見ずひとつ、見てひとつ
「それでは、あの…………あの、お会い出来て光栄でした……!!」
「ふふ……大袈裟ですよ。いつでも歓迎しますから、また遠慮なくいらしてください」
ハル君と一緒でも、お一人でも―――と、微笑むういさんに手を取られて。
一度は落ち着いた感情がまたも溢れ出しているのだろう、目をグルグルさせてアワアワしているソラの隣。俺は調子を取り戻したのであろうその様子を見て、内心ホッとしていた。
結局、あれから一時間ほどだろうか。
途中で微かに様子を狂わせたソラに、果たして気付いてか否か。あれで素晴らしく話し上手な剣聖様は、怒涛の和みオーラでお茶の席を制圧。
容易くファンを虜にしてしまう、『穏』の化身のような彼女と二人。剣聖様お手製の御茶を手にのんびりする俺を他所に、ソラは終始お喋りに夢中になっていた。
―――で。
ういさんもういさんで、途中からは無垢に懐いてくるソラが可愛くて仕方なくなったのだろう。晴れて両想いとなった女性陣二人は、もうこのまま何時間でも……というぐらいの勢いだったのだが、流石にそういう訳にもいかず。
いつもよりは時間を確保したといえど、それにも限りがある。現在のリアル時刻は午後六時過ぎ―――ソラもだが、ういさんの方もログアウトの頃合いだそうな。
俺も一度落ちて夕飯の流れかな……夜には例の鳥狩りに行かにゃならんし。
さっさと追加の素材を届けないと、謎の罵倒を最後に連絡を絶った藍色娘の機嫌がどうなるか予想が付かないから―――結局「いっぱい」ってどれくらいだよ……?
「ハル君」
「っと、はい」
もう一度ニアに確認しておこうかと考えている所に、ソラとのやり取りに区切りが付いたのだろう剣聖様のお声が掛かる。
そちらへ足を向ければ、HPを全損したらしきパートナー殿が逃げるように此方へ飛んでくる。赤くなった顔を隠すように俺の背中へ隠れる様子を見て、ういさんと二人で和やかな笑みを交換した。
「明日からの稽古については、昨日お話した通りです。ハル君が時間の取れる時に来て頂ければ、いつでもお相手いたします」
「……重ね重ね、どうぞよろしくお願いします」
頭を下げれば、此方こそとお辞儀を返されてしまう。いやはや俺からも返せるものがあれば良いんだが……せめて彼女の厚意に応えるためにも、全力で学ばせていただこう。
「それでは……ハル君、最後に一つ」
既に開け放たれた門の外。見送り間際の締め括りにと、何やら近付いて来たういさんに手招きをされる。
距離的にも仕草的にも、耳を貸してほしいという意図だろう。
背中にソラが引っ付いているんだが、果たして内緒話の意味はあるんだろうか―――そう思いながらも、腰を折って小柄な剣聖様の口元に耳を寄せれば、
「―――試合の幕引きについて、気にされていましたね」
「っ…………」
耳元に掛かる息遣いよりも何よりも、耳打ちされた内容に思わず息を呑んでしまった。それはまさしく、俺が今の今まで心をモヤつかせている原因であるからして……
アレを見て、明日より自身が教えを乞う事となる彼女が抱いた感想。その回答を予感して身を固める俺の様子に―――何を思ったか、ういさんは柔らかく微笑んで、
「私は、好ましく思いましたよ」
「……え」
そりゃあ彼女の性格からして、本気で失望の言葉を聞かされるだなんて思っちゃいなかった。されどもアッサリと渡された肯定の言葉を、咄嗟に飲み込む事も出来ない。
そんな俺を見て楽しげに首を傾げながら、ういさんは言葉を繋ぐ。
「詳しくお聞きになりたければ、また改めてお話ししましょう。ですがそれより、ソラちゃんに訊いてみてください」
名前が出た瞬間、背中からピクリと反応が伝わり―――いや、うん。この距離だからね、そりゃまあソラさんも聴こえてるよね。
というか、ういさん? 内緒話の体で聴かせるためにこうしましたよね? 流石にもう分かってるんですよ、貴女が武芸に限らず色んな意味で『巧者』だって事は。
「……ちなみに、何を訊けばいいんでしょうか?」
苦笑いと溜息を一つ、あらゆる意味で「敵わないな」と思わせる御人に教示を求めてみれば―――
「そうですね……では―――初めて試合をした感想、などがよろしいかと」
剣聖様はそう言って、穏やかに微笑んで見せた。
◇◆◇◆◇
「てことでソラさん、初めて試合をした感想は?」
「インターバルは無いんですか……!?」
ういさんに見送られて、二人で竹林の中を行く帰り道の最中―――最中と言うか、歩き出してまだ一分も経っていない。
そこまでの速攻かつ直球を予想していなかったのだろうか。戸惑うようなリアクションを返されるが……そりゃだって、ねぇ? ソラさんも聴いてたじゃないの。
俺に訊かれるだろう事は分かりきった状態で、わざわざ素知らぬフリを続けるのも大変でしょう?
