深碧を越えて、灰に見える
「―――だからさ、そもそも負ける気は無かったんだ」
「―――ほぉん? ラストの撃ち合いだけに限れば、アレは俺から仕掛けた明確な駆け引きだったけどなぁ?」
「ぐっ……あんな盛り上げ方されたら、序列持ちが観客の前で日和れる訳ないだろ……!」
「ウソつけ。序列持ちの威厳どうこうじゃなくて、挑発に応じたのは素だったろ」
「だとしてもだ! まさか序説段階の語手武装に第五階梯の『魂依器』が折られるとは思わないだろ!?」
「撃ち合いにさえ持ち込めば圧し折れる確信があって挑みましたぁ!!」
「このッ……【曲芸師】め……!!」
「人の序列称号を悪口みたいに使うのやめてくれますかねぇ!?」
拳をぶつけてはや三十秒。爆速で互いに遠慮を取っ払った俺達は、気心知れた悪友もかくやといった軽口の応酬に興じていた。
それぞれがある程度のコミュ力を備えていれば、同年代の男同士なんてこんなものだろう―――いや、囲炉裏は俺の歳とか知らんけども。
そもそもが同じゲームに熱中する同志なのであって、同じ趣味の共有という特大のバフ効果があるからな。
プレイヤー同士であれば、打ち解けるのは難しい事ではない。
「にしても……流石にあれだけアッサリ折れた時はビビったけどな―――え、ソレちゃんと直るんだよな?」
俺が横目で視線を向ける先は、隣を歩く囲炉裏が腰に提げた一振りの打刀。
問い掛けに「何を心配しているんだ」と鼻を鳴らす彼がその刀身を引き抜けば、紺碧の鞘から放たれた霜刃は半ばからその身を失っていた。
「再使用待機時間みたいなものだ。少し時間は掛かるけど、気に病まなくていい」
「そりゃ良かった」
『魂依器』には耐久値が存在しない。つまり基本的には破損や損壊とは無縁だが、絶対に壊れないという訳ではない。
例えば、常軌を逸した量のダメージを一瞬で受ける。
例えば、超強力な武装破壊効果を持つ一撃が直撃する。
そういった通常ならまず発生しないであろう極大の負荷が掛かった場合に限り、魂依器は一時破損という形で自動修復モードに入るのだとか。
滅多に発生しない事だけあって、その修復に掛かる時間はやたら長い。訊けば、囲炉裏の【蒼刀・白霜】の場合は完全修復まで二日ほど掛かるらしい。
……若干申し訳なさを感じはするが、本人も言っているし謝罪は不要と思わせていただこう。
「―――で? 大人しく吐け。あの語手武装の固有効果、超強力な武装特攻とかその辺りなんだろ?」
「誰が吐くか。どこの世界に、リベンジ予定の相手に切り札のネタ明かしする間抜けがいると?」
囲炉裏の推測はまあ正解に近いものだが、わざわざ肯定してやる筋合いも無い。
「とにかく《神楔の霊剣》をぶつけりゃ折れるって確信はあったし……魂依器本体をぶち抜けば、例のインチキ結界も解けるだろうと予想は出来たからな」
果たして、俺の推測は正しく。
【序説:永朽を謡う楔片】の一撃は【蒼刀・白霜】を見事に叩き折り、損壊した魂依器に従い固有効果の《無振》は消滅。
第五階梯―――四度の進化を経た高位魂依器を折るほどの威力によって、【護刀】を一刀両断せしめたという訳だ。
つまり何が言いたいかといえば……
「お前に振らせた時点で俺の勝ちだったってことよ」
「だから、あんなの退ける訳ないだろ!?」
「こちとらそこまで読んで仕掛けたんだよなぁ?」
「くっそ……【曲芸師】め……!!」
「おうコラ、悪口として定着させようとすんな」
なんて、囲炉裏との小気味良いやり取りは案外悪くない。
気安く言葉を交わしてみれば、空前絶後のイケメンも一人のゲーマー男には違いなかったらしい。
◇◆◇◆◇
「―――此処だ」
「おぉ……」
男二人で益体も無い雑談を交わしつつ数分。鬱蒼とした竹藪を抜けた先に現れたのは、和の趣を前面に押し出した立派な門だった。
