触れ難きは穏として
神社や寺を彷彿とさせる、石畳と砂利の敷き詰められた広い敷地。
塀に沿うようにして居を構えているのは、道場然としたそれなりの大きさの平屋建て。その横には生活スペースのようなものだろうか、小ぢんまりとした家屋が寄り添うように建てられている。
敷地の殆どは石畳が占める屋外―――というより、これこそ屋外武道場なのだろう。敷地の中心部に敷き詰められた白石が、舞台を形作るように大きな円を描いていた。
そんな【剣聖】様のお住まいにて。
案内されるままに風情過多な道場の縁側へと腰を下ろした俺は、彼女―――ういさんが手ずから入れてくれた御茶を手に、恐縮しきって固まっていた。
「それはそれは……では今年も、楽しみにさせていただきますね」
「無様を晒さないよう、力を尽くします」
隣では灰色とブロンド―――和と洋の対照的な剣士が穏やかな談笑を繰り広げている。仲がよろしい……というか、囲炉裏の方が特にういさんを慮っている様子に見える。
尊敬? 敬愛? とにかく、関係をよく知らない俺の目にも「大切にしている」というのがよく伝わってくる程。
彼女の方も、そんな【護刀】の態度に相応の礼を努めているように感じて……何というかこう、独特な絆を感じさせる二人だ。
「さて―――ほら、いつまで固まってる気だ」
あ、くっそ……せっかく気配を消していたというのに、もう少し緊張を解す猶予をだな―――
「ハル君―――と、お呼びして良いですか?」
「はいっ……!?」
うっぐぁああ可笑しな声がぁッ……!!
囲炉裏を挟んだ二つ隣から話しかけられて、反射的に素っ頓狂な声を上げてしまい撃沈する。妙な見世物でも見るような目を一つ隣から向けられるが、今の俺には睨み返す余裕だってありゃしない。
「試合の様子は見に行くことが出来ませんでしたが、とてもご活躍されたそうですね。しすてむの報せに関しては、私も受け取ったので存じています」
話しかけられているのに、そっぽを向いたままなのは流石に失礼だ。
何をいつまでも緊張しているのかと、自分を笑い飛ばす勢いで彼女の方へと目を向ければ―――
「序列入り、おめでとうございます。私は閑居の身ではありますが……十席に名を連ねる者同士、仲良くしてくださいね」
他人に対する畏れも、緊張も、一切の角も何もない。
そんな温和極まる柔らかな微笑みを向けられて、
「っ―――……」
あの、あの……ごめん、俺―――この人、苦手かもしれん……!!
ダメなんだよ、昔からこうなんだ……! 清楚を体現したお姉さんというか、絵に描いたような大和撫子というか―――とにかくこう、メチャクチャ穏やかな大人の女性? を前にすると、自分でも謎に緊張してしまってだな……!!
一挙手一投足に過剰に反応してしまうというか、自分が何かやらかしてその顔を曇らせたら……みたいなアホな事を無限に考えてしまうというか―――
「………………こ、此方こそ」
何に対しての「此方こそ」なのか、自分でも分からぬまま。そう返した俺の言葉に、ういさんは嬉しそうに笑んで―――それもまた、俺にとっては致命傷。
「…………オイ。君、まさかとは思うが」
「ち、違う……言いたい事は分かるが、違う」
一々挙動不審を晒す俺を流石に訝しんだのだろう、声を潜めて囲炉裏が何かしらを問おうとしてくる。
その……なに? 若干ながら? 己に年上好きの傾向がある事は認めよう。
つまるところ囲炉裏も、俺がそう言った目で彼女を見て緊張しているものと疑ったのだろうが―――これに関しては違う。単純に、上手く接する事が出来ないんだよ。
「……?」
とは言っても、いつまでもみっともない真似を続けている訳にはいかない。顔を上げ直し、様子のおかしな俺を見て心配そうに首を傾げている【剣聖】殿に向き直る。
小柄であるのに―――いや、小柄であるからこそか。その立ち居振る舞いから余計に強調される、大人の女性としての雰囲気を必要以上に捉え過ぎるな。
彼女については序列第二位、遥か高みにいる剣士として向き合え。
「―――失礼、少し緊張しておりまして……みっともない所をお見せしました」
幸い、接し方を倣う手本はすぐ傍にいる。振る舞いをトレースされた事を察したのだろう、囲炉裏は俺にしか見えないよう呆れ顔をしていた。
「改めまして―――この度イスティアの序列第九位に叙されました、【曲芸師】ハルと申します。【剣聖】殿には、何卒ご指導ご鞭撻のほどいただければと……」
…………か、堅くない? 行き過ぎたか?
我ながら仕事の上司にでも対するような文言が飛び出して、ポーカーフェイスの裏で冷や汗を流していると―――
「これはご丁寧に……それでは、私も改めまして」
クスリと柔らかく微笑むと、彼女は再び身を正して俺へと向き直った。
「いすてぃあ序列第二位―――【剣聖】ういと申します。此方こそ、【曲芸師】様には大いに学ばせて頂ければと思います」
と、覚悟を決めて臨んだ俺を結局見惚れさせてしまうような、見事な礼を披露されてしまい―――
「………………間に人を挟んでするやり取りじゃないと思うな……」
俺達二人の真ん中に挟まれた【護刀】が、ぼやくようにそう零した。
◇◆◇◆◇
「なるほど……それで『修行』ですか」
「えぇ。彼には何よりも、圧倒的に経験が不足していますから」
挨拶はそこそこに。俺が多少なりまともに振舞えるようになった事を確認してすぐ、話は本題へと移った。
時たま俺も言葉を挟みながら、囲炉裏が進んで説明を請け負ってくれている。
「対エネミーに関しては未知数ですが、まずは目先の戦争に向けた対人経験です―――なればこそ、適任は貴女を於いて他にはいない」
結論を言えば、彼女に俺の稽古をつけてもらう……と、そういう話だったのだろう。迷いなく囲炉裏は断言して―――その言葉に初めて、ういさんがほんの少しだけ表情を曇らせたような気がした。
「……囲炉裏君、私は」
「先生」
何事かを言いかけた彼女を遮り、これまでの態度とは少々異なる力強い声音。
「俺を見てください―――貴女に学んで、【護刀】があります」
「―――…………」
……と、俺には理解できないやり取り。
唯一分かるのは、いま口を挟んではならないという事だけだ。
「……そうですね。貴方を生徒に持てて、私は幸運でした」
小さく吐息を零して微笑みを取り戻した彼女を見て、囲炉裏もまた表情と声音を和らげる。
「勿体無いお言葉です。正直言えば、最後の生徒という肩書きを手放す事を……少々惜しくは思っていますが」
言葉を切って、俺とういさんの間から身を引いた囲炉裏が、視線で此方を示した。
「彼を見てやってください―――面白い奴です」
果たして、いまのやり取りの後に俺はどんな顔をすれば良いのやら。
戸惑いを押し隠して真面目な顔を向ければ―――
「…………分かりました」
灰色の瞳は、真直ぐに俺を見つめていた。
「―――承りましょう」
口調が穏やか過ぎて横文字が全部ひらがなになる剣聖様。