第4話『追放と賢者』
イザベルとアリスを連れてきた騎士と別れ、家族3人で自宅の屋敷に向かって歩いているアルト。屋敷までの道のりで、彼は4年ぶりの再会を果たした母親のイザベルからやむことのない質問攻撃にあっていた。
食事はどうしたのか、衣服はどうしていたのか、今までどこにいたのかなど本当に色んなことを聞かれていた。そのすべての質問に何一つ嫌な顔せず答え続けるアルト。
先ほどの門での会話はすぐに終わってしまい困ったような表情を浮かべていたのに、今はその気配が微塵も感じられない。母が落ち着きを取り戻したのもあるが、それ以上に兄の心境に変化を感じ取っていたアリス。
気持ちの切り替え、感情のコントロール、昔からそういったことに長けていたのを知っていた。
家族なのに本音を話そうとしない。今も核心的なことを聞かれないように返事のセリフは次の質問になるようなものばかりだ。
会話は成立しているのに、兄の中で自己完結したような気妙な感覚。剣の才能もすごく、頭もいいのにそれを鼻にかけない、天使と契約できていないのにまるで気にしたような様子もない。
そんな兄に嫌悪感、イラつき、怒りのような、なんと言葉で表現すれば正解なのかよくわからない感情を持っていたアリスは再び、門での続きを口にしようとする。
門から屋敷までの道中、妹のアリスが何か考え事をしている気配を漂わせていることに気づいていたアルト。
屋敷のすぐ近くまでついたのだがアルト以外は気づいていない。話に夢中なイザベル、考え事で意識が三万なアリスに
「母上、僕はまだ天使と契約できていません。」
ごく自然にあっさりと、心の底から大したことではないかのように話すアルト。その瞬間、イザベルとアリスの息を吞んだような声が響き渡った。
アルトの言葉を受けその場に立ち尽くすイザベル。彼女の顔は深い悲しみのような表情で覆われていた。数秒前まで自分から話し出そうとしていたアリスも、足を止め兄のアルトを見つめていた。
そんな二人を置いてアルトは屋敷の中へと消えていった。
***
「アルトよ、よくぞ無事であった。」
フェルナース家の屋敷入ってすぐの広間に足を踏み入れたアルトに、2階へと続く階段の下で父親のユスティアから声がかかった。
「はい。アルト・フェルナースただいま戻りました」
「うむ」
4年ぶりの父の声を聴いたアルトの心境は至って落ち着いたものだった。
例え父の声に再会の喜びが欠片もなかったとしても。
「久しぶりだな、アルト。4年も行方不明だった割には元気そうじゃねか」
「お久しぶりです、アレク兄上。」
ブロンド髪に鋭い目つき、がさつな笑顔や口調に対し鍛え上げられた体は父のユスティアに引けを取らないほどの男、アルク・フェルナースは広間の柱に背中を預けアルトに値踏みするよな視線を送っていた。
「アルトよ、久しぶりではあるが一つ確認したいことがある。天使との契約はなしたか」
親と子の再会であればもっと色んな言葉があったはず、母親のイザベルのように。だがそれを全て無視し、ユスティアは最も重要なことだけを口にした。
その質問は今のフェルナース家にとって、最も重要なことなのだ。だからこそユスティアはそれを口にした。
「いいえ、僕はまだ天使と契約できていません」
重くのしかかるようなずっしりとした口調の父に対しアルトは、またも落ち着いた口調で返事をした。
その瞬間、一度床に視線を落としたユスティアはひどく冷徹な声で
「そうか、ならばお前を」
「待ってください、あなた」
屋敷の扉が開いた。勢いよく開かれた扉から入ってきたのは先ほどまでアルトと一緒にいたイザベルとアリスだった。
そしてそのまま鬼気迫るような顔で夫のユスティアに詰め寄り
「アルトの命を奪うようなことには反対です。この子だってまだ16歳よ。アリスの時みたいにいつか天使と契約できるはずよ」
必死に夫を説得する母の姿をみてアルトは少し驚いた表情を浮かべていた。まさか母であるイザベルがここまで自分を心配していたとは思ってもいなかったのだ。
アルトが行方不明になるより2年も前のフェルナース家では、アルトは家族のみんなに対し心の壁のようなものを感じていた。挨拶ぐらいはするがその程度の会話だけだ。だから彼は家族と深くかかわらなかった。
