第2話 『レナ』
レタリア王国、正義と平和を重んじる王国の栄えた都市リーテン、そこから大きく離れた位置に小さな村があった。
村の人口は200人ほどでほとんどの村人が家族のような存在。そんな村を一人の少女が楽しそうに歩いていた。
彼女の名前はレナ。村一番の美人である彼女は来月に結婚を控えていた。結婚相手は村の警備のために都市から派遣されたさわやかな騎士だった。
村に来たばかりの頃、田舎での暮らしに慣れていなさそうだった騎士のお世話をレナが担当していたのだ。いくら騎士とはいえ知らない相手の面倒を見るのに少しばかり抵抗はあったが、いつの間にか村で一番と言えるほどに仲良くなっていた。
大きな理由としては、村から出たことないレナに都市での生活などの話を聞かせたことだと村のみんなは思っている。彼女が小さなころから都市に憧れを抱いているのを知っていた村人は、毎日のように騎士から都市の話を聞いてるレナを見て微笑まし気持ちになっていた。
そして騎士が村に来てから2年が経とうとする日、レナは騎士から婚約を申し込まれたのである。村人の中には「まだ早いんじゃないか」と言った声もあったが、先月の誕生日で18歳となり無事に成人したんだし、それに騎士が本当にレナを愛していることは村での周知の事実なのだから大丈夫だろう、と言う声が大半だった。早いんじゃないかといった人も、「それもそうだな」と言いすぐに二人の婚約を祝福した。
そんな笑顔で歩いているレナは村の外にある川に一人で来ていた。彼女の目的は、先日村の近くで現れた魔獣の討伐で汚れた騎士の服を洗いに来ていたのだ。
通常であれば村の井戸から汲み上げた水で生活の全てを賄えるのだが、魔獣の血はなかなか落ちないので川の水で直接洗っているのだ。
普通は面倒なことなのだが、レナにとっては誇らしいことでもあった。自分の夫になる騎士が村を守るために戦い、その返り血で汚れただけのこと。
騎士はこれまで何度も魔獣を討伐してきた。最初の頃は無事に帰ってくるかと心配していたが、聞けば、自分は天使と契約している騎士--天霊騎士だから魔獣なんかじゃ相手にならないと言っていた。
天霊騎士などと初めて聞いた言葉だったが、特別な騎士の称号だと知りますます彼のことを誇らしく思った。
魔獣の血を流し終え綺麗になった彼の服を見てニッコリと笑顔になったレナは、村に戻るために歩き出した。
村から川へは歩いて五分程度なので、遠目からでも村の様子が分かるのだが、歩き出したレナの瞳に映ったのはいつもの平和でのどかな村ではなかった。
村の至る所で火の手があがり、レナの耳にはうっすらとだが悲鳴のようなものが聞こえてきた。焦る気持ちを抑え、手に持っていた騎士の服をその場に置き、レナは急いで村に走った。
村にたどりついたレナは、入口付近に人がいないか探し回った。しかし声をかけても返事の一つもないので、みんなは村の中央の広場に避難したのだと思い燃える家屋の間を駆け抜けた。
走っている最中、いつもなら小さく思える村なのだがこの時は異常なほど大きく感じたレナは、息を切らせながら普段から運動していなかった自分に心の中で恨み言をいい走り続けた。
全力疾走に加え至るところで火の手をあげる村の中では呼吸をすることすら困難だったが、それでもなんとか走り村の中央にたどり着いたレナは目の前の光景に思わず嘔吐してしまった。
村の中央では数えるのも嫌になるくらいの無数の人間の死体が転がっていた。頭がないものもあれば、体が真っ二つになっているもの、燃えて性別すら分からなくなっているもの、ありとあらゆる惨い死体がそこにはあった。
その死体達の真ん中では自分の夫になるはずの騎士が血を流しながら人の形をしたなにかと戦っていた。それは前に一度聞いたことのある存在だった。
悪魔と言われる存在。人の世に現れ、人の世に害をなす存在。騎士である自分は本来は悪魔と戦うのが仕事なのだと言っていた。そのために天使と契約し悪魔を倒す力を得たのだと。
だから大丈夫なのだと目を瞑りレナは自分に言い聞かせた。魔獣のように彼が悪魔をやっつけて、自分は汚れた彼の服を洗うのだと。目を開けたらいつもの平和な村に戻っているのだと、そう願いゆっくり目を開いた先で彼と目が合った。生きている自分と目が合い、わずかに騎士の動きが鈍くなった。
その一瞬の隙を逃すことなく悪魔が闇を纏った手で騎士の心臓を貫いた。目の前で騎士が殺されたショックでその場に崩れ落ちたレナの耳に、悪魔の下品で卑しい笑い声が聞こえた。
***
レタリア王国、正義と平和を重んじる王国の栄えた都市リーテン、そこから大きく離れた場所に位置する小さな村の入り口に、フードのついた灰色のローブを纏い、漆黒の剣を腰に掛けたブロンドの髪の少年がいた。歳は16歳ほどだろうか、その顔には少しばかり幼さが残っていた。
かつては平和でのどかな村だったのだろうと思いながら、家屋は焼け崩れ、辺りからは腐った肉の臭いが充満する村を少年は歩いた。このような状態になってから数日は経過していることが見てわかる。それでも、もしかしたら生存者がいるかもしれないと、周りを見渡しながら村の中央まできた少年は、広場に俯き座り込む一人の少女を見つける。
