする。そんな健気な姿を見せられてしまえば、支えたくもなるというもの」
自然と背筋が伸びて視線を持ち上げれば、いつも通り―――もしかすると、いつもより更に優しく微笑む『先生』と視線が合って。
「ですから、頑張りましょう―――私も、お付き合い致しますから」
「―――……っ、その…………よろしく、お願いします……」
……と、思わず目を逸らしてしまったのは、正面から見つめ合うのが恥ずかしかったからでは―――いや、うん、恥ずかしかったからだ。
決して、
「……? どうかしましたか?」
「なんでもないです」
決して、俺の肩へと手を伸ばしている彼女が―――
爪先立ちで一生懸命背伸びしているその様が、可愛らしくて仕方なかったから……とかでは、断じて、無いのだ。
なんか難しいこと色々言ってたけど剣聖様が全部持ってったわ。