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拗らせた初恋の結末は、

作者: 雪菜

 シュナイゼル伯爵家の令嬢エリーゼは、その愛らしさから幼少の頃より持て囃され、蝶よ花よと育てられてきた。


 ふわふわと腰を覆うブロンドの髪。長いまつ毛に縁取られたアイスブルーの瞳。愛くるしい容姿は成長と共に磨きがかかり、十五歳となった今では輝かんばかりの異彩を放っている。


 貴族のあいだでも自由恋愛が増えてきた昨今、婚約者のいない令嬢令息は学内で気軽に恋人を作る。そんな風潮があるものだから、入学試験に合格すれば身分関係なく通える名門王立学園で、エリーゼに告白してくる男子生徒は後を絶たなかった。


 今日も今日とて休み時間。会話を交わしたこともない同学年の男子生徒に呼び出された三年生のエリーゼは、真っ直ぐな愛の告白に対してふわふわと微笑んだ。


「ごめんなさい。わたくし、恋人となる方は学年首席がよいのです」


 これは、一年生の頃からずっと使い続けている常套句だった。


 学年が異なれば、同じ学年の方としか交際する気がありませんと首を横に振り。同学年であれば、学年首席以外とはお付き合いしませんと断る。エリーゼは、ずっとそう対応し続けてきた。


 そして、これまで七度の試験があったが、告白してきた男子生徒の中で条件を満たした者はいない。


 どんな男にも靡かない高嶺の花。


 学業、乗馬、ダンス、ピアノ、マナー。なんでもトップ。入学当初から常に学年首席の成績を維持する完璧令嬢。それがエリーゼだった。



◆◆◆◇◆◇◆◆◆



「そーいえば、エリーゼ。ハインツ侯爵家の長男に呼ばれてたよね? また断っちゃったの?」


 本日最後の授業は、男女別々の特別授業だった。調理実習で作ったクッキーを幸せそうに頬張りながら。並んで廊下を歩く友人イリスが、ふと思い出したように首を傾げた。


「はい。あの方は、学年首席ではありませんから」

「え……、あれって体のいい断り文句じゃなくて本気で言ってたの?」


 手のひらサイズの紙包みからクッキーをまた一枚、摘んで。


「なんでもできるエリーゼだし……理想が高くなるのもわかるけど。高望みし過ぎると高嶺の花のままで卒業することになっちゃうよ? 妥協、大事」

「高望みなどしておりませんわ」

「エリーゼの基準は高過ぎるんだよ。同い年っていうのは……うーん、好みの範疇として。容姿や内面だけじゃなくて成績まで自分と同等を求めるのは立派な高望みだと思う」

「あら? 同等ではないわ。わたくしより成績が上の方を求めているのだもの」

「余計にだめだよ……」


 呆れたように桃色の髪を揺らすイリスにクスクスと笑みを返して。教室の扉を開けたエリーゼはあら、と目を瞬かせた。


 放課後の教室は、常とは異なる熱気で満ちていた。きゃあきゃあと女の子の華やいだ声が目立ち、いくつかの人の輪ができている。


「みんな熱烈だねー。見たところ、一番人気は殿下かな? 流石は学園一の美男子さま」


 イリスの感想でやっと思い至る。


 調理実習で作ったクッキーを、女の子たちが意中の男子生徒に渡しているのだ。素敵な恋人を作って学園生活を謳歌するのは、女の子の憧れ。


「その次が……クーリッジ伯爵令息たちの集まり、かな?」


 イリスの視線につられたエリーゼは、目立つ赤髪を見つけてぴくりと眉を動かした。手の中の、紙に包まれた焼きたてのクッキー。一番の出来だと教師に褒めてもらった自信作。


「帰り支度の前に少し、外の空気を吸って参りますね」


 イリスに手を振って別れたエリーゼは、校舎裏の庭園へと向かった。外に出ると、爽やかな風が頰を撫でる。うだるような暑さはすっかり和らいで、日ごとに秋の気配が強まっていく。