見ただけでは正確な年齢は分からないが、おそらく自分と近しい歳なのは間違いない。少女の前まで来た少年はなんて声をかけるべきか迷ったが、まずは安否を確かめなければと思い口を開いた。
「大丈夫ですか、ここで一体何があったのですが」
少年の声は優しい声音だった。他人を思いやる心で満ちたような優しい声だった。その声を聴き安心したのか、俯いていた少女はゆっくりと顔をあげた。少年と目が合った瞬間、開きかけた口が閉じてしまった。
何を話せばいいか、どこから話せばいいか分からなくなってしまったのだ。そんな気配を察知した少年は再び優しい声で
「どこか怪我などはありませんか、少しぐらいなら手当も可能ですが」
そんな少年にただ一言「大丈夫」と少女は返事をした。会話が終わってしまいどうやって次の言葉を切り出せばいいのか困った少年の顔を見て、少女はクスッと笑った。どうやらこの少年は人との会話が得意ではないのだろう。そんなことを考えていると少年は再び口を開いて
「ごめんなさい、僕がもう少し早くこの村に来ていればこの村を救えたかもしれないのに」
後悔と悲しみが混じったような声で謝った少年に対し少女は「あなたのせいなんかじゃないよ、悪いのはこんなことをした悪魔だよ」と少年に言った。
悪魔という単語を聞いて少年が少しばかり殺気立ったような気配がした。だから少女は「あなたは騎士なの」と聞いた。騎士かどうか問われた少年はとても困ったような表情をしていた。
「僕が騎士かどうかは...僕にもわかりません。ですがこの世界を正したいと思っています。だから」
「だから、なに」
途中で言葉を詰まらせた少年に続きを促した少女の言葉。それを聞き少年は
泣きそうな声で
「だから...この村を助けたかった。悪魔なんかに殺させはしなかった。僕がいれば、この村を...」
「救えた?」
少年の最後のセリフを紡いだ少女。目の前にいるあまりにも悲しそうな少年の顔を見て、先ほど口にした言葉をもう一度口にした。
「あなたが悲しまないで、悪いのは悪魔なんだから。村のみんなを殺したのも、私の大切な彼を...この村の天霊騎士を殺したのも、全部...悪魔の私のせいなんだから」
言葉の最後、それまでの口調とは全く異なるような口調になった少女は、下品で卑しく笑いながら、右手に闇を纏い少年の心臓を貫こうとした。しかし、それよりも先に少女の心臓には、少年の腰に掛けてあった漆黒の剣が刺さっていた。
「な、なんでわかっ...」
「お前ら悪魔の考えてることなんて、分かり切っているんだよ。天霊騎士を殺せるほどの悪魔が暴れた後に都合よく生き残った人間がいるわけないだろ」
そう言いながら、少年は悪魔の少し後ろで横たわっている心臓を貫かれた騎士の死体に視線を移した。
先ほどの優しさなど微塵も感じさせないような冷徹な声で少年は言った。その恐ろしいまでの冷徹な声にほんの一瞬ひるんだ悪魔だが、自分が天使や精霊の力でやられたのではないと悟った。
悪魔を殺すには天使か精霊の力が必要だ、だが自分のことを刺した少年からはそのどちらの力も感じない。つまりこの人間は自分を殺すことができない。そう理解した瞬間、悪魔は下卑た笑いを浮かべながら目の前の人間を殺そうと再び闇を纏った手で心臓を貫こうとした。
だが悪魔は自分の手が闇を纏っていないことに気づく、それどころか腕がいつのまにか消えていた。腕だけじゃない、体の全てが闇に飲まれようとしていた。闇の発生源を確認しようと自身の体を見下ろすと、胸に刺さっていた人間の剣から闇が広まっていた。
「な、なぜ、魔人が悪魔をころそう...」
「僕は魔人じゃない。ただの人間だ。お前たち悪魔を全て殺す、ただの人間だ」
少年の言葉を悪魔は最後まで聞いていなかった。それより先に体が消滅したのだ。
人間が悪魔を殺すには天使や精霊の力が必要だ。だがこれは、この二つの力だけでしか殺せないというわけではない。天使や精霊の力が宿った武器でも可能だし、悪魔は悪魔の力でも殺せる。ただほとんどの悪魔は同士討ちをしない、お互いに争っても何も得しないからだ。
稀にそういった悪魔もいるが、それも魔界での話だ。ましてや魔人など、人間や天使たちを殺すためになるのだから、人間が悪魔の力で悪魔を殺すなど、だれも予想がつかない。悪魔たち本人でさえ。
悪魔を殺し終えた少年は、剣を鞘に戻し村を後にした。
村を出た少年、アルト・フェルナースは先ほど自分が殺した悪魔の器になった少女のことを考えていた。
おそらくだが自分と契約したら村のみんなを生き返らせるとでも言われたのだろう。その結果が、自我を喰われ絶望の中での死。なんとも悲しい話だ。
そもそも天使や精霊、悪魔の力でも死んだ人間を生き返らせることなどできない。だけど村のみんなや大切な人が殺されて絶望の淵に居たのなら、嘘やまやかしだとしても悪魔の力に縋りたくなるのだろ。
それに自分が悪魔の力を使っているのだから彼女を責める権利など自分にはないと思ったアルトは、一度も振り返ることなくレタリア王国の首都であるリーテンを目指し歩いた。