落ち着きない茶会
「―――まさか二分で来るとは思わないじゃん……」
「今すぐって言われたんだけどなぁ」
呼び出しRTAの記録は2分と3秒。ギリギリ一分台に乗せられなかったのが口惜しいが、足を運んだアトリエの主の大層驚いた顔は拝めたのでヨシとする。
部屋の片付けでもしていたのだろうか、使いさしのティーセットを手にビクリと身を固めていたニアは、非難するような目で俺を見た。
「そもそも、乙女の部屋に押し入るように入ってくるのはどうかと思うなぁ!」
「いや返事しただろ。来たぞ!って言ったら『ハイ!』って」
「早いし声大きいし驚いたの! 『はいっ!?』ってビックリしたの!」
えぇ……それはまあ失礼をば。
「誰か来てたのか?」
ティーセットや椅子など、微かに残されている人の気配。それらを察して何ともなしに訊けば、ニアはちょこまか動き回りながら「友達」とだけ答える。
ニアの友達―――友達かぁ……それはまた、キャラが濃そうなこって。
なんてナチュラルに失礼な事を考えていると、ぼけっと立っていた俺の背中がグイグイと押される。
「なぁに突っ立ってるのかな? 疲れてるんじゃないの、座りなってば」
「お、おう……」
追い立てられるように足を動かせば、前回お邪魔した時にカグラさんが寛いでいた一人用のソファへと押し込まれた。
高級品なのだろう、例の十席の椅子にも負けず劣らずの座り心地。思わず息を吐き出しながら遠慮なく沈没していると……目の前に差し出されるのは、何やらお洒落なマグカップ。
反射的に受け取ったそれは―――軽い。覗き込めば、中には何も注がれていなかった。
「え、なにこれは」
「何って言われても……好きな飲み物ってある?」
と、椅子には座らずソファの肘掛けに腰を乗っけたニアが、似たようなカップを手に問うてくる。
急に聞かれても咄嗟に浮かばないが……それじゃあ、
「ラディアンス・ブレット」
「エナドリかい……」
バイト時代の戦友の名を上げれば、ニアは苦笑を零しながら俺が手に持ったマグカップを指先でつつく。すると―――
「……もうマジでファンタジー、好き」
途端、カップの底から湧き出すブルーハワイの如き青いシュワシュワ。
一度グラスに移して飲んだ時はオッたまげたものだが……その毒々しい色合いは、現実世界でお世話になったエナジードリンク200ml定価税抜き190円のそれであった。
「どういう仕組み?」
「ん-? カップを持ってる人がその時に思い浮かべてる飲み物を再現する、ちょっとしたマジックアイテム」
そう答える彼女も、既に何かしらの飲料を生み出した自分のカップを傾けている―――湯気が立っていてチョコレートに似た甘い香り……ココアだろうか。
「これヤバくない? 何かもう色々な意味で大丈夫か?」
商品の権利とか何か色々と……
「あくまで記憶の再現だから、結構本物とは変わるし大丈夫なんじゃない? 大丈夫じゃないとしても、アルカディアなら大丈夫にすると思うし」
あぁ、そうね……怖いもん無しかよこのゲーム様は……
口に含んだ微炭酸は確かに本物とは異なる絶妙な「コレジャナイ」感があったが、甘味の炭酸って時点でまあ美味い。
相変わらず飲めども喉を潤さない違和感さえ無視すれば、嗜好品としては十分だ。
「…………」
肘掛けに座って此方に背中を見せるニアは、チビチビとカップを傾けながら珍しく口を噤んでいる。
そりゃまあな。すぐに来いとは言ったものの、実際こうして顔を合わせて何を言ったらいいものやら、戸惑うのも無理はない。
俺だって自分の置かれた現状を上手く呑み込めてるとは言い難く、何が起きたのかを直接目に出来ていない彼女の混乱は余程のものだろうから。
……ならば、そうだな。とりあえずは俺の方からだ。
「ニア」
「んぐっ……は、はい。なに?」
本当に真面目な雰囲気に弱いんだなと笑いながら、藍色の髪を揺らす華奢な背中へ頭を下げる。
「装備と応援、ありがとう。おかげで徹底的に大暴れできたよ」
「っ……!」
チラと此方へ振り返っていたニアへ笑顔を見せれば、照れ屋な彼女はパッと顔を背けてアタフタとしだした。
