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「────なあ」
「おん?」
「めっちゃ今更やけど、自分が普通に走っとる後ろ姿ごっつレアでウケるわ」
「んなことにウケてんじゃねぇよ暢気か」
斯くして、これで三十七度目の休憩タイム。
今回の〝楔〟は青色……ということで、対応陣営は北。接触により僅かばかりの力を取り戻した足で、俺の横へドサリと腰を落としたトラ吉と戯れを交わす。
アーシェの感覚時計を信じるのであれば、重ねて八時間が経過しようとしている。それだけ経てば────それだけの時間の中、走って追われて走って追われて走って追われてを延々繰り返していたのだ。そりゃ慣れも湧いてくるし……。
「実際問題、今んとこ『暢気』でも問題あれへんやろ」
とかなんとか、虎が気を抜いても無理はない余裕も然りだ。
で、言いつつ肩越しに振り返ったトラッキーが見やる先。結界内へと逃げ込んでから数分ほど、今回も今回とて道の片一方を埋め尽くしていた〝黒〟が消えた。
忽然と、跡形もなく。そうとしか言い表せない不自然極まる退場風景。
あの真っ黒ギョロ目玉は結界内へ侵入できないだけでなく内部の俺たちを感知することも不可能らしく、暫くすると毎回こうして消滅していくのだ。
そして、走り始めると再び何度でも現れる。ずっとその繰り返し────ぶっちゃけトラ吉と同じく、現状は俺も少しずつ緊張感を失い始めている。
相変わらず、全くもって先が見えない不安はあるままだが……。
「俺が……これで、いくつめやっけ?」
「北は今回ので十一本目。南が九、西が十、東が七だ」
「おーおー、便利なやっちゃ」
「こんくらいは普通に覚えられるだろうに……」
とまあ、そんな具合。
〝楔〟へと到達するたびに僅かばかり心ばかりといえどステータスが戻ってくるため、鬼ごっこの難易度は回数を重ねるごとに下がっているゆえに。
……本当に、ほんっっっっっっっの少しずつ、だけどな。
初回の阿鼻叫喚とは違い覚悟を持ってスタートダッシュを決められたりもするので、今のところトータルでは『余裕』の範疇に入りつつあるわけだ。
「まあ冗談やなし、自分がおらんかったら思うとゾッとするわ。無理やろコレ」
「そう、なぁ……」
────なんてトラ吉が揶揄ったり褒めたりと弄ってくるように、俺の『記憶』は女神の加護が失われた今の状況に在って一切の問題なく平常運転中。
それこそ『才能』なんて呼ばれているくらいだから女神様から賜ったものじゃないのかよと始めは思った。思ったのだが、よくよく考えるとコレに関してはプレイヤー側が勝手に付けた名称である。ならいいか……と、置いておこう。
俺の『記憶』能力をフル活用して、マッピングに関しては一抹の不安もナシ。然らば、それ以外に優先して考えるべきことが今は山積みなのだ。
「────ハル」
「おう。どんな感じだ?」
男二人で、結界内安地の端。これでも『身体を休める』という仕事を真剣に全うしていた俺たちの元へ、背後から声が掛かった。
振り向くまでもない。トラ吉とは逆側に、アーシェがストンと膝を折って座る。
「……限界一歩手前、ね。長めに休憩を取った方が良さそう」
「んじゃ、そうするか」
然して、結論の報告を受けてから改めて振り返る。
そうして投げた視線の先では……────〝楔〟に背を預けながら、肩を寄せ合うようにして目を閉じている金色と藍色の二人組。
隠せず辛そうな表情を見ればわかるが、寝ているわけではない。各々で一生懸命、俺たちと同じく体力の回復に努めている真っ最中だ。
「ま、しゃあなしやな。リアル準拠になっとる……ってわけでもなさそうやが、それでも事実かよわい女子と考えたら拍手喝采じゃ足りんくらい頑張っとるやろ」
「そうね」
「ほならば女子三人目。自分はどうなっとんねん、トライアスロン選手か?」
「『かよわい』って言葉が縁遠い自覚はある」
親しいとまで言えるかは微妙だが普通に話せる程度の間柄。そういう流れとなれば割かし発生したりしなかったりの戯れは置いといて……。
トラ吉が言ったように、そして最初の最初で俺自身も察したように。
現在の俺たちのアバターはリアルそのままの自己スペックではないにしろ、それを多少なり参照しているのではと疑われる性能差が生じている。
身体駆動能力然り、スタミナ然り。
