憧れの存在に対面した人間の反応例
カグラさんの工房へ顔を出し、もう一人然る御方への連絡を済ませた頃にはタイムリミットは間近。慌ててログアウトして昼食を済ませ、再びソラと合流してツアーを再開―――してから、現実換算で三時間後。
「時間の経過速度がバグってる……」
「あはは……」
13:00―――仮想時間では19:30頃に合流したのがつい先程のようにしか思えないのだが、それから既に四時間以上が経ったとかマジ?
【流星蛇】シリーズ分の素材は集め終えたため、あとは過去に俺の辿った道程を解説を交えながらなぞって来たのだが……いやはや、お喋りしてるだけであっという間に時間が進むこと進むこと。
先程まで【月光亀】―――鬼のような物理防御力と魔法反射能力を有した銀青の甲羅を背負った、体長三メートルを超える大亀との死闘(およそニ十分に渡る一方的サンドバッグ)を繰り広げていた泉のただ中から。
見上げた太陽は沈みこそしないまでも、既にそこそこ傾き始めていた。
……なんだろう、やっぱソラとこうして冒険しているのが一番しっくり来るんだよなぁ。つい時間を忘れてしまうというか……これがもう当たり前だとか、我ながら贅沢なやつになったものである。
「一応、今日は時間まだ大丈夫だよな?」
「はい、大丈夫です。昨日浮いた分で、今日の分はしっかり確保しましたので」
基本、ソラが一日の内にログインしている時間は長くとも六時間程度。その基準に照らし合わせれば既に時間をオーバー気味だが、今日はそれなりに延長が可能と事前に教えてもらっている。
なのでこのまま冒険を続行するのも問題無いのだが―――
「そしたらば……ソラさん」
「はいっ?」
浅瀬にて、俺と一緒に太ももまで水に浸かりながら。水底の石粒や砂利までハッキリ見通せるほど透明な泉をしげしげと眺めていたソラに声を掛ければ、いつの間にか夢中になって謎の小魚の群れを観察していた彼女はパッと顔を上げる。
その辺の魚、捕まえると全部に固有名称とフレーバーテキスト完備してるんだぜ―――さておき。
「突然なんだけどさ、会わせたい人がいるんだよ。向こうの許可……というか、許可を取るつもりで連絡してみたんだけど、ソラの事を話したら、むしろ凄い勢いで『是非連れてきて欲しい』って言われてさ?」
「い、いきなりですね……?」
そりゃまあ、前触れなくこんな事を切り出されたら戸惑うだろうて。
サプライズだから、その反応は望むところではあるけどな。
「どんな方なんでしょう?」
「ん-……そうだなぁ」
突然の提案に対して、当然の問い掛け。
首を傾げるソラに、俺は何と返したものかを暫し迷った後―――
「神様みたいな御方、かな?」
どこぞの剣聖大好き侍の言葉を借りてわざとらしく宣えば、パートナー殿はパチクリと大きな瞳を瞬かせて、
「………………はい?」
当たり前の如く、困惑の声を上げたのだった。
そしてそれが、十分ほど前のこと。
「―――――――――…………………………」
「大丈夫でしょうか……?」
「大丈夫でしょう。ファンの正常な反応ってやつですよ」
昨日ぶりに訪れた剣聖様の道場にて。『憧れの人』であるらしい彼女を前にして、一切の活動を停止したソラは美少女の彫像と化していた。
サラッと話に出ただけで詳しい事は聞いていなかったが、この様子を見るに……何というか、その身に抱えている感情は俺の想像よりも大きなものだったらしい。
何かしらで知識を得ていたのだろう、最終転移先の竹藪に足を踏み入れた時点で何らかの予感を得たのかファーストフリーズ。
道場外観の塀が見えた辺りで、やや長めのセカンドフリーズ。
そして立派な門を潜り―――日課なのだろうか? 昨日の焼き直しのように箒を抱えていたういさんを目にするに当たり、かれこれ一分以上は三度目のフリーズが持続していた。
俺としてはこのまま眺めているのも吝かではないのだが、ソラ本人は混乱の極みなのだろうし、ういさんも心配そうにしているので素直にフォローを入れる事にする。
「ソラ。……ソラ? おーいソラさんやーい」
声を掛ける、肩を叩く、目の前で手を振る、全てに対して無反応。
あれ……? これ思ったより重症―――
「…………―――、っぁ、の」
と、予想以上のリアクションに「どうしたものか」と困りかけたところで、ソラが再起動。ロボットの如き駆動音が聞こえてきそうなほどガチガチの挙動で、辛うじて首を動かしてういさんと視線を合わせる。
「あ、の……わた、わ―――っ……わた、し、あの……!」
……あぁこれ、マジで想像を絶するデカい感情を抱えていらっしゃったようだ。
見た事ないバグり方をするソラさんを見て、サプライズに拘らず事前に説明をすべきだったと軽く後悔する俺を他所に―――
「大丈夫ですよ」
見るからに緊張と混乱で固まってしまっている少女の様子に、ふわりと微笑んで剣聖様が距離を詰める。
並ぶとやはり、ソラの方が僅かに背が高い―――それなのに、何故だろうか。ういさんを見ていても、あまり背の低さを感じない。
多分だけど、こう……年上というか、お姉さんオーラが強過ぎるんよ。
―――ほら御覧。優しくソラの手を取って穏やかに微笑むその絵は、『姉妹』と名付けて額に入れて飾っても良いほどのちょっと待って尊さが過剰。
え? なんだこの空間は天国か?
土下座して頼んだら視界撮影させてくれませんかね???
「ゆっくり息を吐いて……そう。大きく吸って、吐いて……そうです」
手を握ったまま柔らかな声音で少女を宥めるその姿は、何と言うかもう柔和の具現というか温厚の体現というか……無限に目の保養ですありがとうございます―――
と、アホな事を考えている俺を蚊帳の外に、ういさんに宥められてソラが徐々に平静を手繰り寄せる。
何度か深呼吸を繰り返すうち、喋れないほどの過度の緊張は無事に解きほぐせたようだった。
「―――……【剣聖】、ういさん」
未だ震える声で、それでもしっかり言葉を紡げたソラに安心したように笑んで、ういさんは小さく頷く。
「はい、ういと申します―――ハル君からお話は伺っています。お会い出来るのを楽しみにしていましたよ」
「っ…………あの、ソラ、と、申します……! あの、私―――……私……っ!」
「―――ぉ、あ? ちょっ、ソラさん……!?」
混乱、緊張―――そして涙。
喋れるようにはなったものの、今度はポロポロと瞳から雫を零し始めたパートナーの様子を見て、流石に俺も傍観していられなかった。
慌てて駆け寄って思わず背中に手をやれば―――え、あ、なに? こっちで良いの???
流石の観察眼でソラの行動を瞬時に読み取ったのだろう、ういさんがスルっと手を解けば……少女はフラっと倒れ込むように胸に飛び込んできて―――
……いや、あの、え?
……………………え?
「ハルぅ……」
「ちょ、ぁ……の、ソラさん? これは流石に、ですね……」
「あらまぁ……」
ひぃい剣聖様が見てる……! めっちゃくちゃ微笑ましそうにご覧になっていらっしゃる……!!
「私……私……もう今日は死んじゃっても良いです…………」
「死なないで?」
今日はって何? デイリーで復活するの?
重ねて、見たことも無いバグり方をするパートナー殿と、慌てふためくだけの無能と化した馬鹿一名。
そんな俺達を見守る剣聖様はと言えば―――
「ふふ……」
何だか昨日今日とで一番と言っていいほど、楽しそうに笑っていらっしゃった。