道行きを、また此処から
────独り占めにしたいと、そう思わなかったと言えば噓になる。
誰よりも無垢な、貴方を。
何よりも尊き、貴方を。
この〝心〟を晒すのならば、世界よりも愛おしい、貴方を。
でも、望むから。
他でもない貴方が、希むから。
幾度も見た笑顔で、幾度も教わった笑顔で、幾重にも積み重なり『私』を形作った笑顔で────幼い子供の〝おねがい〟のように、笑って、
これしかないのだと、比類なき茨の道へと臨むから。
ならば、貴方へ捧ぐ〝愛〟など……────
『──────』
『……──、────』
私には、それしか、思い付かなかったから。
尊き君に、愛を謳うように。
そして、いつの日か────遠き君に、哀を詠うように。
◇◆◇◆◇
思いの外、ではなく予想通り。結構な時間が経ってしまったと思う。
三人へ、ありったけの決意を伝えて。初恋の人へ、ありったけの想いを伝えて。いよいよ来るところまで来てしまった、ある意味で世界一の愚か者。
────けれども、だけれども。
たとえ、もう至極これ以上ないというほどの無様で情けなく超絶みっともない姿を晒し尽くしたとはいえど、人間だもの。開き直るにも限度がある。
だから、ほら……今だって。
「………………よし」
扉ひとつ開くだけでも、勇気を搔き集めるのに大わらわだ。
いまだ身を置くは仮想世界。現在地は親愛なる我が拠点ことクラン【蒼天】の異次元空間。そっと手を伸ばし、掴んで、回したドアノブが繋がるのは……。
隔たりを開け放って、視線が繋がったのは。
「「────……」」
琥珀色の、半月。
即ち初手から半眼を隠さず俺を睨む、唯一無二のパートナー。
「ごめん。待たせた」
「……待ちました」
あれを伝えて、これを伝えて、あれをして、これをして。ひとまずの段落を踏み、お赦しを経て、ニアのアトリエを後にし今に至るまで。
一時間以上は、経っているわけで。
「……ごめんな。ありがとう」
その間、ずっと。こうして待ち続けてくれていたのであろう彼女に、俺ができるのは心からの感謝を伝えることだけ。渡せるのは、嘘偽りのない感情だけ。
一歩。部屋へと踏み込む俺に、
「────……」
ソラは、咎める言葉を口にしなかった。
俺のクランルームと大差ない、物が少なく綺麗というより寂しげな部屋。現実世界の方でも彼女の自室を知っているが、根本的にそういうタイプなのだろう。
そんな簡素な風景に幾つか、申し訳程度に置かれた家具の一つ。
ログインおよびログアウト地点として機能する、それだけは少しばかりの〝こだわり〟を見せたと思しき大きめフカフカな寝台の上。
ひとり、ぽつんと座っていた相棒の傍へ、歩み寄った。
「「………………」」
突っ立って見下ろすのもどうかと思い、膝を折ってベッドの脇。あどけなく淑やかな女の子座りが世界一似合う少女の傍、互いに視線は合わせたままで。
数秒。
数十秒。
────そして、数分までは至らずに。
「……うん」
最初は、ソラから。
そっと伸ばされた華奢な左手を、俺も左手で受け止めた。
「………………なんと、なく」
「うん」
「なんとなく……こうなるだろうなって、思ってましたよ」
「…………」
「……そう、なってほしいなって、思ってたか。それとも、そうなってほしくないなって、思ってたか。それは一生、教えてあげませんけど」
「……うん」
指が絡む。受け入れた俺の手を、少女は胸元へ抱くように引き寄せて────
「──────っはぐ!」
「痛ッ……!!?」
ソラは、ガブリと。情け容赦なく思い切り、俺の手に噛み付いた。
「ちょっ、おい……!?」
勿論のこと、痛みなどない。思わずの声は反射でしかなく、如何なLv.100のステータス同士と言えども、装備の上からスキルの加護も何もない『噛み付き』でダメージを通すほどアルカディアのシステムは間抜けではない。