加えて、なんというかこう……疲労の感覚が、かなり現実的。そのせいもあって、リアルかよわい陣営の天使と妖精が可哀想なことになっているわけで。
通常、仮想世界においてプレイヤーは肉体的疲労に苛まれることはない。AGIが関与する隠しステータス『スタミナ』が尽きたりなんだりで一時行動不能に陥ったりなんかはするが、単純に身体が疲れて動けないという状況は発生しない。
動けなくなるのは極度の『外部機脳』酷使によって現実世界、仮想世界どちらの身体にも作用するフィードバック現象……即ち『幻感疲労』によるものだけ。
そしてその『幻感疲労』は、基本的に全力疾走程度のことでは発症しない。つまりは俺やトラ吉は元より、ソラもニアも、あんな風には本来ならないはずなのだ。
なにからなにまで、わけのわからない環境で実に参る────
「…………本当に、大丈夫、かしら」
と、なんとはなしに天を仰いだ俺の隣。美女と野獣もとい姫と虎の交流会はそこそこに、ソラとニアを眺めつつも遠くを視ているアーシェが呟く。
逆サイドへ目をやれば野郎同士で視線がぶつかり、トラ吉は肩を竦めるだけ。然らば、言葉を返すのは俺の役目ってなことで。
「信じる、しかないわな」
なんのことか。
この状況を、続行するにあたっての話だ。
パーティ全員……から、一人除く。即ち〝楔〟に寄り掛かる美少女二人へ背を向けつつも、絶妙な距離感で守るよう立ち控えている騎士様以外。
俺たちプレイヤー五人が等しく抱えている漠然とした不安。
「まあ、大丈夫やろ。アルカディアやで?」
「アルカディアだしなぁ……」
攻略開始から既に八時間を体感してなお、視界端に表示されているシステムクロックは、いつまでも数字の並びを変えないまま。
『女神の力』扱いで機能が停止している……というわけでは、おそらくない。
根拠は何か。パーティ人員やパートナーなどの位置情報を示すレーダーを始めとした、視界内ユーザーインターフェースに関しては大体が生きているからだ。
ステータスを僅かずつ取り戻しているらしい現状、それでも何故かHPバーおよびMPバーは空っぽってか灰色表示のままだが、他のアレコレは大体正常。
だからおそらく、時計機能も生きている。
生きていて、これ。というのが現在の推測状況だ。
────つまり、一秒も経っていないのに八時間を経験しているということで。
そりゃまあ、怖いさ。加速倍率どうなってんだよとか、その負荷で俺たちの頭がどうにかなったりしねぇだろうなとか、浮かぶ不安は様々ある。
だけれども……今へ至るまで、もう散々。
この世のものとは思えない不可能を可能とする技術に、俺たちはもう頭の天辺から爪先まで浸かってしまっているがゆえの慣れ。それに加えて、
「メタ的に考えて、ケンディ殿が大丈夫ってんなら大丈夫……なんじゃないか?」
ゲームにおいては何にも勝るガイド役。NPCから直々に────『どれほどの時を要したとて、稀人様がた本来の御身体に不都合は生じませぬ。ご安心を』とかなんとか超特大のメタ発言による心配無用を、既に頂戴してしまっているから。
信じる……他、ない。
どうせ現状ログアウトも不能なんだ。漠然とした不安は絶対的な〝四谷の技術〟に対する信頼で塗り固めて、俺たちは前へと進む他ない。
「大丈夫だろ。皆いる」
「……そう、ね」
個人的な不安……というよりは、事実上のリーダー役としてパーティ全員のことを慮ったゆえなのだろう。実に似合わない消極的な表情を早々に散らして、
「ソラとニアの、傍にいる」
「あぁ。頼んだ」
そっと、一瞬だけ。
床に置いてあった俺の片手に自分のソレを重ねた後。アーシェ立ち上がり、小さく微笑んでから〝楔〟の方へと歩いていった。
……大丈夫。なんとかなるさ。
「………………………………おい。隣に俺、おったんやけど?」
「見てんじゃねぇよ目ぇ瞑っとけ馬鹿虎」
「流石に理不尽が過ぎて手ぇ出しても怒られんやつやろコレ」
俺が思うに、この仮想世界はきっと。
なんとかなるように、できているのだろうから────と、楽観的に笑って構えとく。そのくらいが、間違いなく精神衛生上よろしいだろうて。
本編でも語られないしケンディ殿も語る気なさそうなのでコッソリぶっちゃけますが、誰か一人でも『限界だな』と判断した時点でケンディ殿が帰してくれます。
安心だね。




