第5話 『アリス・フェルナース」
私は小さいころに毎日泣いていた。恐怖で毎日が怖かった。
いつ家族に捨てられてしまうのか、あるいは、いつ家族に殺されてしまうのか。そのことが頭の中を埋め尽くしていた。
そんな私の唯一の心の拠り所は双子の兄だった。
私達双子は世界から嫌われた存在だった。理由はたった一つ、私たち双子は天使と契約できなかった。
普通の家庭であればそれが当たり前だ、天使と契約している人の方が圧倒的に少ないから。だけど私たちは普通じゃない。
人類は天使や精霊について詳しいことはわかっていない、だからといって全くの無知というわけでもない。例えば契約には2種類ある。生まれた瞬間に契約する先天的な物と、ある日突然契約者になる後天的な物。
ほとんどの契約者は後者である場合が多い、なぜなら後者の場合は契約者に対して何の条件もないからだ。普通の家庭でも、または両親のどちらかが契約者でも。ある日突然天使や精霊と契約し力を得る。
一方で前者の場合には絶対の条件がある。それは父親と母親の両方が契約者であるということだ。両親が契約者の場合、その子供は生まれた時から天使や精霊との契約者になる。
私たちフェルナース家の場合は両親が天使との契約者なので生まれた時から天使との契約がなされるはずだった。だけど私たちは天使に選ばれなかった。
それは世界から嫌われたことを意味する。これまでの歴史で私たちと同じ境遇の人たちが後に契約できた話は一つもない。それどころか全員が悪魔と契約し魔人となって世界に害をなす存在になると言われている。
特に有名なのは「堕ちた騎士」という物語だ。600年ほど前のレタリアでとても優れた騎士がいた。彼は毎日の訓練でも手を抜かず真面目にこなし、実践では数多くの魔獣を討伐し、仲間の騎士や街の住人達から多くの信頼を寄せられていた。そのことが功を奏し彼は王を守る護衛に選ばれたのだ。契約者でない騎士は悪魔を殺すほどの大きな功績はなかったが、地道な頑張りは彼の周りの色んな人達に届いていたのだ。しかし、事件は突然起こった。騎士が王の護衛についてからしばらく立った日、王やそれを支える貴族たちを連れた大々的な遠征が行われた。そして、都市から離れた街や村を回っていた時、騎士が王や貴族、護衛の騎士たちを何人も殺したのだ。その後その騎士は自らの命を絶った。その場を目撃していた人たちは騎士が悪魔の力を使っていたと言った。彼の一族は全員が処刑された。天霊騎士だった彼の両親や双子の弟も例外なく。
以来王国では契約できなかった赤子を世界から嫌われた存在とし、即刻首を刎ねるようになった。
だけど私たちの両親は私たちを守ったのだ。騎士団長という立場があるにも関わらず。そのことに貴族達は難色を示したが、レタリアの王であるエルドール・レタリア王が12年の猶予を与えてくださった。
私たち双子の上の兄二人が契約者であること、お父様がこの国で一番と言われるほどの天霊騎士だったのが、私たちが生きながられるのを許された理由だ。
だけど私たちが天使に選ばれることはなかった。8年ほど経ち、家族の中でも徐々に諦めのような空気が流れていた。それと同時にフェルナース家の立場も悪くなっていた。
子供は大人が思っている以上に空気を読む力を持っている。一緒に剣の稽古をしていた子たちも何となくの事情を察してか、私達から距離をとるようになった。中には一緒にいてくれた子もいたがごく少数だ。
そんなある時、屋敷の廊下を歩いていた私は、両親の会話をたまたま耳にしてしまった。その内容は、今すぐにでも楽にしてあげた方がいいのではないかと言った内容だった。
いつ悪魔に利用されるか分からないと言った理由もあるだろうが、多分お父様は自身が団長を務める騎士団やフェルナース家のことを思っていったのだろう。それを聞いたお母さまはお父様を叱りつけていたが、子供の私はそれどころではなかった。
それ以来私は毎日一人で泣くようになった。家族のことは好きだったけど家族は私を好きじゃないのだと思った。そのことがとても怖かった。いつ両親が私を見捨てるのか分からない。いつその日が来てしまうのかと考えると、だんだん心が闇に侵食されていくようだった。