だから、心配すべきは向こう。外的衝撃諸々に関しては鋼を超える硬度を成す手套に歯を突き立てた、ソラさんの方なのだが────
「────……っ、外してください」
「へっ?」
「外してください、これっ! 早く外してっ!!!」
「は、はいっ、えぇっ……!?」
ソラもソラで、幸い別にダメージ云々はないようで。しかしそれはそれとして、本当に極珍しい敬語抜きの言葉を交えて少女の勢いは止まらない。
然らば俺は困惑に押されるまま、ペシペシ……いや、ベッシベシと【神楔ノ閃手】を叩いて示すソラの意向に従うまま手套を除装して、
「はぐっ……!」
「えぇ……???」
今度こそ、やはり思い切り────しかし先程の勢いよりは容赦を籠めて、ガブリと俺の手へ噛み付いた荒ぶるパートナー様を見守った。
痛くはない。全然、全く。
だからこそ一体これは何なのだろうと、ただひたすら混乱するだけの俺に、
「………………全然、呑み込めないです」
「………………」
流石にわかる。
俺の手を食べられないって意味で、可笑しなことを言っているわけではないと。
「……考えたことは、ありました。ハルなら、一番……本当に、何より、大変な道だって。それしかないって決めたら、それしかないって選ぶんだろうなって」
ずっとずっと、俺の『選択』を考え続けてくれているのだと。
「だから、心の準備はしてたはずなのに……」
ソラは、言う。
「いざ、あなたの口から聞かされて……聞かされたら」
「うん」
「………………全然、呑み込めない……」
「……そうだよな」
胸の内。心を全て、隠さずに。
あの日、二人でした約束を守り続けてくれている。
「…………私、……私」
噛み付かれていた左手は、いつしか少女の両手の中。
「……やっぱり自分が、よくわからない」
「…………」
いつからかの、癖。
その都度、あまりのいじらしさに俺が密かに致命傷を負わされていた癖。
左手と左手。俺が贈った誓いの指輪を、そっと触れ合わせながら。
「独り占め、したいはずなのに」
ぽつり、
「ほっとしてる、私がいて」
ぽつり、
「……キス、目の前で見ても」
ぽつり、
「私が、したかった……よりも、先に」
ぽつり、ぽつりと。
「私も、したい……って、思って」
理解も、制御も、ままならない自分の心を、もどかしく思うように。
「嫉妬も、上手く、できない……」
自分のことを『子供』だと思っている俺の相棒は、他ならぬ自分を恥じるような泣き笑いの顔を見せて────
「それ全部、俺の〝おかげ〟だって思わせてもらう」
ならば、俺のすべきことは一つだけだから。
「俺が、盛大に、ソラの心を乱したから。……言い換えれば、それだけ盛大に乱されるくらい、俺のこと好きでいてくれるんだなって、喜ばせてもらう」
ひっでぇことを言ってる。でも、わかる。
「これまでも、これからも、変わらない。世界で一番、大切な唯一無二だ」
「………………」
俺たちは、これがいいって。
酷過ぎるくらい、傍から見れば滑稽なくらい。どれほど矛盾を抱えても、その果てで────二度と放さないと手を繋ぎ合ったのが、俺たちだから。
「君のことが好きだよ、ソラ。パートナーとして」
「…………」
「君のことが大好きだよ、ソラ。……女の子として」
「……、…………ずっと」
いつか贈った言葉に、今度は真っ向からの想いも重ねて。
「ずっと、聞きたかった言葉、なのに……っ」
それがどれだけ、愚かで残酷な告白なのだとしても。
「心から喜べないのは、ハルのせい、ですからね……ッ!」
本当にごめん、どうしようもない。
罪の清算は、何度も口にした通り……──決して、贖い切れなくとも。
「それでも、手を放せなかったんだよ。……赦してくれ」
ほんの少しでも赦されるように、いつか自分を赦せるように、
人生を賭して、俺の全部を捧げていくからと。
手、食べちゃっていいですよソラさん。
それでは五章最終第八節、張り切って参りましょう。




