授業・欠色命術
――欠色命術という技術がある。
広義的に見れば魔術であるが、狭義的に見れば魔術にあらずというすこし変わった場所に位置する技法である。
アカは正面、机に座るクロに向けて言う。
「今日はその、欠色命術という技術について話しておこうと思います」
「?」
クロは首を傾げる。身体ごと傾いて、心底不明であることを表現している。
数十秒ほどその体勢でいたのだがツッコミが入らないので、仕方なく疑問は口から。
「なんでそんなの教えるの?」
「……それが」
なんとも苦い笑みで。
「さいきんハズヴェントが、あなたたちからの扱いが雑なのをなんとかして欲しいという要望がありまして」
「うそ、そんなにイヤがってたの?」
クロとしてはコミュニケーションの一種、じゃれ合いの軽口の認識である。
それなのに相手方がまさか本当に傷ついていたというのなら、それは謝罪すべきだ。
急激に落ち込みだすクロに、アカは慌てて。
「いえいえ! そのような話ではありません! ハズヴェントはちゃんと冗談であると理解した上で笑っておりますとも」
「え。じゃあどういうことよ」
「まあ、その冗談の延長ですよ」
――実はハズヴェントはすごい奴だったんだ、とアカの口から解説付きで伝えておいてほしい。そういう要望であった。
「正直、ただの軽口であったとは思いますが、まあ確かに彼は賞賛するに値する人物ではありますので、せっかくならと真に受けてみまして」
「そう……なの。じゃあべつにハズヴェントが実はナイーブな心を傷つけられているとかそういう真実は事実無根ってことでいいのよね?」
「……はい、それでだいじょうぶです」
「よかった!」
安堵して笑う。
これで実はクロもネガティブなところがある少女だ。自分の言動で誰かが傷ついているというのは、それに気づけていない自分というのは、許せないのだろう。
改めて、アカは授業を再開する。
「彼の腕前で言えば剣術は凄まじいものですが、それを伝えるに私は剣に疎いので、せめて専門分野が多少は被っているところを解説しようかと思いまして」
「それが欠色命術ってやつなの?」
「はい」
頷くアカに、クロはちょっとまだ飲み込め切れていない。
「ふぅん。魔力を使うけど魔術じゃないって、なんか不思議な技術なのね」
「実際、色のない魔術とも言われて、魔術の一種と見做す学派も少なくはありません」
「で、それってどういうものなの?」
わからなければ聞けばいい。
素直で単純、ゆえに最短である。
アカはいつもの授業ペースに戻ってきたのを感じ、すらすらと言葉を綴っていく。
「自己の魔力を全て生命力として運用し、魔術ではなく身体強化や魔術耐性に全振りする、といった戦士の必須技能ですね」
「え……それって生命魔術と違うの?」
聞いた限り、生命の強化とさほどの違いが見出せない。
「術式を経由せず、魔力を感覚で運用しているという点で別物です。結果は近しいですが、同じではありません」
「ん。似て非なるってことね。でも戦士必須ってことは、ふつうの魔術師じゃない戦士のひとはそっちを選ぶんでしょ? なんでよ、魔術のほうがよさそうだけど」
「魔術は習得に時間と、なにより才能が必要ですからね」
この屋敷にいる弟子らの成長速度を見ていると勘違いしがちになるが、普通は魔術というのは多くの勉強と長い修行期間が必要なのである。
花位に上がるだけでも、一般的に一年はかかると言われている。
だが。
「欠色命術はほとんど感覚でコツを掴めば短期間でも実戦運用が可能です」
「すぐに強くなりたいひと向けってこと?」
「それもありますが、他にも魔術に傾倒するよりもメリットとなる点はあります」
たとえば。
「魔術は汎用的で無数の手段を得られますが、同時に似たような手札がだぶつくことにもなります。
ですが戦士の求めるものは敵の打倒のみ。それに適合する魔術をだけ習得するのは不可能ではないのですが、どうしても順序立てて学んだほうがよく、時間的効率が悪いと言えましょう」
「ん。時間の無駄っていう理由なんだけど」