そんな私を双子の兄だけが助けてくれた。いつも傍にいてくれて優しい言葉をかけてくれた。本当は兄も苦しいはずなのに、恐怖で泣きたいはずなのに、だけど兄は涙一つ流さず傍にいてくれた。
それから2年が経ち私たちが10歳になった頃、私は天使と契約していた。自分でも自覚はなかった。お母様と剣の稽古をしていた時、私の体から天使の光が漏れ溢れるように迸った。
力を制御できなかった私はその場で意識を失った。目が覚めた時、お母さまが涙を流しながら何が起こったのかを教えてくれた。とても嬉しかった、久しぶりに家族から愛されたような感覚だった。
次の日からは毎日が楽しかった。離れていった子たちとも再び稽古するようになったり、お父様が初めて稽古をつけたりしてくれた。
私は天使の力をうまく扱えなかった。今もだけど過剰に力を使ってしまうためすぐに体力が切れてしまう。意識を失うことはなくなったけど周りと比べると全然だ。
両親に相談した時は嬉しそうに相談に乗ってくれた。曰くかなり強い天使に選ばれたのだとか、特別な力があるのだとか、詳しい原因は分からなかったけど、嬉しそうな両親を見て私も嬉しかった。
だけど私が天使と契約してから兄の居場所はますます無くなっていった。今の兄は「堕ちた騎士」とかなり似たような立場だったから。
双子の私が契約者なこと、剣の腕がいいことなど子供の私からすれば言いがかりだと思えるようなことまでもが兄の居場所を奪っていた。
私は兄が周りに対しなかしらの抗議をしてほしかった。剣の腕も優秀で頭もよく精神的にも大人びている兄は、妹の私からすれば何一つ欠点なんて内容に見えるのだから。
だけど兄は何も言わなかった。それどころか以前よりも家族と距離をとるようになった。そのことが私は受け入れられなかった。優秀な兄を見捨てようとする家族や周りの人達、そのことを受け入れてるかのような兄。
そのすべてが嫌だった。だけど私にはどうすることもできなかった。いつしか私も兄と距離ができるようになった。顔を合わせたりしたら話しかけてくれるが私は素っ気ない態度で返事をするだけだった。
そして私たちが12歳になったとき兄は行方不明になった。1か月の捜索も虚しく兄は見つからなかった。その話を聞いたとき私は兄がいなくなったことを自然と受け入れていた。
私が契約者になってから2年、兄はずっと行動する時を待っていたのかもしれない。兄は頭がいい、大人よりもいいと思うほどだ。
そんな兄が行方不明になるはずなんてない。きっとどこかで生きているのだろう、この広い世界のどこかで。
***
兄が行方不明になってから4年が経ったとき、何の前触れもなく兄が帰ってきた。お母さまは私が天使と契約した時ぐらい喜んでいた。
だけどお父様はそうじゃなかった。天使と契約できていないことを知ると、母の静止も聞かず命を奪おうとした。
次男であるアレク兄さままでもが兄の命を奪おうとした。だけど奪えなかった。兄は賢者と4年間も一緒に過ごしたといった。
賢者とはこの世界のどこかにいると言われている「七天賢者」のことだ。人類の中で無類の強さを誇り伝説のような偉業をなしたものに与えられる称号だ。どこにいるか、年齢は、性別はなど謎の多い存在だ。
それでもこの世界に存在し、世界を守ると言われている賢者。そんな伝説の存在が兄を守ったのだ。世界から嫌われたとされる兄を。
話を聞いたとき私は思った。兄は賢者を探していたのだと。そのために何冊も本を読んだり、知識を蓄え、体を鍛えたのだと。自分の命を守れる可能性を見つけ出したのだ。
そんな兄がレタリア騎士養成学院に通いたいと言った。フェルナース家から追放された兄は返事も聞かず出ていった。
お父さまは難しい顔をしていたがお母さまが首を横に振ることを許さなかった。
3日後から兄と同じ学院に通う。昔一緒に稽古していた人たちと兄が再び顔を合わせるのを想像すると変な感じだ。だけど兄は何とも思わないのだろう。
なぜなら私の双子の兄アルト・フェルナースは歪んでいるのだから。