 薔薇の生垣に囲まれたベンチに腰掛けたエリーゼは、膝の上の紙包みをそっと開いた。バターの香りがするクッキーを見つめて、ため息をこぼす。ひと欠片口に入れて、眉根を寄せた。


「こんなことなら、もっとお砂糖を入れるべきでしたわね……」


 甘みを抑えた素朴な味は、残念ながらエリーゼの口に合う代物ではない。


「リズ」


 常日頃からエリーゼを愛称で呼ぶのは、王国広しといえど一人だけ。顔を上げたエリーゼは、近づいてくる線の細い少年に向けて微笑んだ。


「ご機嫌よう、アレン」


 鮮やかな赤髪も、夕暮れみたいな瞳も、エリーゼにとっては見慣れた色。


 アレンディス・クーリッジ。クーリッジ伯爵家の嫡男だ。


 当たり前のように隣に座った彼が、そのままの流れでクッキーに手を伸ばしたものだから、エリーゼはさっと避けた。


「アレンは飽きるほど召し上がったはずですわ」


 甘い顔立ちに加えて名門貴族の出でありながら横柄なところがなく、気さくで人懐っこい。学業も一年生の頃から優秀で、常に成績上位者十名に名を連ねている。そんな彼をいいなと思っている女子生徒は多いのだ。


「あれはみんなに、だよ。俺は一つ摘んだだけ」

「あら。アレンが見初めたのはどちらのお嬢さんでしょう?」

「興味があるなら一緒にいた連中に聞いて」

「好奇心がちょっぴり疼いただけですわ。わざわざ尋ねてまわるほどの興味はありません」


 あっそ、と呟いた彼が小首を傾げる。


「そういうわけだから、貰ってもいい?」

「わたくしの口に合わないんですもの。わたくしよりずっと繊細な舌をお持ちのアレンがお気に召す出来ばえではありませんわ」

「甘党のリズが渋い顔をするなら、俺にはちょうどいいってことだ」


 何かを確信しているような笑み。エリーゼはぷいっと顔をそむけた。


「都合よく解釈なさらないで。アレンの好みに合わせたわけではなく、純粋に出来上がりの問題で――」

「なんでもこなせる完璧令嬢って評判のリズがクッキー作りは失敗した、と。入学前からお菓子作りは趣味だったのに?」

「…………」

「食べていい?」

「……お好きにどうぞ」


 クッキーを一枚口に放り込んで。美味しいよ、と屈託なく笑う。当然だ。彼の好みは熟知しているし。


 エリーゼは、ふと思い出して尋ねた。


「今朝、ハインツ侯爵のご子息に呼び出しを受けたのです。いつもの通りに答えたところ、イリスはわたくしが高望みし過ぎだと。アレンはどう思いますか?」

「高望みかどうかはともかく、選り好みし過ぎると貰い手がなくなるんじゃない?」

「それこそ要らぬ心配というものです。見てくださいな、わたくしのこの美貌。頭脳明晰、器量よし。多少の選り好みをしようと引く手数多ですわ」


 アレンディスが眉根を寄せる。


「性根が捻じ曲がってる分がだな……」

「それを補って余りある、この可憐さです」

「あー、はいはい。可愛い、可愛い」

「心がこもっておりませんわね」

「リズは昔から人形みたいに可愛らしかったよ。それは事実。事実を言うのに心をこめる必要ある?」

「……っ」


 怪訝な面持ちで吐かれた不意打ちに一瞬、言葉に詰まり。エリーゼは内心の動揺が態度に出ないよう細心の注意を払いつつ、にっこりと微笑んだ。


「さしものわたくしでも、アレンの愛らしさには敵いませんでしたわ。幼い頃のアレンはそれはもう可愛らしくて女の子顔負けの――むぐ」


 クッキーをひと欠片、唇に押し付けられた。もぐもぐと咀嚼し、嚥下してから。非難がましいアレンディスの眼差しに応える。


「気にしてらっしゃいました?」

「知ってて言ってるくせに。そーいうトコだぞ」


 お互いに言いたい放題な、気心の知れた会話。二人の父親は大の親友で。国外に赴くことの多いクーリッジ伯爵夫妻は、一人息子をエリーゼの屋敷へ頻繁に預けていた。二人は物心ついた頃から兄妹のように育った幼馴染なのだった。



