今はまだ
―――舞台の上の主役も、数多の観客たちも姿を消した選抜戦の会場。一人の少女と共に取り残されたロッタは、ただひたすらに困っていた。
現実世界に愛する妻も子もいる身であるからして、異性と二人きり程度の状況で落ち着きを無くすほどの若さはもう無い。
なんなら気負わずに話しかけて、小一時間程ならば適当な会話に花を咲かせるくらいの自信はある―――ただしそれは、相手が自然な状態であればの話だ。
ロッタ自身、腹の底から興奮を湧き起こされた試合が幕を下ろした後。
見守っていたパートナーが突然の序列入りを果たすなど、それは驚きの連続であっただろうが……それでも暫くの間は、彼女は体面を取り繕っていた。
それが崩れたのは、大金星を挙げたかの青年が会場から姿を消した瞬間。少女は―――ソラは、消え入りそうな息を零して椅子に沈み込んだ。
それからずっと、彼女は何かを押し込めるように胸に両手を当てたまま、顔を俯けてずっと動かずにいる。かれこれ、もう二十分は経つだろうか。
―――控室に戻って待とうか。
ソラの様子は、そう声を掛けるのさえ躊躇う程で……自然、ロッタは少し離れた席で空を―――地底城ルヴァレスト内の異空間に投影された、仮初の蒼空を眺めながら。
少女を見守るでもなく、ただ静けさを提供していた。
「―――……あの」
なればこそ、耳に届いた小さな声に驚く。
内心を感じさせないよう落ち着いて視線を向ければ……ずっと俯けていた顔を持ち上げた少女は恥ずかしそうな、そして申し訳なさそうな表情でロッタを見ていた。
「ごめんなさい、ずっと黙ってしまって……」
「構わないよ。僕の事は気にしなくていい」
頭を下げるソラに微笑んで首を振れば、彼女は言い募るでもなく「ありがとうございます」と礼を口にする。
―――賢い子だ。感心する程に、そう思う。
ロッタの気遣いも、心の内も……この少女はおそらく、全てを正しく読み取った上で沈黙を選んでいた。
そして言葉を素直に受け取り、無駄を省いて真直ぐに礼を告げられる。
どれも、当たり前の事ではある―――彼女くらいの歳でなければの話だが。
職業柄。ロッタは仕草や雰囲気から、対面しているプレイヤーの現実面を凡そではあるが読み取れてしまう。
例の彼も大概おかしなものではあったが……いやはや何というか、どこまでもお似合いの二人組だと笑ってしまう。
「あの……?」
「いや、何でもない―――とりあえず、落ち着いたようで安心したよ」
そして、何を深く問うつもりも無い。
もしかすると、そんな言外の思惑まで余す事無く読み取ったのだろうか。ソラは感謝でも伝えるかのように、控え目に微笑んで見せて―――
待機を言い渡されて数十分。
青い転移の光が舞い戻ったのは、そんなタイミングだった。
◇◆◇◆◇
「ごめんソラ! 待たせた!」
転移が終わるや否や。
目前に数十分ぶりのパートナーの姿を見つけて駆け寄った俺は、唐突に現れた此方の姿を見てキョトンとしているソラへ頭を下げる。
「すぐに顔を見せたかったんだけど、あれこれ話が長引いてな……」
結局あの後も、主に俺の処遇を巡った話し合いが続いたわけだが……結論を言えば、俺は一つの『提案』を受けて解放される事となった。
その件も含めて、とりあえず序列入りだの何だのと話す事が多過ぎる―――
「―――ハル、落ち着いてください」
「っ……あ、あぁ」
何から話せばいいものやらとアタフタしていると、スッと伸ばされた小さな手が俺を摑まえる。
何だかんだ、俺としてもすっかり馴染んでしまった感触。少女の優しい温もりが、落ち着きのない心中を宥めるように右手から染み入った。
「……まずは、おめでとうございます。試合、とっても凄かったです」
「……あぁ、ありがとう」
素敵でした―――と、嬉しそうにソラは微笑んで……あぁ、もう、なんというか、今ようやく全ての緊張が取り払われたような気がする。
「ハルっ……?」
何だかクタっと力が抜けて、俺はその場に座り込んでしまう。
「はは……なんか気が抜けてさ…………」
言いつつ、我ながらくたびれた笑みを返して見せる。椅子に座ったまま繋いだ手を下へ引っ張られたソラは、驚きながらも手を離そうとはしなかった。
会場を離れた時からずっと、見た事のない彼女の表情が気掛かりだったのだが……
「ふふ……お疲れさまでした」
―――と、安心してしまったのだろう。
帰りを迎えてくれたパートナーが、いつも通りの笑顔を見せてくれたことに。
俺も相当やられてんなと……笑えるような、笑えないような。
「ハル」
俺を引っ張り上げようか迷った素振りを見せて、反対に椅子から降りたソラは俺の前へとしゃがみ込んだ。
