初めの一歩
―――まもなく開始時刻です。これより会場への転移を行います。
凡そ数十分の待ち時間。恥ずかしげもなく手を繋いでいたら周囲の男性プレイヤーに殺意の視線を向けられたため、控室の端へと退避しつつ時間を潰して暫く。
システムメッセージの報せが、遂に刻限を告げる。
「ハル」
「あぁ、行ってくる」
言葉はもう十分に交わした。あとはもう、全身全霊を披露するだけ。
「行ってらっしゃい」と微笑むソラの隣、ひと足先に俺の全身が転移の光に包まれて―――次の瞬間に踏みしめたのは、真円を描く広い闘技場の床。
辺りを見渡せば高い高い屋根と、周囲を囲む観戦席を設けたこれまた高い壁面。予選会場らしいと言えばらしい、実にシンプルテイストな屋内競技場といった雰囲気だ。
次々と送られてきていたプレイヤーの入場が終わる。控室で見た時からはやはり数を減らし、これならまあ百人程度だろうというところ。
……改めて見れば、自分が新参者である事を強く自覚させられる。
隙の無い見事な装備品に身を固めた彼らは、雰囲気にも表情にも浮ついたところが見て取れない。リラックスして笑顔さえ浮かべている者もいれば、慣れ切った様子で欠伸をしている者まで見受けられる。
これが予選ね……緊張でフィルターが掛かっているのは勿論だろうが、どいつもこいつも歴戦の猛者にしか見えないんだよなぁ?
今更自信が無いだのと馬鹿な事を宣う気は更々ないが、これは想像以上に気を引き締めて全力で臨まなければ―――
「やぁ、緊張してそうだね」
「っ……?」
いやビックリした。まさか誰かに話しかけられるとは思わず言葉を詰まらせると、声を掛けて来た男性プレイヤーは「驚かせてごめんよ」と穏やかに笑んで見せた。
「見ない顔だから、もしかしたら初参加かと思ってさ。大丈夫かい?」
「あぁ、いや、失礼。ハハ……その通り新参者ゆえ、少し雰囲気に呑まれてました」
誤魔化すように笑えば、分かる分かると彼は親身に頷いてくれる。
いい人っぽいな―――装備はエグイが。
一目で上物と見て取れる、落ち着いた光沢のある赤革の鱗鎧。現実では金属片が用いられるソレとは違い、おそらくは何らかのモンスター素材による本物なのだろう。どこか生物的というか、無機質な金属には無い迫力が感じられる。
武装は腰に提げた長剣が一本。抜かずとも分かる、ゲーム的な知見から言えばまず間違い無く『魔剣』とか呼ばれる類の業物に違いない。
華美な装飾は無くとも、各所のディティールや滲み出る雰囲気から、こう……情報圧を感じるというか。
「自己紹介が先だったね。僕はロッタ、呼び捨てで構わないよ。無理にとは言わないけど、敬語も無しで良い」
あ、この人ほんとに良い人だわ。作った風の無い自然な笑顔といい、気安く差し出された握手を求める手といい、バイトで様々な人種と接する機会のあった俺の勘が言っている。
予選に組み分けされてるとはいえ、そもそもイスティアが魔境である可能性が高いのだ。見たところ実力者っぽいし、この機会に知り合っておければ幸運かもしれない。
「そしたら失礼して―――ハルだ。三年の充電期間を経て漸くデビューした新参者ですが、どうぞよろしくロッタ」
差し出された握手に応じれば、彼はどこか人懐こそうな笑顔を浮かべた。
「うん、よろしくねハル。三年とはまた、随分長い準備期間だったね?」
多分ロッタは、俺の言う充電期間が現実世界でのバイト三昧などとは思ってもいない事だろう。修行でもしてたのか?程度の冗談めいたノリで笑う。
「本当はまだまだ先になる予定だったんだけど、最近は出会いにも恵まれてね。装備も整ったから、思い切って参加してみようってな」
「成程ね……確かに、良い装備だ。というか、正直どれもこれも見覚えの無いもので驚いてね。申し訳ないけど、話しかけたのは敵情視察の打算もあったんだ」
柔らかそうな亜麻色の髪を揺らして、イケメンフェイスが微笑みよる。
クソぅ……俺だって出来る事ならイケメンにキャラメイクしたかったんだぞ……!