◆◆◆◇◆◇◆◆◆



 山も谷もないエリーゼの学園生活に波風が立ったのは、ある日のダンスパーティでのことだった。


 社交の一環として誘われるままに踊って。最低限の役目を果たしてからは壁の花と化していたエリーゼは、会場のざわめきに気づいた。 


 好奇心に惹かれるまま人だかりに近づき、目を瞠る。耳目を集めているのは、見目麗しい男女。


「くどいぞ、カーラ・カーディス。私たちはもう終わったんだ」


 追い縋る令嬢の手を鬱陶しそうに払い除けたのは、ギルフォード・ヴァレンシア。成績優秀、眉目秀麗なこの国の第二王子様。


 美しい王子様は、女性関係が派手だった。彼が一人の女性と長く続いたことはなく、恋人は簡単に入れ変わる。


 友人たちに慰められ、泣きじゃくる令嬢の姿に同情していたエリーゼは、ふと眉をひそめた。件の王子様が、なぜかエリーゼの元へ真っ直ぐに歩み寄ってきたからだ。


 目の前で足を止めた彼は、優雅な仕草で跪く。


「エリーゼ・シュナイゼル。君と同じクラスになって半年、私はすっかり君の虜となってしまった。私の恋人になってくれないだろうか」


 たった今捨てた恋人の目の前で、平然と。脈絡なく、彼はそう告げてきた。


 愕然とした元恋人の瞳が突き刺さる。彼女の友人たちは射殺さんばかりの眼差しで王子とエリーゼを睨んでいた。


 ――なぜわたくしまで……。


 内心でこっそりとため息を吐いたエリーゼは、見上げてくる王子様を見つめる。


 シャンデリアの下でキラキラと輝く銀髪。ギルフォードの美貌は物語の王子様にだって劣らない。


 形の良い唇の端はわずかに持ち上がり、自信たっぷりだ。


 この人の、こういうところが好きじゃない。恋人を取っ替え引っ替えしている軽薄さにも呆れるけれど、それとは別の部分にエリーゼは嫌悪を感じる。愚かな人だと思う。エリーゼも大概だけれど。だが、女癖の悪さとは裏腹に悪知恵が働くのも事実。だから目を付けられると厄介だった。


「わたくしは――」

「恋人は首席がいい、だろう? 来週末からの試験で私が君を抜いて一番になったら、恋人になってくれるか?」


 返答次第で、周囲からの風当たりが変わる。わかっていて、エリーゼは微笑んだ。


「その時は、喜んで」



◆◆◆◇◆◇◆◆◆



 二人のやり取りはあっという間に学園中に知れ渡り、注目の的となった。生徒とすれ違うたびに、エリーゼは軽蔑と好奇の視線に晒される。


「エリーゼが試験で手を抜いたら、未来のお妃様だね」

「カーラ様の二の舞はごめんですわ」


 恋愛結婚も増えたとはいえ、王族という身分ではそうもいかない。彼は第二王子という立場だから、由緒正しいだけの伯爵令嬢と結婚したところで、だ。旨味がなさ過ぎて外野が許さないだろう。そうでなくとも彼の性格からして、飽きたら次の女の子に移る。


「エリーゼはもっと自信家だと思ってた。浮名を垂れ流した殿下を改心させて虜にしてやろうって意気込むかな、とか。ほら、あれ。なんだっけ? えーと、あ、真実の愛。気の多い男が主人公には一途。恋物語の定番でしょ?」


 誰からも好かれる恋物語の主人公のような魅力なんて、エリーゼにはない。


「そうじゃないみたいで安心した。あの方とお付き合いしても碌なことにならないと思うし」

「同感ですわ」


 肩を竦めたエリーゼはそこでイリスと別れ、鞄を取りに教室へ向かった。放課後の廊下はひと気が薄く、ひどく静かだ。だから、開け放たれた扉の向こうから漏れてくる会話は、はっきりとエリーゼの耳まで届いた。


