仮想脳
ソラが仮想世界に縛られていない―――そう口にした彼女の顔に浮かぶのは、確信を表すかのような穏やかさばかり。
その表情を見る限りでは、冗談でも何でもなくソレがういさんの結論である事は疑いようがなく……対面する俺達は二人して、首を傾げるのを止められなかった。
ちょくちょく剣聖様を発揮する彼女だが、別にひどく感性がズレているわけではない。こちらの疑問をしっかり読み取って、説明をするべく続けて口を開く。
「この世界は自由なようでいて、実は多くの制限が存在しています。すてーたすの数値による限界などとは、また別の部分で」
そりゃまあ―――理解不能な超技術の塊と言えど、【Arcadia】は人が創り出したゲームだからな。一切の制限無く、思い付く何もかもが実現できる訳では無いだろうが……
「ハル君」
「あっはい」
と、突然の指名に反射的に返事をすれば、
「ハル君は―――腕が百本あるとして、その全てを同時に動かすことが出来ますか?」
「………………………………はい?」
更なる困惑を浮かべる他にない質問をぶつけられて、流石に俺も返事に詰まる。
腕が、なに……? そんなこと聞かれても「分からん」としか……
「あー……まあその、動かすだけなら、出来るんじゃないですかね?」
同時に文字を書けとか言われたら不可能だろうが、ちゃんと腕として繋がっているなら―――そう考えて答えると、果たして望む答えであったらしい。
奇妙な質問を投げかけた彼女は「そうですね」と頷いて、
「私も同じように思います―――ですが、仮想世界ではそれは叶いません」
次いで、しかし否定を重ねる。
「この世界に数多ある制限の内に、『並行限界』というものがあります。これは簡単に言えば、ぷれいやーがどれだけ多くの行動を同時に取る事が出来るか……というものです。これには肉体的な動きに限らず、思考操作なども含まれます」
―――あぁ、成程ね。ようやく読めた。
「そして、この『並行限界』の上限には個人差がある―――先に私が口にしたソラちゃんの才能とは、これについてですね」
「……成程。つまりソラは、同時に取れるアクションの上限がずば抜けていると」
比喩ではなく千刃を操って見せるソラの特異性が、ここに来て明確に浮き彫りとなる。
実際に千本の魔剣全てを操っているわけではない事を俺は知っているが、それでも彼女が同時に直接制御している魔剣の数は二桁ではきかないのだ。
「何と言ったでしょう……【Arcadia】の独自技術―――外部機脳、でしたか」
「外部機脳、ですね」
肯定と共に追従したソラの言葉に、ういさんは頷いた。
……で、普通は聞き慣れないであろう新単語が出れば当然の如く―――
「えと……ハル、外部機脳というのは」
「アウターブレイン―――【Arcadia】起動時にインスタンスで生成、接続される外部思考補助電脳……だろ?」
言葉を遮ってそう口にすれば、ソラは大層驚いた顔でポカンと呆けて―――いや、あのね? 俺だって少しずつは勉強してるんだよ……!!
「現実世界よりもタイムラグの少ないスムーズな思考を実現すると共に、現実比1.5倍の時間の流れや思考加速スキルなんかの負荷軽減の為に……こう、挟まれるんだよな? 自前の脳と仮想世界との間に」
「……合って、ます。あの、他にもっとお勉強する事があると思うんですけど、なんでこんな所だけピンポイントで……?」
いやぁ、その……システム面の理解も重要かなと思ってチラ見していた時に、男心をくすぐる単語に興味を惹かれてですねぇ……
何とも言えない表情を向けてくるソラと、得意気から一転して顔を逸らす俺。お茶を飲みつつ和やかに俺たちを観察していたういさんは、笑みを零しつつ「お話を戻しますね」と湯呑を置く。
「そのあうたーぶれいんですが、個人差というのはこの機能に対する適性……相性のようなものです。例えるなら、私達の脳と外部機脳を繋ぐ『道幅』の差とでも言いましょうか」
「道幅……あれですか、それが広く太いプレイヤーほど並行限界? とやらの制限が緩むみたいな?」
道が広い分、アバターへ同時に命令を通せる回路が多い……的な。
「その通りです。個人差といっても、通常ならば……例えば、私のように「刀を振る」程度の単純な行動を主軸とするのであれば、それに伴いどれほど複雑な動きをしようとも、まず間違いなくこの制限に掛かることはあり得ません―――ですが」
言葉を切り、彼女が視線を向けるのは俺の隣。
「ソラちゃんの……魔剣、でしたか。あれは明らかに、通常の範囲に収まる代物ではないでしょう」
「それは……」
「まあ、流石にね」
俺もそこそこマルチタスクはこなすが、戦闘中にも思ったようにアレは無理だ。
仮に俺が【剣製の円環】を使ったとて、自身の戦闘機動と合わせて数本の魔剣を扱えるかどうかが精々だろう。
「ですから、思ったのです。ソラちゃんは外部機脳への適性―――延いては仮想世界への適性が、私やハル君よりも遥かに高いのではないかと」
「この世界への、適性……ですか」
と、結論を言い渡そうとしているういさんを他所に―――何故だろうか、彼女の言葉を僅かばかり硬い声で繰り返したソラを横目に見る。
少女が浮かべているのは、立て続けの称賛をどう受け取ればいいのやら……といった具合で、眉を下げた困ったような笑み。
「……?」
笑み……であるはずなのに。
「貴女と同じく、外部機脳の適性が比類なく高いぷれいやーを一人知っていますが……確か『彼女』は初め、こう呼ばれていましたね―――仮想世界の寵児と」
憧れの人から、普通であれば聴くことの無いような称賛を受けてさえも。
どうしてか決して嬉しくはなさそうな、少女の表情が―――
「……………………寵児、ですか」
どうにも気に掛かって、仕方がなかった。
定時直前になってどうしても文章が気に入らず投稿保留。
そして今の今まで丸ごと書き直す時間が取れずにこのザマぁ……
毎日お昼の投稿を楽しみにしていただけている皆様には大変申し訳なく……!