帰還
────世界を移動する感覚など、もう慣れ切ってしまった。
健常の感覚を不自由へと置き去りにしてしまう開放感。眠りに落ちた夢の最中で自由に目を覚ますことが許される、得も言われず奇妙に心地良い全能感。
そして、
「────……」
現実とは比較にならないほど鋭敏な知覚能力が一杯に受け取る、仮想の現実感。
稀に日を空けてソレを享受する都度、浸ってしまう。仮想世界が在る現在において世迷言ではなくなった、もう一人の自分との共存に────
「………………………………………………………………………………」
と、現実逃避に浸るのは、この辺にしておこうか。
「一端、通知OFFって放置で宜しいか……?」
視界端、ささやかながらも確かに点灯するは着信メッセージを知らせるアイコン。そちらに視線を寄せれば自動、ポップアップするのは件数の表示。
思い起こすのは現実世界の我がスマホ。このところ常に通知を貯めてしまうようになった待機窓だが……いや比にならねぇ尋常じゃねぇ。
ログイン地点の寝台上。寝転ぶまま思わず頬を引き攣らせて独り言を呟いてしまう程度には、ここ数日の留守で積み上がった未読メッセの量はエグかった。
ゆえに、そっと目を逸らしつつシステムウィンドウを召喚。
半透明のホロ窓を淀みなく操作して、視界内インターフェース一覧より『メッセージ通知』アイコンを一時ミュートにした俺を誰が責められよう。
いや後で。後で、全部、確認するから……と、言い訳で罪悪感に蓋をしつつ。
「────ぃよっ、と」
ベッドの上から、身体のバネだけで勢いよく跳躍。壁を蹴り天井を蹴り、宙に遊ぶまま曲芸四回転半────からの音もない我ながら芸術的な着地。
ふむ。
覚えたことを忘れず……まあ今回のようなシステム的な介入やら、そもそも俺が『何かを覚えられるような状態にない無心』だったりする場合は例外として。
基本的に『忘れない』上で即座に『思い出す』ことを可能とする『記憶』の才能を持つ俺には、仮想世界に関することでブランクは生じない。
加えて不調なら不調で『どう不調であるか』という経験記憶も在るため、コンディション云々は目覚めて一発その場で正確に把握できる。
然して、その結果。
「仮想の身体も特に、問題はナシか」
現実世界の身体同様、攻略以来のログインに際してアバターは好調も好調。なにかしら未知の不具合などは気に掛からず、不安感は毛ほどもない。
まあ要するに────できることは、経過観察ぐらいってな。
無用だが絶対に必要だった会議の後。そのまま夜まで時間を潰してメイド手製の夕食を御馳走になってから、俺ニアーシェは三人で四谷宿舎まで帰還した。
帰還して、即座のドライブ・オン。
まあ当然というか、そうするための集合会議だった部分もあるわけで。
アーシェについては言わずもがな。南陣営トップ【剣ノ女王】として成さなければならない用事は現実仮想の世界を問わず無数にあり、これから暫くは三日半の留守を取り戻すべく陣営拠点の執務室に缶詰め確定だろうとのこと。
俺の監視役もとい見舞い役に専念していた数日も連絡は取り合っていたようだが、ヘレナさんに会うのが怖いと珍しいことを言っていた。無表情で。
ニアもニアで俺の専属細工師などという肩書きを持っているが、実際のところ建前に近く【藍玉の妖精】を俺が独り占めにしているわけではない。
仮想世界有数の宝石細工師にして裁縫師様には、当然ながら俺の他にも『客』がいるし同業の『仲間』がいる。仕事の消化やら連絡やらで、やはり暫くは掛かりきりになってしまうだろう。声なく泣き言を零していた。半泣きで。
……二人の苦労を想像すれば、まだ俺など救いがある方やも。
幸いなこと【曲芸師】もとい【星架】は事務仕事など抱えたことも望まれたこともなければ、何かしら責任が生じる仕事なんかに携わっているわけでもない。
俺が俺に課す必要事項といえば、序列持ちとして世間や知人友人の期待に応えることくらい……と、それから、暫くの間は────