「近頃は、熱心に試験勉強に打ち込んでいらっしゃいますよね。流石の殿下もシュナイゼル伯爵令嬢の可憐さの前では形無しですか?」

「まさか、一時の遊びだよ。あんなハリボテに惹かれるほど私は初心じゃない。誰にもなびかない高嶺の花を夢中にさせ、飽きたら捨てる。なかなか楽しそうだろう? 最高の暇つぶしさ」


 そっと中を窺うと、教室には四人の男子生徒が残っていた。ギルフォードの発言に友人たちはなんともいえない顔をしているが、咎めることはしない。


 ――こんな方が一途に愛してくれるだなんて夢見るほど、恋に飢えておりませんわ。


 そっとため息をこぼしたエリーゼは、わざとらしくコツコツ、と足音を立てて教室に入った。


「楽しそうなお話ですわね。わたくしも交ぜていただけますか?」


 微笑みを浮かべて割り込むと、男の子たちはぎょっとした顔になる。ギルフォードだけは悪びれた様子もなく笑っていた。


「おっと、聞かれてしまったか。矜持を傷つけたか? だとしても、負けず嫌いな君のことだ。前言を撤回したりはしないだろう?」


 負けず嫌い。そう。それがエリーゼの本質だ。エリーゼの性格を見抜いていたから、彼はあんな形で告白してきたのだ。意地の悪い人。


「もちろんです。試験が楽しみですわ」


 ニヤニヤとした笑みに優美な微笑みを返して、エリーゼは鞄を抱えて教室をあとにした。


「あれで中身も伴っておりましたら、非の打ち所のない方ですのに」


 廊下を歩きながらポツリと呟く。


 だとしても、恋人になるかは別の話だが。


「性格がどうであれ、殿下が成績優秀なのは事実ですもの。気を引き締めなくてはいけませんわね」


 王族として相応の英才教育を受けてきたギルフォードの優秀さは本物なのだ。


「アレンって確か、エリーゼ様と昔馴染みだったわよね? この招待状、代わりに渡していただけないかしら?」


 ――わたくし?


 階下から自分の名前が聞こえて来たものだから、足を止める。上から覗き込むと、踊り場にアレンディスと二人の女子生徒の姿があった。


「どうして俺に? 直接渡せばいいじゃないか」

「今はあまり関わりたくないのよ。よりによってカーラ様の前で気を持たせるような返事をなさるだなんて」

「初めから殿下を狙っていたんじゃないかしら。入学以来、殿下はずっと学年次席ですもの。ほら、入学式のご挨拶。首席入学の方が辞退なさって次席の殿下にお話が回ってきたとか。辞退なさった方は不明ですけれど、エリーゼ様の可能性が高いって言われていたでしょう? あれも、殿下への点数稼ぎだったのではないかしら。殿下が優秀なのは昔から有名でしたもの。伯爵令嬢の有名な断り文句だって、次席の殿下ならいつか自分よりも上の成績を取ると見越して遠回しにアピールしていらしたのではなくて?」


 ――残念、ハズレです。でもいい線ですわ。


 聞かなかったことにして立ち去るのが賢明だろうか。アレンディスの呆れた声が、迷いあぐねるエリーゼの耳朶を打った。


「わざわざ別れた恋人の目の前で告白した殿下の悪辣さよりも、エリーゼが非難されるんだな」

「だからこそ、はっきりと断るべきなのよ。カーラ様への配慮がまったくないわ。あれでは交際に同意したようなものじゃない」

「あれだけなんでもできるのですもの。目の前で恋人を奪われる気持ちなど、想像もつかないのでしょう」

「――この前の調理実習。ガーネット子爵令嬢って、クッキー焼いた経験はあった?」


 脈絡のないアレンディスの疑問に、令嬢が首を捻る。


「……? いいえ、あの日が初めてでしたわ」

「そっか。初めて作ってみて、出来ばえはどうだった?」

「え? 普通……でしょうか。可もなく不可もなく……普通に美味しかったと思います」

「レシピ通りに作れば失敗するものでもないもんな。ちなみにエリーゼが初めてクッキーに挑戦したのは十歳の時。最初は黒コゲの炭。二回目は作り話の手本みたいに塩と砂糖を入れ間違え、三回目は生焼け。成功したのは六回目だったかな?」