「い、いやいやそんなアタシは何も……! 装備といってもその辺はカグラさんのが貢献度大きかっただろうし……!」
それはまあ、直接的な武装を手掛けたカグラさんの功績は多大だろうさ。
「……実際のところ、今回はニアに作ってもらったアクセはどっちも出番が無かったんだけど」
「それは言わなくてよかったかなぁ!!」
と、敢えて口にした事実に藍色娘は勢いよく振り向いて―――見せびらかすように俺が手に乗せた藍色の宝石を見て、ピタリと止まる。
【藍玉の御守】―――別れ際、ニアが手ずから着けてくれたもの。
「よく見える場所に着けてくれたからな―――そりゃもう励まされたぜ?」
誰かさんの瞳のようにキラキラ輝くコイツが目に映る度、弱気を蹴飛ばすことが出来たんだ。何もしてないなんて、そんな事はあるはずないだろう。
……なんて、真正面から伝えるのは流石に俺とて恥ずかしい。
それでも感謝を伝えるべく、もう一度「ありがとな」と笑って見せれば―――
「―――……っうなぁあああッ!!」
「うおぁッ!!??」
マグカップをインベントリに放り込んだニアが、おかしな声を上げて飛び掛かってきた。
反射的に既に中身を飲み干していたマグカップを放って、両手を上げ迎撃態勢を取るが―――寛ぎ切っていた身で対応が間に合うはずも無く、
「う゛ぉ゛ッ……!!」
土手っぱらに盛大な頭突きを貰い、大きなソファの脚が持ち上がるほどの衝撃を一身に受けて口から野太い悲鳴が転がり落ちる。
この野郎……! こちとらダメージは無くともVIT:0のせいで衝撃耐性が皆無なんだっての……!!
例によってステータスバーの下で点灯する強制硬直のデバフアイコンを視界の端に、馬乗り状態で此方を見下ろすニアに恨みがましい視線を向ければ―――
「キミの! そういう所は!! 本当に良くないと思いますッ!!!」
「えぇ……」
俺もお前のこういうところは良くないと思うよ。密室で二人きりの男に対する距離感じゃないだろ、コレ。
怒っているのか何なのか、真赤になってやたら近くから睨んでくるニアから顔を背けて―――その先で捲れ上がったスカートから覗く真っ白な肌とショートパンツが目に入り、俺は即座に目を閉じた。
「なに寝てんの!!」
「寝てるんじゃない、自己防衛だ」
主にセクハラというリーサルウェポンに対してのな。
「もう怒った、怒りました! ニアちゃんだってやられっぱなしじゃないんだからね!?」
いやむしろコレ、俺にこそセクハラを訴える権利があるんじゃないのか?
目を瞑ったまま冷静にそんな事を考えていると、何やらボフボフと布地が顔面に叩き付けられる。
なにこれクッション? なんだ貴様やる気か。
職人プレイヤーのステータス構成については詳しくないが、これまでのふれあいで少なくともSTRとAGIに関しては貧弱であると当たりは付いている。
なので、
「ふ、む……! むっぐぅう……!!」
目を瞑ったままでも執拗な顔面狙い程度、捕捉する事は容易い。片手一本で追撃を受け止めれば、非力な抵抗と共に悔しそうな声が降ってきた。
構わずそのままクッションを奪い、奴の肌色が見えていた辺りに叩き付けてやる。記憶に相違なければ―――はい完璧ミッションコンプリート。
目に毒な肌色を封印したことを薄目で確認してから目を開けば……顔を赤くしたままのニアは、得物を奪われた両手を宙に彷徨わせながら頬を膨らませていた。
「何を突然エキサイトしてんだ、お前は」
呆れを隠さずそう言うと、藍色娘は怒ったようにわざとらしくそっぽを向く。
……なんか、あれなんだよな。こういうところが少しずつ可愛く見えてきてしまっているのは、色々と恩を受けて情が移り始めているからなのだろうか。
「……知らない。もう本当に怒った―――ソラちゃんの衣装代と今回の分のお礼、思いっきりふんだくってやるもん」
などと、中々に恐ろしい事を宣うニアだが……
「それについて提案があるんだけど」
「んぇ……?」
―――彼女への礼を含めた贈り物の候補は、既に目星が付いていた。
紳士気取りやがって。
エナドリの名称は赤牛さんリスペクトで頭文字まねっこ。