────ただし、ハルは何かあれば絶対に隠さず私たちへ報告すること。
────絶対、ですよ。約束ですからね。
────絶対ってことは絶対だよ? もしもの時はゲーム禁止。
────それと、メイド服の刑もオマケしちゃいましょう。
……といった仰せ付けを厳守するべく、殊更に己が体調を現実世界でも仮想世界でも気にかけておかねばなるまい。いや最後の与太メイドは忘れよう。
メイド服の刑ってなんだよ。男相手とはいえ自分のアイデンティティ(?)を刑罰呼ばわりは斎さん的にアリなのかと首を傾げるばかり……──
そんなこんな、理由もあって注意深くコンディションを計っていた折。
「ん」
部屋の中へ、控え目なノックの音が転がった。
此処はクラン【蒼天】の異空間拠点。ゆえに存在する可能性こと、訪れた客人の択は俺を除くクランメンバーの四人……プラス、合鍵もとい自由な出入り権をアクティベートされている自称妹の青色が一人。計五人。
けれども重ねて、我が『記憶』の才能は万能だ。
ノックの音から来客者を判別することなど、実に容易いことである。
「────よ、さっきぶり」
「────っ、は、はい」
然らば、扉を開けての答え合わせも百発百中。現れた少女の仮想姿が金色の髪を揺らし、琥珀色を瞬かせて、笑顔で迎えた俺を見つめた。
多忙なアーシェとニアから託された使命を拝して……なくとも早々に訪れていただろう。俺の様子を心配して見に来てくれたソラさんである。
「あの、えと……ちょ、調子は」
「大丈夫。今のとこ気になる感じはないよ」
然らば、早速の確認。それで何かがわかるわけでもないだろうに上から下まで俺を観察する様を愛らしく思いつつ、答えてみればホッと一息。
一息、つきながらも。
「その、ハル……」
「わかってる。何度でも約束しよう、なにかあればすぐに言う」
「……、はい」
何度でも重ねて理解していることだが、心配は心配で消えることはないのだ。それは俺から皆へ対してもそうだし、であるならば逆もまた然りと納得できる。
それゆえに、
「鬱陶しいなんて思わないから、いくらでも心配してくれ」
「…………はい」
くどいなど、思うわけがない。思うのは、有り難さと愛おしさだけだ。
「ん……────さて、そんじゃまあ」
とりあえず、外にでもみてみるか、と。俺たちの『攻略』を経て生じた仮想世界の変遷を、拝みに行くとしようぜと────相棒の手を、
「っ、……」
「ぅお、っと……?」
取り、引いて、部屋から歩き出そうとしたところ。
その場を動かなかったソラに引き戻される形で……つまるところ、意識しなかった俺の手を意識して出力されたソラの手+αが意図して引き戻す形で、
その場に、留められた。
留められて、振り向いて────俺は大層、驚いた。
「……………………ぁ、え……ソラ、さん…………?」
「は、はい……?」
ソラは、自覚していないようで。それどころか意図して俺の手を引っ張り返したように思えたのも、実際は無意識のことであったようで。
……遅れて自覚して、ソラ自身も、驚いたようで。
「っ……あ、れ……え、あれ」
堰を切ったように。
本当に、思いもよらない何かが、思いもよらない形で、ダムに小さな穴を開けたように────ぽろぽろと、気付かぬ内に涙を流していた自分自身に。
「…………」
「ちが……え、あれ……なに、なんで…………」
振り返って固まり見つめる俺から隠れるように、空いた手で。俺の手は放そうとしない左手を置いて、右腕で困惑のまま顔を覆う。
声の感じから察せられる。誤魔化しは皆無、混乱が十割。
ソラ自身も、いきなり泣き始めてしまった自分に戸惑っている様子で。
「……、」
俺は廊下から二歩戻り、部屋の中へ入ってから更に一歩戻り、
「ぁ、ぅ…………」
静かに、扉を閉めて。
ただただ困っているように見えるパートナーを、世界から隠した。
なんか六千文字超えたので二話に分けました。後半は夜。