それなりの面積を囲っているように見える、塀の向こう側。おおよその様子を窺い見て思い浮かぶのは、まさしく『道場』の二文字。
「剣術道場的な……?」
「…………あぁ、当初の予定ではね」
へぇ? 匂わせていくじゃん。
「さて―――ハル、一つ言っておく事がある」
と、先程まで軽口を放っていた声音とは異なる、真剣味を帯びた言葉。
茶化さず目を向ければ、囲炉裏は何やら鋭い目つきで俺を見ていた。
「君は相手によって態度を切り替えられるようだから、平気だとは思うけど……くれぐれも、失礼な態度は取ってくれるなよ」
「……厳しい人なのか?」
冗談ではないぞと雰囲気で語ってくる彼に少々怯みながら聞けば、囲炉裏は「そうじゃない」と首を振った。
「誰よりも優しく、誰よりも穏やかで、誰よりも清らかな人なんだ。俺が、嫌な思いをさせたくないんだよ」
「………………成程」
これを茶化そうと思うほど、俺のメンタルはお茶らけていない。素直に頷いて了解の意を示せば、彼も頷き返して止めていた足を踏み出す。
ノックや呼び鈴は不要らしい。おもむろに門扉へ両手をかけた囲炉裏が、グッと力を込めれば……開く門の先に広がるは、神社の境内に似た作りになっている石畳の敷地。
門越しでも微かに聞こえていた「サッ―――サッ―――」と一定のリズムを刻む、軽やかな音の出所を目で探して―――
「―――…………」
思わず言葉を失った俺の視界に佇むのは、竹箒を手にした一人の女性。
そよ風にサラサラと揺れている、肩で揃えられた灰色の髪。
ともすればソラよりも小柄で華奢なその身に纏うのは、白の着物と藍色袴。
箒を手にした姿と、どこか厳かな雰囲気から一瞬『巫女』を連想したが―――違う。得物が手に無くとも、その凜とした立姿は紛う事なき『剣士』のそれ。
女性は竹箒を繰り、落ち葉を掃いているだけ。
ただそれだけ、特別な事は何もしていないというのに―――その姿からは、強烈に目を、心を掴んで離さない何かが感じられた。
―――美しい、と。
おそらくは、十八年の人生で初めてのこと。
恥ずかしげもなく心に浮かんだ素直な言葉を、笑う気にすらなれない。
門の開く音には気付いていたのだろう、静かに顔を上げた彼女と目が合う。
髪色に似つかわしい、透き通るような灰色。
鷹揚を体現するかの如き瞳に見据えられて、俺は指先一つ動かせず―――
「―――……久方ぶりの、お客様ですね」
ふわりと微笑んだその姿に、骨抜きにされたように見惚れてしまった。
「―――ハル」
「っ……ぁ、お、おう」
と、横合いから脇腹を小突かれてようやく正気に戻る。
間抜け面を晒していた表情筋を引き締め直す俺を他所に、俺に肘打ちをくれた囲炉裏は一歩進み出ると恭しく頭を下げた。
「ご無沙汰しております、先生。お元気そうで」
「先生はよしてください、囲炉裏君。貴方もお元気そうで、何よりですよ」
これまで誰に対しても砕けた様子だった【護刀】が畏まった態度を向ける女性は、言葉通り嬉しそうに微笑んでから―――その灰色の瞳を、俺へと向ける。
また無様にも固まってしまった俺に歩み寄ると、些細な振る舞い一つ一つが絵になる彼女はより一層に身を正して、
「―――初めまして、ういと申します」
「………………初めまして。ハル、と、申します」
丁寧なお辞儀と共にされた挨拶に、辛うじて返礼を返せたのは我ながら奇跡と言うほか無かった。
東陣営序列第二位―――【剣聖】。
後に、俺にとって特別な存在となる彼女との出会い。
思えば、こうして訪れたこの出会いより―――俺の写し身に宿った【曲芸師】の名は、見果てぬ階段を駆け上がり始めたのだった。
二章の第一節、これにて了と致します。