そのことについては仕方のないことだと割り切っていたのだが、今の母の姿を見ると自分も少しは愛されていたのだと実感する。
だからといって過去の母や家族に対し恨みもなければ、今の自分の状況に後悔もない。
「イザベルよお前の気持ちも理解した。だが私にも譲れないものはある。この国の平和だ」
アルトに向ける時と違い、感情のこもった声で話すユスティア。鋼の意思を宿した夫の瞳を見たイザベルは、これ以上の説得が無理なことを悟る。この目をしたユスティアは何があっても自分を曲げない。
どれだけの傷を負っても、どれだけ愛した女性に嫌われることになっても。もはや説得が不可能だと悟ったイザベルは、涙であふれた顔を下に向け、声を押し殺して泣いていた。
息子を思い涙を流す母。妻の姿に胸を痛めてるかもしれない父。入り口で沈黙を貫く妹。当事者のくせに緊張感のかけらもない弟。そんな家族をぐるりと見まわしたアレクはやがて
「アルト、この四年間どこにいた?お前が失踪してから1か月の捜索をしたが何の情報もなかった。」
「どこに、と言われれば僕にもよくわかりません。」
「そうか。なら質問を変える、誰と一緒にいた?まさか4年間も一人で生きていたわけじゃねだろ」
鋭い目でアルトを睨み、徐々にイラつきを孕んだ口調になるアレク。
「先生と一緒にいました。」
兄のアレクの態度にさらに油を投下するかのようなアルトの落ち着いた態度。いつしかイザベルも顔をあげ二人の息子を見ていた。
「だからその先生が誰かって聞いてるんだよ。もし次に舐めた答えを言えば、父さんの代わりに俺がこの場で殺してやるよ。」
「アレク!」
柱に背中を預けていたアレクから光のようなものが見えたかと思えば、次の瞬間にはアルトの目の前に現れ、自身の腰にぶら下げている剣の柄に手をかけていた。
アレクからは隠すことのない殺気が漏れ溢れていた。
自分の弟を殺すのに何のためらいも見せない息子を止めようとするイザベル。しかし、そんなイザベルの手を掴み引き留めるユスティア。
「どうしたアルト、早く答えろよ」
「先生のことは僕も詳しくはわかりません」
「そうか。それがお前のこたえか、なら死ね」
アレクが剣を引き抜いた瞬間
「賢者。先生は一度だけ自身のことを賢者とおしゃっていました。」
アルトが「賢者」という単語を口にした瞬間、広間にいた全員の動きが止まった。それは、アルトの首筋に剣を当てていたアレクも例外ではない。
「賢者、だと」
賢者という単語を口のなかで転がすアレク。数秒ほど静寂がその場を支配した。
「アルト、それは本当のことか」
疑いを持ったような口調で問いかける父にアルトは
「本当のことです。ですが先生は適当な人だったので内容については、本当かどうか話わかりません」
「自身のことを賢者だと言ったのであれば、おそらく事実なのだろう。この世界で賢者の名を騙るようなものが居るとは思えん」
ことの重大さを理解しているイザベルは先ほどから黙って話を聞いていた。
気に入らないとは思いつつも、弟の首筋にあてていた剣を鞘に納めたアレクは再び柱に背中を預け事の成り行きを見守った。
「賢者の教えを受けたものを殺せば何が起こるか分からん。」
「あなた...」
顔にしわを浮かべながら悩むユスティアに何かを訴えかけるように夫を見つめるイザベル。
広間の全員の注目がユスティアに集まっていた。
やがて、何かしらの答えが出たユスティアはゆっくりと口を開いた。
「だからと言ってフェルナース家に契約者でないものを置いとくわけにはいかない。アルトよ、お前をフェルナースから追放する。二度とこの屋敷に足を踏み入れることは許さん」
「わかりました。ですが父上、一つだけお願いしたいことがあります。レタリア騎士養成学院に入ることをお許しください。」
そう言い残し、アルトは返事も聞かずに屋敷を出っていた。
あまりのあっけなさにユスティアは茫然とし、イザベルさえも動けずにいた。兄のアレクはイラついた様子で広間からでていった。
屋敷に入ってから一言も言葉を発さずに見守っていたアリスは確信する。兄のアルトは昔からこうなることが分かっていたのだと。