「どうしました?」
「べつに、勉強すればいいじゃない。時間がかかっても、魔術を覚えたほうが便利よ」
「それは時間のあるあなただから言えることでしょう」
あまりに素直な意見に、アカはどう説明したものかと頭をこねくり回す。
「大抵、戦いの道に進むものはお金に余裕がないものです。実戦で金を得る必要があるのに、それ以前の金にならない鍛錬をしている間、どう暮らしていけばいいのでしょう」
「それは……」
「後援がある場合はいいでしょう。両親や別の誰か、もしくは裕福であるとか。そういう余裕がある方ならば魔術師の道に進むのも選びえる選択肢です。
しかしそれらが心もとないのならば、魔術というのはどうしても遠いのですよ」
「ん。そっか。わたし、ちょっと傲慢だったかな」
「視野を広く持てるようになるのは難しいことです」
というかクロはまだ十二歳の少女、多少なり傲慢な部分があっても可愛げでしかない。
変に大人ぶって幼少期の素直さを失うよりはずっといい。
「あとは、単純に剣士ならば剣術の鍛錬も必要ですからね。魔術の練習に時間を割くのは中途半端しか生みません。ですが、剣術と欠色命術は鍛錬に被る部分もありますので、同時に精進することができます」
「なるほどね。練習が一緒にできるなら、そっちにするのが効率的ね」
「あとは、まあどちらに才能があるかは当人次第ですし、なによりも目指したい道を他人がとやかく言うわけにもいきませんから」
「うん。その通りだわ。話の腰を折ってごめんなさい」
「いえいえ、授業中に会話しましょうと最初に言ったでしょう? 謝る必要はありません」
さて、どこまで話したか。
たしか魔術よりも欠色命術の勝った点、だったか。
であれば。
「欠色命術はまた、生命魔術による身体強化よりも消費魔力が少なく済みます。ただ効力は多少劣ってしまうのですが」
「コストがいいけど、効果は負けてる……うん、それで?」
「消費が少ないことに加え、長時間の強化をしても負担が少ないので長期運用に向いていますね」
「強化魔術は負担がでるんだったわね、前聞いたわ」
「過剰な強化魔術は身体を壊しかねません。ですが、欠色命術はおよそ身体の故障とは縁遠いものです。なにせ、身の丈に合わない強化は無意識的にできませんので」
感覚的な強化であるため、過剰も過少も困難である。
微調整はできるが、自らを鍛え上げねば相応の強化には至らない。故に欠色命術を使う者は肉体的にも優れた者となる。
「じゃあ、ちょうどいいくらいにしか強くなれないんだ」
「上級者であるのならば、過剰無際限に無茶な強化も可能らしいですが……それはほんの一握りの稀有な御業、らしいです」
アカは欠色命術という技術について知識はあっても使いこなすことできていない。
だがだからこそ……敵対した時の厄介は心得ている。
「そして最大の強みはその速度です。
魔力を使い身を強化する――その効力が発揮される速度が魔術よりも素早く、向かい合ってよーいドンで戦えばまず欠色命術の担い手が先手を奪い勝利するでしょう」
「まあ、魔術はいろいろと面倒な手順があるものね。それがロスって言われれば納得するわ」
「それでなくとも生命の強化魔術よりも加速力は高いとされていますね」
「駆けっこしたら欠色命術のほうが速いってことね」
「駆けっこ……まあ、そうなります」
喩えがなんだか可愛らしい。
当人がわかりやすいのならそれでいいので、特に言及はせず。
「逆を言えば、たとえば膂力の強化や耐久性の向上などは生命魔術のほうが上回っていますね」
「ん。じゃあ、いい部分だけ両立しちゃえばいいじゃない」
「ああ、すみません。それはできないのです」
「魔術と欠色命術は、両立しないの?」
「はい。魔力を魔術として運用するのと欠色命術をするのでは感覚がまるで違い、同時に扱うのは非常に困難と言われています。私も、それを実戦レベルに併用している方とは未だに会ったことがありません」
「じゃあほとんど不可能ってことね」