名前を呼ぶ声音に顔を上げれば、優しげに俺を見る琥珀色の瞳と目が合う。
「いきなり序列持ちだなんて、なんて事をしてくれるんですか。これじゃ幾ら何でも、追い付きようがありませんよ?」
「俺的にも心の底から、なんてことしてくれてんのだよ。評価規定ってなに? バグってんじゃないのこのゲーム」
「残念ですけど、アルカディアはサービス開始以来ひとつもバグが見つかっていないそうですよ。ネーミングセンスだって、的を射てました」
「【曲芸師】に関してはむしろ抗議したいんだけど?」
「ご自分の振る舞いを顧みてから言ってください。空をピョンピョンし始めた時なんて、皆さん呆気に取られていましたよ?」
「いやネタじゃないんだよ、こっちは必死だったんだよ!」
「っ……分かってます、素敵でしたよ?」
「ソラさん? 半笑いが隠せてないよ?」
「気のせいです。笑ってるのはハルの方です」
「くっ……やるようになったなソラさんや……!」
「いきなり序列持ちになってしまうような人の、パートナーなんですよ?」
強く手を握られて、言葉を止める。
「……これくらいじゃないと、ついていけないんです」
その瞳には、また微かにあの色が差しているように見えて、
「…………ソラ」
「……はい」
「……大丈夫?」
それくらいしか問う事を許せない己が、ひどくもどかしい。
けれど、俺の心を何もかも読み取っているのだろうソラは、それこそが望ましいと微笑むのだ。
「大丈夫です―――ハルが、私をパートナーにしてくれましたから」
「……そっか」
結局のところ、俺達は似た者同士。
どれだけ心を交わそうと、触れようと、繋ごうと―――契約によって敷いた線だけは、絶対に踏み越えない。
こうして憚らずに手を繋ぐことだってそう。
決して互いにそれ以上を求めない事を確信しているからこそ、交わすことの出来る信頼の証―――
互いの心なんて、正直とっくに分かっているんだ。
だからこそ、踏み込まない。
「パートナーだもんな」
「はい、パートナーです」
それだけはお互いが知らない―――それぞれ面倒な『何か』を抱えている俺達は、二人でそう決めて手を繋いだから。
俺とソラが求めたのは、ただこの世界を共に歩む『相棒』だったから。
「だから――――――これはお前の望むコンテンツじゃないぞ」
そう言ってジロリと半眼を向ける先―――何やら苦虫を噛み潰したような顔で息を殺していたロッタが、俺の言葉に盛大な溜息を吐き出した。
「いやもう……流石の僕もお腹一杯だよ―――何なの君たち、恋人以上恋人未満なの? 信頼が行き過ぎて恋愛感情を踏み倒しちゃったとか、そういう感じ?」
「喧しいぞ野次馬め―――ソラについててくれてありがとな、あと応援サンキュ」
「ハイハイどういたしまして。色んな意味で、僕も良いものを見せてもらったよ」
揶揄うような声音で混ぜっ返してから―――席を立ったロッタは、真直ぐに俺を見つめて微笑んで見せた。
「ハル―――君の台頭に傍で立ち会えた事、とても光栄に思う。新たな序列称号保持者の更なる活躍を、ファンとして期待させてもらうよ」
「本当によしてくれ―――色々と世話になった。これからもよろしくな、ロッタ」
最後には此方も笑顔を返せば、今回の選抜戦で最初に知り合った彼は嬉しそうに笑って―――
「それじゃあ僕はこれで―――『彼女』のフォロー、しっかりね」
余計な事を言い残して、ロッタは転移の光と共に姿を消した。
あの野郎、絶対に違う意味で言いやがったな……
「…………ソラさん?」
「……………………………………はい」
目を向ければ、俺の手を握ったまま俯き身を固めるパートナー殿の姿。
その頭からシューシューと煙が上がっている様を見れば、そのお顔がどんな有様になっているかなど考えるまでもない。
「ちなみに俺は、見られてるのには初めから気付いてたよ?」
「―――……っっっぃ言ってくださいッ!!!」
元より俺は「人前では気を付けような」と注意していたし、今回だって手を繋いできたのはソラの方からだ。
結論、俺は悪くない。
真赤な顔で涙目になりながらポカポカ叩いてくるソラをあやしつつ、思う。
俺達はこれでいい、これでいいんだよ。
先の事は分からなくても―――少なくとも、今はまだ、このままで。
何やら抱えていらっしゃる二人ですが、見守ってあげてください。
・先日、ジャンル別の四半期ランキング一位を達成する事が出来ました。
変わらず応援して下さっている読者の皆様、
そして新しく拙作を見つけて下さった読者の皆様に、深く深く感謝を。
これからも一層に、ありったけの物語を伝えられるように頑張ります。