鬼ごっこ
「鬼ごっこ、ですか」
れっすんわん―――口調がゆったり穏やか過ぎて、いつもながら横文字が平仮名にしか聞こえない剣聖様。
そんな彼女が提示した一つ目の修行案を聞いて、思わず周囲を見回した俺が思うことは一つ……いや流石に狭過ぎでは?
繰り返すが、舞台の直径はおよそ五メートルほど。端と端からよーいドンで始めても、二、三歩で手が届いてしまう程度の広さしかない。
「勿論、いくつか条件は設けますよ」
と、流石に此方が疑問を抱くのは承知していたのだろう。ういさんはそう言って補足に入る。
「まず、走ってはいけません。これは、両足が同時に地を離れてはいけないという意味です」
「ふむ……早歩きはOKですか?」
「構いませんよ。ですが、速さでどうにかする趣旨のものではありませんから、お互い一定のペースで歩く程度がよろしいかと」
ん-……歩き鬼、的な?
「加えて、必ず左右の足を交互に出すこと。そして、追う側と追われる側それぞれに歩数を定めます―――追う側が十、追われる側が二十です」
「ん、ん……なる、ほど」
複雑、と言うほどでもないか? 有利不利も、一度やってみない事には上手くイメージが出来ない……いや、流石に追う側が有利か。
歩数が倍になったところで、この狭さでは逃げ方も限られるだろうし。
「とにかく、何度かやってみましょうか。まずは私が追われる側に回りますので」
「そう……ですね。では、お願いします」
お辞儀をすれば当然のようにういさんも続き、俺達は小さな舞台の上で向かい合って一礼―――同時に一歩を踏み出して、剣聖様の「れっすん」が幕を開けた。
◇◆◇◆◇
「―――馬鹿な……ッ!」
「ふふ……私の勝ち、ですね」
攻守を変えて十回ずつ―――通算戦績は0勝20敗。綺麗に完敗を喫した俺は、ほわほわと微笑む剣聖様の前で両手両膝をついて打ちひしがれていた。
「……ういさん、実は魔法使いでした?」
驚嘆すべきは、術理すら理解らぬその立ち回り。攻めでも守りでも成す術なく手玉に取られた俺が、半ば呆然と問い掛ければ―――剣聖様は悪戯っぽく微笑んで、
「あら……気付かれてしまいましたか?」
「うっ……ぐ……」
こ、この人さぁ……! お茶目も完備してるのが本当に卑怯なんだよ……!!
カウンターをぶち込まれて視線を逸らす俺を他所に、傍へ寄ってきたういさんが手を差し伸べてくれる。
「そう落ち込まなくて大丈夫ですよ。例えば囲炉裏君も、初めて私を捕まえるまでに一週間は掛かりましたから」
「一週間……」
あの【護刀】をして一週間かぁ……いやまあ、うん。
確かに納得せざるを得ないほどの、魔法みたいな立ち回りだったけどさ。
―――しかし、成程。
囲炉裏は彼女に一矢報いるまで、一週間を要したと……なるほどねぇ?
「それはそれは……何というか、やる気が出ますね」
我ながら、意地の悪い顔をしているであろう事は自覚している。そんな俺を見て案の定ういさんは首を傾げるが―――こちとら負けたくない相手を引き合いに出されたら、俄然やる気も刺激されるというもので。
「あー……つまり、あれですよ。六日以内に捕まえれば俺の勝ちってことで」
「……ふふ、男の子ですね」
差し伸べられた手をありがたく取らせていただけば―――小さな手で力強く俺を引っ張り上げて、剣聖様は楽しげに笑う。
「では、囲炉裏君を驚かせるためにも頑張りましょう」
「っす、お願いします!」
「どちらにしますか?」
「攻めで!」
飛んだり跳ねたりするわけでもないので、運動量自体は大した事ではない。幻感疲労の影はまだまだ遠い果てにある。
それぞれ舞台の両端に寄り……
「それでは―――始め」
「ふッ―――……!」
まずは距離を詰めなければ始まらない、右足で大きく一歩。
そして―――ういさんもまた、小さく一歩前に出る。
もう一歩踏み出して手を伸ばせば、ギリギリ指先が届くであろう距離。俺はまた一歩左で踏み込んで、
「ん、のっ……!」
伸ばした手は、半歩退いた彼女に届かない―――このパターンか。なら……!
前後に広く開脚した状態から右足を半歩前へ、そして左足を持ち上げて―――大きく後ろへ。
そうして左へ身体を開けば、俺の脚運びを見てそちらへ逃げたういさんを正面に捉え、てぇ!?
ト、ト、ト、と決して速くはない歩みのはず―――それなのに、何故か俺は正面からすぐ横をすり抜けた彼女に反応出来ない。
遅れに遅れて咄嗟に振った手は、擦れ違う灰色を掠めること叶わず。そのまま距離を取られ続けて……
「はい、私の勝ちです」
「馬鹿な……ッ!!!」
いやマジで……! 訳が分からん……!
見えてるのに、気付けてるのに、なぜ反応出来ない……!?
「ハル君、難しく考え過ぎです。動きが硬くなっていますよ」
「いやあの……動きが硬くなるどころか、なんか物理的に身体が固まるんですけど……」
今のだって、普通に身体が動いていたら呆気無く捕まえられていたはず。鬼ごっこを始めてからというもの、度々コレである。
おのれ剣聖様……もしや本当に謎の魔法を使って、
「繰り返しますが、ハル君は思考だけで身体を動かし過ぎです。貴方が貴方自身を縛り付けてしまっています」
「…………思考で身体を動かしてる?」
「それだけ考えが視えていれば、意識の隙間を突くのは簡単なことですよ」
ハイ出ました剣聖様。間違いなく簡単な事では無いと思います。
「祖父曰く、無拍子という技術だそうです。今のハル君が相手なら、私でも真似事が出来てしまいますね」
「むびょ……なんか知らん達人の技ァ……」
達人のお孫さんは達人ということか、ういさんはサラッと松風清志郎氏のリアル技能を模倣してみせたらしい……さておき。
「考え過ぎと言われても……考えて動かないと、とてもじゃないけど捕まえられる気がしませんが……」
初めの内は俺も「とりあえず特攻」くらいの勢いで挑んでいた―――が、流石というかそれはもう巧みに逃げられてしまい、当前の如く連敗。
それからは彼女の動き方を記憶に刻みながら、試行錯誤を繰り返している現状だ。
確かにアレコレ考えながら動いちゃいるものの……結果は振るわないとはいえ、無策では話にならないと思うのだが。
「……やはり、まずはそこですね」
困惑を露わに教示を求めれば、ういさんは「意を得たり」とばかりに頷いて、
「こういった事は、自分自身で気付く事が肝要だと思いますので―――ひとまずは、徹底的にやりましょうか」
……と言って、微笑む。
「……………………」
―――嗚呼、綺麗な笑顔だ。
見惚れるような微笑みだ。
然して……見覚えのあるその色は、いつ目にしたものだったか。
確か、そう、それは―――彼女に出会ったその日。
ボッッッコボコにされた三十分間、
その直前に見た笑みと同じで―――
「…………あ、の……お手、柔らかに……」
「ええ、勿論です―――それでは、時間の許す限りに」
ッスゥウー―――…………………………………………
ソラさん、助けて。
鬼と鬼ごっこ。