 ――八回目よ。わたくしの不器用さとそそっかしさを舐めないでくださいな。


「なんでもできるけど、相応に時間もかけているんだ。寧ろ、不器用だから人一倍時間をかけることもある」

「……」


 アレンディスの声が冷ややかだったからだろうか。少女たちは押し黙った。


「招待状、預かるよ。代わりに彼女の人間性を決めつけるのは控えてくれないか? エリーゼは自分を曲げなかっただけ。あんな見世物のために、曲げる必要が有ったとも思えないけど」


 複数の足音が遠ざかっていく。


「わたくしが不器用なのではなくて、アレンが器用なのです。そこを履き違えないでくださいな」


 階段を下りて姿をみせると、アレンディスは驚いたような顔になる。エリーゼが手を伸ばせば、彼は招待状を差し出してふっと笑んだ。


「確かに、リズの誕生日に俺が作ったラズベリータルトは天才的な再現度だった」

「わたくしの人生で最も敗北感を植え付けられたのは、間違いなくあの日ですわね」


 エリーゼにとってアレンディスは幼馴染であり、同時にライバルでもあった。負けず嫌いなエリーゼは同い年の彼相手になんでもかんでも張り合った。勉学、マナー、ダンス、剣術、乗馬、ピアノ。その一つとして、彼に勝ったことはなかった。


 エリーゼが張り合うたびに、周りの大人たちは言った。アレンディスは男の子で、エリーゼは女の子。敵わないのは当然なのだと。彼に勝てなくたって、その可愛らしい容姿なら将来素敵な結婚ができる。だから貴族の令嬢として相応しい教養を身につければそれで十分だ、と。それが悔しくて堪らなくて。


 十一歳の誕生日。エリーゼは彼に無理難題を吹っかけた。お母様が毎年作ってくれたラズベリータルトが食べたい、と。


 五年前に他界した母は、毎年エリーゼの誕生日にラズベリータルトを焼いてくれた。母の作るタルトは誰もレシピを知らず、同じ味は再現不可能。要するに、エリーゼは彼を心底困らせた上で音を上げさせたかったのだ。ところが、アレンディスは無茶な要望にしっかりと応えてみせた。誕生日当日に彼が用意してくれたラズベリータルトは、毎年食べていたものと見た目も味もまったく同じで。記憶にある味を、彼はその舌だけで忠実に再現してみせたのだ。


「あの誕生日で、わたくしはアレンと張り合うだけ無駄だと悟りましたわ」

「けど、今はリズの方がなんだって上手だろ? 俺は飽き性で努力を継続する根気強さがないから、最終的にはリズが勝つ。当然、侮ってるあの王子様に目に物見せてやるんだろ?」

「もちろん、最初からそのつもりです」



◆◆◆◇◆◇◆◆◆



 エリーゼは第二王子様の鼻っ柱をへし折る気満々だった。それはもう、これまで以上に気合を入れて試験勉強に励んだ。ところが。


 試験一日目。


「自信はどう?」


 登校してきたイリスが尋ねてくる。教本から顔を上げたエリーゼはにっこりと微笑んだ。


「上々ですわ」

「いつも通り、自信満々だね。がんばって」


 自分の席に向かうイリスを見送って、心の中だけで悲鳴を上げる。身じろぎするたびにズキズキと頭が痛むせいだ。


 エリーゼは、見事に体調を崩してしまった。熱はさほど高くない。測っていないからわからないけれど。たぶん、微熱。代わりに頭痛がひどい。痛みを顔に出さないよう耐えるので精一杯。問題が満足に解けるとは思えなかった。


