あけま師弟
「────今のハル君は、手合わせをしていて本当に面白いです」
鍛錬に一区切りを付けての、休憩時間。
例によって道場の縁側に腰を落ち着けてから暫し。いつからか師のインベントリに用意されていた俺専用の湯呑を手に、お茶を頂いていた折。
「はい? 面白い?」
そんな風に弟子が首を傾げるようなことを、お師匠様が仰った。
ソラさんは退席中。まだ夕飯の準備には早い頃合いだが、俺と同じく今日で冬休み最終日とのことでアレコレと準備があるのだろう。ゆえに現在は二人きり。
俺が残った理由に関しては……まあ、とりあえず後でいいとして。
「んー、と……? 喜んで、いいものやら……?」
ひとまず、降って湧いた話題へ問いを返す。すると、うい様お師匠様【剣聖】様は自らの湯呑を傾け茶を一口。マイペースに息をついた後。
「勿論、褒めていますよ」
「あら。それはどうも……」
ふわり、微笑む。
なんだかいつもより……いや、ういさんは常より和やか穏やか平和平穏に笑んでいらっしゃるが、それでも僅かばかり。ほんのりと……。
今日は、いつもより機嫌良さげなのは、気のせいか否か。
「────『記憶』のぎふと。誠、此処へ至り見事の一言に尽きますね。才能自体もそうですが、それを上手に活かしているハル君の器用さも」
重ねて内心で首を傾げる俺を他所に、彼女は言葉通り弟子を褒め始めた。
「今の貴方と立ち会っていると、まるで大勢の強者と相対している錯覚に陥ります。一挙手一投足に、貴方が今まで『記憶』した強者の技が刻まれている」
「あー……」
「まさに〝結実〟……ですね。ほんの欠片さえ取り零さず、全ての経験をそのまま糧と成せる、ハル君にしかできない成長の形。見事という他にありません」
本当に、容赦なく、褒め倒し始めた。然らば、俺が返す反応など一つ。
「ちょ、ちょっと、待ってください。なんですか、なにが目的ですか」
急に親から褒められた子の如く。師より称賛を賜った弟子の正しく。至極正常に照れるのみ。自然当然、当たり前のリアクションだ。
さすれば、お師匠様も。
「ふふ……強いて言うのなら、その顔です」
「またそんな弟子を揶揄ってからに」
くすくすと、悪戯っぽい笑みを返す。畏れ多くも俺だけに許された、師弟あるいは親子のような独特の距離感。その位置からしか見えない表情だ。
「……それに、そんなハル君と息を合わせるソラちゃんも」
と、また茶を一口。どこまでも穏々とした横顔を楽しげに、ういさんはやはり機嫌良さげなまま、普段よりも言葉数多く声を連ねる。
「千変万化の貴方を、しっかりと見極めて支える……いえ、並び立つ、その信頼。その信望。力でも、心でも、敬服するに足る〝ぱーとなー〟です」
……なんて。本人がこの場にいたならば俺と一緒になって、こそばゆいやら恥ずかしいやらで悶絶していたであろう文言を。それはもうつらつらと。
ので、やはり。
「えー、あー、ど、ども……? ────あの、ういさん。どうかしました?」
なにかしら機嫌がいい……というか、どこか浮かれているのかなと。
そんな察しを深めざるを得ず、素直に問うてみれば。お師匠様は、また茶を一口────そうして、空っぽになった湯呑を傍らへ置くと、
「ハル君」
「はい」
ふわり、微笑み、
「刀の調子は、如何ですか?」
「はい?」
話の流れを一刀両断。再三、弟子に首を傾げさせた。
「どう、とは……え? なんの話です?」
「刀、です。先程も使っていた、貴方の『刀』の話ですよ」
そう続けられたならば、思い浮かぶは一つのみ。当然のこと、言葉の意味さえ理解できたのであれば思い浮かばぬはずもない『たいせつなもの』一振り。
「【早緑月】です……? 如何、と申されましても……」
そんなもの、過去も今も『これ以上ない』としか答えられない。
彼女から授けられたことも、それから共に歩んできた道程も、潜り抜けてきた戦いの数々も、斬り払ってきた強敵たちとの思い出も────
なにもかもで、一切の曇りもなく最高の記憶だけを残してきた。