「敵情視察ねぇ。俺なんて、見るもの全てが初見だぞ?残念ながら、情報無しっていう唯一の強みは手放せないな」
「言えてる。本人も意外と喰えないタイプみたいだし、せいぜい警戒させて貰うとするよ」
「無警戒で背中を見せてくれても良いんだぞ?」
「やなこった。初参加に成す術なくやられたりしたら、ショックで寝込む未来しか想像出来ない」
初対面だというのに我ながら軽快な会話をこなせているが、これはどちらかというとロッタが巧いだけだ。話し上手というか、話させ上手というか―――
―――開始時刻となりました。これより四柱戦争選抜戦、第一予選を開始します。
「おっと」
「遂にか」
予想外の時間潰し―――と言っては失礼だが、ロッタとの会話で有難い事に緊張も多少は解れた。開戦を報せるシステムメッセージを受け取り、視線を交わした俺達はどちらからともなく頷いた。
「……提案なんだけど」
「うん、少し離れようか」
僅かな時間とはいえ、折角知り合った相手と初手で刃を向け合うのは心情的に微妙である。そんな俺の内心を読み取ったのか、はたまた向こうも同感だったのか。
内容を告げる前に頷いたロッタがもう一度、手を差し出してくる。
……いいね、こういうのも熱くて嫌いじゃない。
ガシッと遠慮なく握手を返せば、彼はニヤリと冗談めかして笑う。
「手加減はしない。けど、応援はしてるよ。お互いにベストを尽くそう」
「あぁ。ロッタだけじゃなくて、全員の胸を借りるつもりでやらせてもらうよ」
離した手を互いに持ち上げて、同時に踵を返して会場の両端へ向かう。
―――視界上部に表示された開戦の秒読みは、残り三十秒。
結局どれくらい広いんだろうな、この闘技場は。目算……いや分からん。とりあえず百人が十分に距離を取って構えられる程度の広さだ。
一万人をブロック分けして一組百人……つまりこの設備が百以上はあるって事か?あぁいや、ゲームだし流石に即時生成型エリアって可能性が高いか。
―――残り二十秒。
予選とはいえ、外周の席に見受けられる観戦者の数はそこそこ。付き添いで訪れた者もいれば、おそらくはランダムで飛んできた者もいるのだろう。
参加者側ではなく見物側で楽しむ者も多いというのは事実らしく、少なく見積もっても五百人くらいはいるかもしれない。
ソラさんは―――あぁ、いた。
ナンパでもされてはいないかと心配だったが、女性プレイヤーが集まっているスペースに混じっている金色が目に留まる。
目が合うと、遠目にも可愛らしいパートナー殿は小さく手を振ってくれた。
―――残り十秒。
外周の壁際に辿り着く。
壁を背に出来るのは多くの場合アドバンテージだ。同じ考えを持ったプレイヤーが幾人も同じように壁際に陣取り、今か今かとカウントゼロを待ちわびている。
―――9
息を吐き出した。
―――8
緊張は消えない。
―――7
けれど、不思議と落ち着いている。
―――6
真新しい藍玉のブローチが、励ますように胸元で煌めいた。
―――5
持ち上げた左手は、専属魔工師殿が手掛けた夜空の籠手に包まれて。
―――4
握る手の中には、駆け足で積み上げてきた自信が込められている。
―――3
紅色の職人の、激励の言葉を思い返す。
―――2
藍色のお調子者の、頑張れの声が記憶に蘇る。
―――1
目を閉じれば、いつだって。
俺を見守る相棒が―――この背中を押してくれるんだ。
「【愚者の牙剥刀】―――【刃螺紅楽群・小兎刀】」
左に黒の小刀。そして右には、刃から柄に至る全てが透き通る紅緋の結晶で構成された、継目の無い紅の短剣。
―――0
響き渡る開戦のシステムコール。
そこかしこで上がる鬨の声。
沸き立つ周囲の歓声。
遠くなったそれらを聞き流しながら、俺は呟いて、
「―――始めようぜ」
今、大舞台への一歩を踏み出す。