せっかく話題があるなら遠慮無く触れるさ。俺だって別の事が気になって仕方ないから、自分自身の意識を逸らせるならありがたいんだ。
詳しく考えるまでもなく―――ソラが表情を変えた例の話題に関しては、何かしらそんな反応を零してしまうに足る事情があるのだろう。
そしていくらパートナーと言えど、俺にはそんな彼女の事情に無遠慮に手を伸ばす資格など無い。加えて言うなら、俺の方から詮索する気も毛頭無い。
所詮パートナー、されどパートナーだ。俺に話す必要がある―――或いは、話したいと思った時には、ソラの方から伝えてくれるだろうさ。
自惚れさせてもらうよ。俺達は既に、そのくらいの信頼は紡げていると。
だからこそ、いま俺が見るべきはそちらではなく此方だ。
「こっちもまぁ、俺から改めて触れる気は無かったんだけど……先生に言われちゃったらねぇ?」
俺はほら、先人の教えにはとりあえず素直に従ってみるスタンスなので。
「敏捷特化は止めとけ」とか「一般人は鎧着ろ」とか「全武器適性はゴミ」とか、そういう既に固まっていた価値観を真正面からぶん殴られた場合は要相談な。
俺の言葉に、ソラさんは「先生……」なんてボソッと呟きながら羨ましそうなジト目を隠そうともせず……気持ちは分かるけど真っ先にそこ?
あまりに戦闘スタイルの系統が違い過ぎるため「ソラちゃんの先生にはなれないと思います」と言われてしまっているパートナー様は、ズルいズルいと俺への嫉妬を隠そうとしない。
「手合わせならいつでも、とも言ってただろ? ソラさんもそのうち、剣聖様を存分に体感すると良いさ―――で?」
間延びしている質問を詰め直し、改めて解答を求める。するとまるで「答えづらいから話を逸らしていた」とでも言わんばかり、ソラは困ったような表情をしてフイッと顔を背けた。
「…………私、やっぱり対人戦……人と戦うのは、苦手かもしれません」
と、解答自体はくれるらしい。少女は歯切れ悪くそんな事を言って―――いや、あの……アレで苦手とか言われると、散々に追い詰められた俺の立場がですね。
今回は活躍の場が無かったが、この子あれに加えてぶっ壊れ支援魔法に回復魔法まで持ってるからね?
更に言えば装備品類は総じて新調前。スキルはひと月前からほぼ変わらずと、ぶっちゃけ俺の方が条件的には超有利な状態であのザマである。
これまで散々思っている事だが、俺の考えが覆ることはない。
俺などよりも、ソラの方が余程『特別』なのだ。
「そ、そんなに見ないで下さい……!」
「こりゃ失礼」
と、あまりにジッと見つめ過ぎたか、横目で軽く睨んでからいっそう顔を伏せてしまい―――予感を感じ取って右手を差し出せば、左手を伸ばしかけていたソラは驚いたように足を止めた。
「っ―――……、っ……!?」
俺の手に触れるか触れないかの距離で、固まった手をそのままに混乱のまま顔を赤くするソラさん―――俺とて気安く触れ合う事に思うところが無いでは無いが、彼女とのこれに関しては「信頼の証」と心に決着を付けてしまっているので。
これに限っては、今更もう躊躇ったりはしないぞ。
互いに冷静な状況では初めての事だろうか―――俺の方から手を伸ばして、途中で動きを止めたソラの手を捕まえた。
「は、ハルっ……!?」
「―――そ れ で ?」
立ち止まったソラの手を引いて再び歩き出しながら。真直ぐ前を見たまま半歩前を行きつつ、パートナー殿に言葉の先を促す。
それからというもの、二人して口を開かないまま。竹林を風が揺らすサラサラとした音だけが暫く続いて―――
「…………流石にこれは、自分じゃないと気付けませんよね」
ようやく静寂が破られた時、ソラが初めに口にしたのはそんな言葉だった。
「気付く……ごめん、何に?」
意図も返すべき答えも分からず首を傾げれば、繋いだ手に込められる力が僅かに強くなった気がして―――
「―――私、あなたに一度も攻撃出来ていません」
「ん―――……ん?」
それこそ本気で意図が分からず、思わず振り返ってソラを見る。
顔を伏せたまま―――なんと形容すれば良いのだろうか。少女はポジティブともネガティブとも、どちらとも言い切れない不思議な表情をしていた。
「結局全部、『攻撃していた』じゃないんですよ。これまでと何も変わらず―――『見せていた』だけなんです。あの時……最後にハルが躊躇った時、それに気付きました」
「…………まあ、バレるよな」
覚悟はしていたが、本人の口から聞かされると中々にクルものがあるな……
「……そんな顔しないでください。私だって同じだったんですから」
クイと手を引かれる感覚がして、立ち止まる。
「人を相手に剣を振れていたんじゃありません。きっと、ハルが相手だったから―――私、心のどこかで『あなたには絶対に当たらない』って思っていたみたいで」
そう言って、ソラは恥ずかしそうに笑って見せた。
そこに自嘲の色は無くて安心しながらも……だからこそ話の流れを察して、腹の底から勢いよくとある感情が湧き出してくる。
「だから、あの―――に、似た者同士じゃないでしょうか。だって、きっと……」
その感情とは即ち―――
「―――あなたに本気で剣を向ける事は、私には無理なので……」
恥ずかしさ以外の、なにものでもなく。
「「………………」」
どうしてこんなタイミングだけ、都合悪く風が止むのか。
静寂の中で言葉を失った俺達は、繋いだ手の温度からこれ以上なく互いの感情を察してしまい―――どちらからともなく、口を噤むままに歩き出す。
深碧の林を歩む間……俺も、ソラも、当然ながら。
その後ずっと、視線を合わせる事など出来なかった。
ノーコメン糖。