「おはよ」


 今度は隣の席からアレンの声。


「おはようございます」


 席についた彼は、目が合うと眉をひそめた。


「なにか?」

「……なんでもないよ。勝てるといいな」


 微妙なニュアンスに気づいたエリーゼは、はっきりと苦笑した。


「最善は尽くしますわ」


 頭痛と戦いながら解答欄を埋め。正午を知らせる鐘の音と共に、今日の試験は終了した。出来は――過去最低。残りは七科目。勝てるだろうか。おそらくというか、絶対に無理だ。これまでの総合点は二位に二十点近く差をつけていたけれど。そのくらいの点差はあっさり埋まってしまうくらい今日の分で落としている。


「エリーゼ、帰らないの?」


 生徒たちがどんどん教室から出て行く中、一向に立ち上がらないエリーゼに気づいたイリスが不思議そうな顔になる。鞄から適当な教本を一冊抜き取って、掲げてみせた。


「施錠の時間まで自習していこうと思います」


 納得した面持ちでイリスが出て行き、一人、また一人と生徒が立ち去り。教室に残っているのはエリーゼただ一人となった。


 立ち上がる気力も湧いてこない。寮までの道のりが果てしなく遠く思えた。


 窓の外をぼんやりと眺めてポツリと呟く。


「断るべきだったのかしら……」


 首席の座を渡すつもりのないエリーゼにとって、そもそもあの断り文句は徹頭徹尾お断りの意志表示なのだけれども。あの場に限っては、しっかりと拒絶すべきだったのかもしれない。


 エリーゼが例の断り文句を使うようになったのは、一年生の最初の試験で席次が張り出され――首席に自分の名が載っているのを見た時から。


 恋人は首席がいい。エリーゼにとって、とても大切な条件だった。意地っ張りな自分がいつか勇気を出すための、願掛けに近いもの。二年以上通してきた意地をあんな形で曲げたくなくて。でも、こんなことなら撤回すればよかった。タイミングが悪い意味で重なっただけで、体調を崩して首席を逃すなんていつかは起こっただろうし。


「わたくし、大馬鹿者です……」


 コンコン、と音がした。弾かれたように振り返ると、戸口にアレンディスが立っている。


「何してるんだ?」

「……わたくしが知りたいくらいですわ」


 本当に、なにをやっているのだろう。体調が悪いと心も弱くなるのだろうか。無性に泣きたい気分になってくる。全部エリーゼの自業自得だけれども。


 近づいてきたアレンディスが、エリーゼの額に手を当てた。


「微熱、かな。朝はどのくらいあったんだ?」

「測っておりません」

「なんで」

「病は気からといいます。熱があるとわかってしまったら、余計に具合が悪くなるかもしれませんもの」


 苦笑したアレンディスが、制服のジャケットを脱いで渡してくる。意図がわからなくて首をひねると、彼はエリーゼの前で跪いた。背中を向けて。


「寮まで送るよ」


 どうやら、背負ってくれるらしい。


 アレンディスの体格はどちらかといえば華奢な方なので、大丈夫かしらと心配になる。かといって歩く元気もないから、迷った末に甘えることにした。ジャケットを羽織っておそるおそる体重を預けると、アレンディスは危なげなく立ち上がった。


 エリーゼの体調を気遣う様に、ゆっくりと歩いてくれる。


「間が悪いよな。よりによって殿下との賭けがかかった試験で体調崩すって」

「……」

「いっそのこと、体調最悪ですってアピールして賭けは次に持ち越してもらえば?」

「そのような形で撤回するくらいなら、降参した方がずっとましですわ」


 それだけは、エリーゼの矜持が許さない。体調を言い訳にしたくなかった。


「リズらしい」

「殿下の恋人になったら、めいっぱいわがままを言って振り回してみましょうか。わたくしとの交際がトラウマになるくらい困らせてさしあげるのは楽しそうです」


 どうせ向こうは暇つぶし感覚なのだから。


「わがままって、例えばどんな?」

「え? えぇと……ええ、と」


 具体的な案が思いつかなくてどもってしまう。アレンディスが吹き出した。


「ははっ、リズには無理だよ」


 おかしそうに笑う幼馴染の他人事っぷりが恨めしい。昔から、掴みどころのない男の子だった。彼の中でエリーゼはただの幼馴染なのか。それとも、ちょっとくらい特別なのか。全然読めないから、今こんなことになっている。


