剣聖
「―――……こういうところはイスティアだったかぁ」
縁側を離れて石畳の上―――敷地中央の円に立つ俺は、離れた位置で静かに佇む灰色の女性をよそに納得の溜息を一つ。
―――それでは、ひとつ立ち合いましょうか。
稽古をつけるとなれば、俺がどういったプレイヤーなのかを見る必要がある。それは分かるのだが、まさか「承りましょう」に続く一言目がそれとは……
穏やかさの化身のような人であっても、やはり東の【剣聖】ということか。
「用意はよろしいですか?」
人気の無い竹林の中に居を構える彼女の『隠れ家』―――そよ風の他には音を立てる物の無い静寂の中で、大きくはない彼女の声もスッと耳へ届く。
非常に簡素な造りながら、実際は序列持ちが纏うに相応しい品なのだろう。彼女は装いを変えず、白の着物に藍色の袴姿。
刀を振るうのならば袖が邪魔になりそうなものだが……俺の【蒼天の揃え】や【魔煌角槍・紅蓮奮】の紅布など、この仮想世界には見た目に反して動きを妨げないものは珍しくない。
彼女の装いもおそらくそうしたもので―――あの大太刀を振るう邪魔にはなり得ないのだろう。
「ふぅー……―――えぇ、大丈夫です」
細く息を吐き出して、問い掛けに答えを返す。
一瞬だけ迷った末に、両手に喚び出すのは二振りの【刃螺紅楽群・小兎刀】。虚空より現れた紅緋の短剣を見て、ういさんは僅かばかり驚いたように瞬いていた。
驚きはした―――しかし動揺する程にはあらずといったところ。
何でもないように表情を落ち着けた彼女は、両腕で抱くように支えていた一振りの得物を、左手一本に提げる。
大太刀と言っても、小柄な彼女の体躯と比較して過剰に大きく見えるだけだろうか。
目測だが、おそらくその丈は五尺程度。
ソラよりも小柄なその身長を、僅かにだが超える大得物―――もし現実世界で彼女のような女性がアレを手にしていたのなら、誰しも目を疑う事だろう。
「いつでも、どうぞ」
そもそも、彼女の身であれを抜けるのか? と、思わず浮かべてしまった【剣聖】相手に甚だ失礼な疑問を振り払いつつ、腰を落として臨戦態勢を取る。
―――相手は序列第二位。一位が不在の東に於いて、実質的には最強の御仁。
いまは傍で観戦している【護刀】との試合の折。抱えて臨んだ覚悟の量でも、なお不足ではないだろうか。
見果てぬ壁という意味で、その姿に重ねるのは―――かつて邂逅した、『白』の威容あたりが相応しいかもしれない。
「――――――…………」
身体は熱く、思考は冷却。
意識を研ぎ澄ませていく俺の様子を見て、何を思ったのだろうか。大太刀を提げて泰然と佇む灰色の彼女は、どこか嬉しそうに微笑んで―――
「では……―――松風が派流、結式一刀」
構えも何もない、ただ自然な立姿。
そんな極限の『静』に、俺は目を奪われて……
「いざ―――参ります」
瞬間、気配は懐に。
「ッ……!?」
「一の太刀―――」
言葉を漏らす余裕も、驚愕を引きずる時間もありはしない。
いつ動いた?
いつ懐に入った?
―――いつ抜いた……!?
既に抜き放たれた銀鋼は、力みなく下がる右手の中に―――
灰色の瞳は、真直ぐに俺を捉えていた。
《トレンプル―――
「《飛水》」
―――スライド》ッ!!
左腕に衝撃、視界が滑走、身体を奔り抜けた特大の痺れに顔を顰めて……
「マジかよ……!!」
二の腕から先の分、軽くなったアバターで苦心を漏らす。
一瞬の交錯を経て再び距離を開け静止した俺達の間に、容赦無しの切断判定を受けて宙を舞った左腕が落ちる。
転がった小兎刀を残して赤い燐光となって解けたそれは、俺が咄嗟の回避すら満足に行えなかった事の証左だ。
見えなかった。
距離を詰めた歩みも、振られたであろう刀の軌跡すら、何一つ―――
「ッ……!」
灰色の瞳が、また俺を見る。
―――参ります。と、断りを入れるかのように。
「二の太刀―――」
「《先理眼》ッ!!」
スキルの起動は間に合わず、しかし間に合った。
再び、認識する事も出来ぬまま足を踏み入れられた懐―――だが両手で身体の後方へと抱え込むように構えられた刀は、未だ振られていない。
縁を握る左の順手と、頭を掴む右の逆手。見た事も無いような構えで水平に寝かされた刀身から奔る紅線は、真直ぐ俺の胴を断ち切らんとする横一文字。
イメージの構築は紙一重―――《ブリンクスイッチ》。
再び左からの予測線を、召喚の間に合った【序説:永朽を謡う楔片】がその大質量で塞ぎ―――【剣聖】の瞳には、些細な動揺すら浮かばない。
「《打鉄》」
それは果たして、身体全てを大太刀の延長と化したが如き一刀。持ち手を固定しての足捌きでもって、捻転力の全てを叩き込まれた大太刀の刃が―――
「―――ぐッっ……づぅあッ!?」
重量数百キロを誇る異形の語手武装を諸共に、俺のアバターを紙屑のように吹き飛ばした。
―――そして。
「五の太刀―――」
宙を舞う俺の背後、響いた声音に……俺はもはや、笑うしかなく。
「《枯炎》」
トンと、首に走った些細な衝撃。
ただ空を仰ぎ見ていた俺のアバターは、そのHPを呆気なく散らして―――クルクル回る視界に、泣き別れになった胴体が映る。
最後に再び空を映して蒼に染まった視界は、そのままぷつりと途絶えて消えた。
少々短めになりましたが、瞬殺された主人公のせいです。