アカの長い旅路を考慮すれば、とクロは結論づけた。
まあ、それに生命魔術ができるのなら生命による強化と他の魔術を使えばいいわけで、わざわざ欠色命術を覚える必要もないのか。
たとえ加速力を求めるにしても、まず不可能ごとに挑戦するよりは妥協するのが大抵の結論になる。
「それでようやく最初に話に戻りますが、ハズヴェントはこの欠色命術が非常に巧みです」
「あぁ、そういえばハズヴェントのすごいところの説明だったわね……」
忘れていた。
気まず気に目をそらしつつも、いちおう興味はある。
身近な人の卓越は、それだけで知りたくなるもの。
「彼の欠色命術は非常に静かでなめらか、なによりも自然です。それをしていると気づくことさえ、余人には困難です」
「魔力反応が薄いの?」
「いえ、魔力反応を見ればもちろんわかりますが……どうしても第六の感というのは五感の次に反応するものなのです。普通は」
人生で長らく培ってきた五感と違い、魔力感知の六感はどうしたって後付けなのだ。
先に五感で認識してから、そのあとに六感目が走る。それは本当にラグというには短すぎる差であるが、それでも順序はあるのだ。
……まあ天なる者ほど長らく第六の感で物事を認識し続けているのならば、六つの感覚を全く同時に得ることも可能となるのだが。
「へぇ、そうなんだ。はじめて知ったわ。でも、五感の後に六感で見ることになるから、なによ」
「感覚が矛盾するんですよ」
「ん、と」すこし考え「あれね、目で見えないのに音で聞こえる、みたいな変な気分になるのね?」
「ええ、その通りです。そして、その感覚は戸惑いを生み、戦闘行為という刹那を競う場においては致命的になる」
アカの言いたいことを読み取り、胸に収めると、クロの視線が鋭く尖る。
半目で、問う。
「それってちゃんと理解が届く前に倒しちゃうって意味で気づくことが難しいって意味?」
「そうなります」
「わかりづらいわよ!」
魔力感知すらできないのかと思うだろう。
言い方のわかりづらさは謝って。
「申し訳ありません。
ともかくハズヴェントは息をするように欠色命術を使いこなし、速度も素晴らしいです。並みの者では動きを捉えることもできません。私でさえ、強化なしの状態ではあっさり首を落とされかねません。気づくこともできずに、です」
「……」
アカの首が落ちるという大変胸糞悪いイメージを説明されて、クロは不機嫌そうに顔を顰める。
当人はクロが急にへそを曲げた理由がわからず首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「……なんでもないわ」
「そう、ですか」
不機嫌の理由がわからない時に深く追求をし過ぎると余計に怒らせる。
あえて気にしないでおいて。
「たとえこちらが強化の済んだ後であっても距離が近ければ彼の観察眼はこちらの意識の切れ目に入り込んで来ます。意識外の攻撃というやつですね。やはり、私では対処が難しいでしょう」
「……」
……おや?
またぞろクロの威圧感が上がったような。
気にせず進行はいいのだけど、原因がわからないせいで完全に同じ轍を踏んでいて、アカはそれに無自覚であった。
しかし進めた以上は中途半端に区切るというのも初志から外れる。続けて。
「目線を逸らしていないのに見失って、集中しているはずなのに不意を討たれる。
真正面からの奇襲、そういう魔法みたいなことを欠色命術と剣術を併用することでやってのける……彼もまた魔法使いみたいなものです……すごいですよね」
「……アカ」
「はい?」
「あ、いえ。その……」
なんとも誇らしく、あまりに無邪気にハズヴェントを褒める姿に、クロははたと気が付いた。
クロはハズヴェントを見くびっていた。そして、アカはハズヴェントのことを対等に見ている。
自らの小ささやアカのハズヴェントへの信頼を見て取り、クロは怒るのも馬鹿らしく思えて脱力した。
「ハズヴェントって、すごいのね……」
「ええ、それはもう」
アカは真っ直ぐな笑顔で、そう首肯するのだった。