「わたくし、負けると思います……」


 残りの科目がすべて満点だったとしても、総合点は敵わない可能性が高い。


「リズは悲観的だけど、殿下が首席をとる絵面はいまいち想像できないよ。詰めが甘そうだし、案外リズより出来が悪い可能性もあるんじゃない?」

「……解答欄がズレていることを祈りますわ」


 ため息交じりに呟いて、エリーゼは目を閉じた。



◆◆◆◇◆◇◆◆◆



 翌日には体調も回復し、残りの試験はなかなかの出来だった。それでもやはり初日のやらかしは痛く。ギルフォードには負けただろうなと諦めながら、席次が張り出されるのを廊下の端で待った。


 いざ順位が発表されると、騒々しかった廊下は更に騒めいた。


 人混みを掻き分け、張り出された席次を見たエリーゼは目を丸くした。


 エリーゼの名前は、第二王子の下にある。やはり勝てなかったのだ。だが。


 ――どうして。


 一番上に記された名前を見つめて、エリーゼは息を呑んだ。


「エリーゼ・シュナイゼル! どんな小細工を弄した!」


 硬直するエリーゼを現実に引き戻したのは、ギルフォードの怒声だった。自然と人波が割れて、彼は苦もなくエリーゼの前まで辿り着く。


 秀麗な顔を怒りで染め上げた彼は、凄まじい目つきだった。


「首席が私でもお前でもなく、クーリッジだと!? あり得ない! 答案用紙を入れ替えでもしたのかっ? 答えろ!」


 首席――アレンディス・クーリッジ。


 ギルフォードにとっては想像もしていなかった伏兵だろう。だが、エリーゼにとっては――。


 緩みそうになる口元を引き結んで、エリーゼは冷ややかに答える。


「では、先生方にそう抗議なさってはいかがでしょう? 見る目のなさを呆れられ、殿下の品位を貶めるだけですのでおすすめはしませんわ」

「どういう意味だ」

「殿下は入学式で新入生代表の挨拶を務められました。首席が辞退したので、次席で合格した殿下が選ばれた――辞退したのはわたくしではなく、アレンですわ」


 ギルフォードの瞳が凍りつく。


 一礼して立ち去ろうとしたエリーゼの腕を、王子が掴んだ。


「待て。私が君に勝ったのは事実だ。賭けは私の――」

「わたくしは言いましたわ。恋人は首席がいい、と。わたくしに勝てば、とは一言も、一度だって口にしておりません」


 縋ってくる腕をやんわりと押し戻し、エリーゼは振り返ることなくその場を立ち去った。


 共に王立学園の卒業生であるエリーゼとアレンディスの父親は、大の親友。エリーゼとアレンディスは家柄も年齢もちょうどいいし、互いの仲もよさそうだから婚約するのはどうかと。十二歳の時、父からエリーゼがよければどうだろうと打診された。


 十一歳の誕生日。母が作ってくれたラズベリータルトが食べたいとエリーゼがわがままを言った時。後日、シュナイゼル伯爵家の使用人がこっそり教えてくれた。ラズベリータルトのレシピについて尋ねて回るアレンディスに、彼らは別のケーキを作りましょうと提案した。お嬢様はアレン様を困らせたいだけですから、と。


 すると、アレンディスは首を横に振った。そうじゃないよ、と。エリーゼにとって思い出のタルトだから。きっとどんなプレゼントよりも喜ぶだろうから、やれるだけやってみると。


 アレンディスを困らせたい気持ちがあったのも本当。でも、毎年の慣習が変わってしまったら、いつか母のことも忘れてしまう気がして悲しくて。だから、誕生日にあのラズベリータルトがどうしても食べたかった。