「これからも、有り難く頼りにさせていただく所存……としか?」
言ってしまえば、単なるデータ。
けれど言わせてもらえば、形ある現実に勝るとも劣らない俺の宝物。
たとえ世界が滅びてアルカディアの世界が失われ、また『刀』としての形も消えてなくなったとて。決して俺の記憶から消え褪せることはないだろうモノ……──
それに向けて、
「今の貴方には、見合わないかもしれません……と、このところ思っていまして」
他ならぬ師が、そんなことを言ってしまわれた。
「────……」
誠に、失礼ながら。
ほんッッッッッ………………っとーに、失礼ながら。
一瞬、キレそうになったのは、理性よく呑み込んで。
「えー………………………………っと、……」
別にそれも、ういさんに対してというかなんというか。
誰が言ったとか関係なく、俺にとっての宝物を軽んじていると取れるような『言葉』自体に反射で心が反応しただけのこと、というか。
俺も人間だから、仕方ない。聖人君子でもあるまいし咄嗟の反応までは制御できない。けれども、その程度であれば刹那で鎮圧できる信頼関係が、あるから。
師も……ういさん自身とて、俺に贈ってくれた『刀』を大切に思ってくれていると。そんなことは聞くまでもなく理解が通じているから。
「………………」
続く言葉を、黙って、お利口に待つことができた。
そんな俺を見て一体なにを思っているのか、彼女は優しく微笑んで、
「決して毀れることなく、折れることなく、いつまでも貴方の傍に在れるように……ハル君を、守ってくれるように。そんな想いを籠めて、打ちました」
「……はい。果たしてくれてますよ」
俺の言葉に一層、嬉しそうに頬を緩めて。
「────ですが貴方は、もう雛ではない」
寂し気を見せず、師は弟子を見る。
「私だけではなく、世界が認める立派な強者です」
「…………」
「あの【剣ノ女王】と、並ぶほどの」
「…………」
「そして、私とも────」
「それは、言い過ぎです」
だけど俺は、堪らず彼女の言葉を遮った。
「わかってるでしょう。今、もう一回アーシェと戦ったら俺、普通に負けますよ」
それはなにも、自認を誤った言い掛かりでも謙遜でもなく。
「勿論、ういさんにも。手の内を晒し合って本気の本気で戦り合えば、俺まだまだ勝てませんよ。ういさんやアーシェだけじゃなくて、囲炉裏の奴が相手でも」
師に学んだ今の俺が、正しく俺を見据えた事実。
「世界だのなんだのが認めても、俺は、まだまだ自惚れちゃいられません」
「…………」
それ即ち、
「まだまだ、こっからです。これから────未来で、しっかりと追い抜いてみせるんで。褒め殺しは、そん時まで大事に取っといてください」
半端な結果で褒められるなど我慢ならない、面倒な男の子の性分だ。
「……………………………………、……はぁ」
斯くして、お師匠様は溜息を一つ。
「貴方は、本当に……全く、もう…………」
呆れたような、困ったような、
「誰に、似たんでしょう……」
「さぁて。少なくとも一因は、鏡を見たら判るかもしれません」
されども確かに、満更でもない色味を籠めて。
「……ハル君」
「はい」
「『刀』を、出しなさい」
「はい。────えっ? いえ、あの、ですからねっ? いやなんもわかってないですけど、なにするつもりなのか知りませんけども俺はコレが良」
「心配せずとも、取り上げたりなどしませんからっ」
「ぁ、ちょ、やめっ……!?」
師と弟子とで、互いに駄々を捏ね合うように。
珍しく……でもないのかもしれないが、ういさんは言葉だけでなく直接的な実力行使で以って俺に『刀を渡せ』と詰め寄り、対する俺は出し渋る。
そんなこんなで、数十秒。もしかしたら数分に亘り、じゃれ合った後────
「いや取り上げてるじゃないすか……! 師の横暴ッ……‼︎」
「特権と、言ってください」
決した勝敗の如何など、語るまでもないだろう。
何故ご機嫌なのかは、まあ
三年後くらいに分かるんじゃないですかね。




