安全圏
「それではまた後程、です」
「あぁ、またここでな」
仮想世界の時計が18:00を指す頃。こちらでは24:00を過ぎた辺りで夜への変遷が始まるため、リアルなら夕暮れ時の現時刻でようやく日が傾き始めるくらい。
現実時刻では12:00丁度。ツアーを中断して昼休憩を挟むべく一旦【セーフエリア】へと戻ってきた俺達は、現実世界での一時間後にまた待ち合わせを設定。それぞれ一度ログアウトする運びとなった。
律儀に小さく手を振ってから仮想世界を去るソラを見送って―――……さて、俺の方はこっからまだやる事が幾つかあるんだよ。
「ん-と……お、いらっしゃる」
フレンドリストに表示されている内お目当ての名前が二つ、共にオンライン表示になっている事を確認。
俺はどちらへ先に声を掛けるか、一瞬迷ってから―――
『もしもしカグラさーん?』
本人の気遣いもあって先日の礼を後に回してもらっていた、専属魔工師殿へとメッセージを送った。
◇◆◇◆◇
「アンタも大概、気ぃつかいだね」
「ここで遣わなかったら、逆にいつ遣うんだよって感じですし」
少し時間を貰えるかと伺えば二つ返事でOKを返され、お招きに与り初めて訪れる事となった彼女の工房。
間取りや造りはニアのアトリエと同じものだろう。あちらは洒落た女性らしい雰囲気にコーディネートされていたが、こちらは何というかこざっぱりとしている。
机が一つに、椅子が二つ。あとは小物やら何やらが詰められた棚が壁際に並んでいるだけで、広めのスペースをやや持て余し気味な印象だった。
場所はニアと同じく【陽炎の工房】セーフエリア支部だが―――確かこの人、サラッとサブマスターとか言ってなかったっけ?
「お偉いさんなら、本部? の方にいなくて大丈夫なのか?」
「ヴェストールのホームにも工房はあるけどね。他陣営のプレイヤーから直接依頼を受けたりだとか、こっちにいた方が何かと楽なのさ」
との事で。
彼女自身が頻繁にイスティアを訪れているように、一応は他陣営のプレイヤーでもそれぞれの街へ入場自体は可能となっている。
が、どうも一般のプレイヤーだと普通は許可がいるらしいんだよな。
セーフエリアにはプレイヤーが運営している『役所』みたいな施設があるのだが、そこで訪問先の各陣営窓口に手形の発行を求めるんだとか。
ゲーム内にプレイヤーが運営している役所が存在する……???
『四柱運営委員会』といい、本当にもう娯楽の域を逸脱していらっしゃる。
―――まあ、それはさておきだ。
「カグ―――」
「先に言っとくけど、こっぱずかしい礼だの何だのは御免だよ」
えぇ……爆速で先手取ってくるじゃん……
「アタシは結果を求めた。アンタは結果を出した。今回は立場が逆だけど、職人と依頼人らしいギブアンドテイクさ」
軽い調子で、そう言いながら。
初手で礼を封殺されて宙ぶらりんになって俺を可笑しそうに眺めつつ、彼女は軽く握った拳を差し出してきた。
「だからまあ、これくらいが丁度良いさね―――よくやった、次も期待してるよ」
「………………はぁ」
ハイ出ましたイケメンムーブ。そんな風に気持ちのいい笑みを見せられちゃ、こっちだって応えないわけにゃいかんのよ。
「そりゃもう、期待に沿えるよう頑張りますよ」
敵わないなと思わせられる本人の器のわりに、女性らしい小さな手で作られたそれに拳を合わせる。
コツンと些細な音がして、カグラさんは満足そうに口元を緩めて見せた。
「―――確かに預かったよ。受け取りはどうする?」
「ん-……折角なら、ニアの服と合わせた方が……ぁ、あれだ。悪いんだけど今回も」
「デザインの方なら、またあっちと擦り合わせるから安心しな」
いやはや行き届いている。流石だぜ専属殿。
先刻の狩りと採掘(?)で揃えた素材を預託しつつ、未だソラには内緒で進行しているたくらみに関しての擦り合わせを少々。
「ちなみにソラさん、指先までスッポリタイプの手袋が苦手なそうなので……」
「へぇ、了解。まあアンタと同じ指抜きにするつもりだったから、問題無いよ」
加えて「用事があるからついでに素材を渡しておく」と伝えた際に、パートナー殿から預かった要望も伝えて依頼は完了だ。
「それじゃ、ニアに合わせて仕上げたらそのままあの子に預けておくから」
「そっちから一緒に受け取っとくれ」と言うカグラさんに頷いて、用事を終えた俺は席を立つ―――んだけど、やっぱなぁ……
「あのさ、ニアには一応……こう、感謝のしるしみたいな物を贈らせてもらったんだけど」
「ふん?」
これまでの付き合いでカグラさんの性格は理解しているし、この関係性は俺としても好ましいと思っている。
だから彼女に合わせて、先程のやり取りでスパッと終わらせるのも納得は出来―――ねえよなぁ? 出会いから今に至るまで、どう考えても俺の方が貰い過ぎなんだっての。
「だからまあ……なに? あくまで俺の気が収まらないから、ちょっとした気持ちを受け取って貰う……くらいはOK?」
顔色を窺いつつ、我ながら歯切れの悪い問い掛けを一つ。するとカグラさんは「はぁ……」と何やら呆れたような溜息を零して、机に頬杖をつくと何とも言えない表情で俺を見てくる。
「なんというかアンタは…………良いとこではあるんだろうけどねぇ」
「んん……?」
俺に向けて言うでもない、独り言のような呟き。
意図を汲めずに首を傾げる俺に、彼女は「何でもないよ」と頭を振って、
「ま、考えとくよ―――まだ用事があるんだろ? ほら帰んな帰んな」
取り付く島も無くそう言うと、追い出すようにヒラヒラと手を振るのだった。
◇◆◇◆◇
青年を追い出してから暫く。気配がスッカリ遠ざかるのを待ってから、クテっと椅子に沈み込んだカグラは大きな溜息を吐き出した。
「……全くもう。自覚が無いって怖いね」
どんな環境に身を置けば、あれほど自己評価の乏しい人間が出来上がるのやら。
やることなすこと一様にトンデモない結果を叩き出している癖して、あの極端なまでに自分を軽く見ているスタンスが変わる様子は一向に見られない。
誰に対しても好意的に振舞う彼の在り方は、そんな風に自分の価値を低く捉えているからこそなのだろうが……
苦笑いと共に思い浮かぶのは、同じクランの職人仲間である可愛い後輩の姿。
初対面の折、おそらく壁越しに見ていたのだろう。扉を開けた瞬間からおかしなテンションだったことを皮切りに、その分かり易すぎる態度からあの子の胸中は何となく察しがついている。
最初は「一目惚れなんて実在するんだ」とか、「結構相性良さそう」とか気楽に眺めていたものだが……当の相手が謎に難攻不落の様子を見せ始めているとか、挙句の果てにはトンデモないライバルが控えていただとか―――
予想外に茨の道を歩む羽目になってしまった後輩を見守る立場となり、胸に浮かんだ思いはただ一つ。
「タイプじゃなくて良かったぁ……」
昔から物静かな男性を好みとする彼女は、そう他人事みたいに呟いて。
後輩には悪いと思いながらも、かの青年を純粋に友人として見れる自分の性質に安堵の息を零していた。
傍から見る恋路は面白かろうて。