 アレンディスはなんでもできる本物の天才だけれど、物事に熱を注ぐのを厭う。だいたいのことに手を抜くのだ。そんな彼はエリーゼの一番の理解者で。周りと違ってエリーゼの努力を無駄だと一蹴したりせず、見守ってくれて。時にはエリーゼのために一生懸命になってくれる。


 そんな彼が大好きだったから、婚約の話が持ち上がった時は飛び上がるほど嬉しかった。ここで素直に喜んでお受けします、と伝えられる女の子だったら、アレンディスはエリーゼを性根が捻じ曲がっているなんて評さないし、初恋を拗らせたりしていない。


 自他共に認めるひねくれ者のエリーゼは父にこう答えた。わたくしはどちらでも構わないからアレンが望むなら、と。彼は彼で、両親にこう答えた。リズが決めていいよ。


 双方の意見を取り入れた結果、婚約の話は一時保留となった。どちらが先に幼馴染というぬるま湯から一歩を踏み出すか。探り合って駆け引きして、あっという間に三年が経過した。


 校舎裏の中庭。先日エリーゼが座っていたベンチに、アレンディスの姿があった。足音に気づいた彼と目が合う。


「どういう意味でしょう?」


 脈絡のないエリーゼの質問。でも、その意味は彼にだけは伝わるはずだった。恋人は学年首席がいい。エリーゼがどうしてそんな断り文句を持ち出すのか、アレンディスだけは初めからわかっていたはずだから。


「クッキーが美味しかったから」


 ――そうきたか。


 婚約に前向きなら、首席になって。アレンディスの気持ちを確かめるための、エリーゼの遠回しなメッセージ。


 アレンディスがやる気を出せば、学年トップの成績を残すのはさほど難しいことではないはずだから。


 エリーゼは、ちょうどいいからで婚約するのが嫌だった。かといって、真正面からわたくしが好きですかと尋ねる度胸もなかった。だって、アレンディスがエリーゼを好きになる要素がないではないか。愛らしい容貌を取っ払ったら、エリーゼに残るのはひねくれた性格だけだ。


 アレンディスがエリーゼを気にかけてくれるのは幼馴染だからなのか。それとも、別の愛情もあるのか。ずっと、確証が欲しかった。


「では、その美味しいクッキーに免じてもう一つ答えてくださいな」


 夕焼け色の瞳を上から覗き込み、エリーゼは小首を傾げた。


「先日、アレンは言いました。努力を継続する根気強さが自分にはないから、最後はわたくしが勝つのだ、と。では、ぶっつけ本番で試験に臨んで首席になれる天才か、もしくはずっとずっと前からコツコツ試験対策をしていた努力家さんか――わたくしの幼馴染は、どちらなのでしょう?」


 後者だと確信していたから、自然と口元が綻んだ。


「……意地悪な顔」


 アレンディスのジト目が可愛らしくて、エリーゼはふふっと笑みをこぼす。


 入学してから初めての試験で、アレンディスは首席じゃなかった。上から七番目。エリーゼが理由を尋ねると、これが実力、試験勉強しなかったらこんなものだよ、と彼は答えた。


 エリーゼとギルフォードの賭けを、アレンディスはエリーゼが勝つと思っていたはず。エリーゼが体調を崩し、ギルフォードが優勢になったのは当日のこと。アレンディスの言葉が事実なら、急遽首席を狙うのは難しい。だが、前もって試験対策をしていたなら話は変わる。


 最初から決めていた。遠回しなメッセージに答えが返ってきたら、素直になろうと。


「わたくしは、アレンのお嫁さんになりたいです。アレンはどうですか……?」


 自分でもびっくりするくらいど直球な言葉が飛び出した。アレンディスも意表を突かれたようで、目をまん丸にしている。数秒。固まっていた彼が柔らかく微笑んだ。


「……うん。俺も、お嫁さんにするならリズがいいな」


 たったこれだけのやり取りを交わすのに三年も費やしたことがおかしくて。でも彼の言葉が何よりも嬉しくて。


 はにかんだエリーゼは、アレンディスとの距離を詰めようと、一歩を踏み出した。

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異世界恋愛での連載もしております。下にリンクがありますので、よろしければ!


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