52 行先は
「んで、今あんた爆散させたあれが樹魂竜魔ってやつ?」
「いえあれは単なる眷属です」
竜の死骸を横目に、ハズヴェントは殊更いつも通りに話しかける。
「じゃ、自分のことを樹魂竜魔だと思ってるヤバい眷属ってことか? あんたの名前も知ってた……のは親から教わっただけか?」
「樹魂竜魔は自らの眷属と常に繋がり、得た情報をリアルタイムで取得しているそうです。そして、いついかなる時でも眷属の意識を奪って自らの意志をその身に反映させることができる」
「じゃ、身体は眷属、心は本体ってことか。納得」
そうこうしていれば、心乱された者らもすこしは落ち着かせることができた。
アカに手を借りて、クロは立ち上がる。
そしておっかなびっくりながらも竜の遺骸を見て、なんとも言えない心地になる。
「これが、ドラゴン……こんなのがいっぱいいるなんて……」
「怖いですか?」
「怖いわよ。でも、ん、大丈夫」
素直に恐怖を認めつつも強がりは忘れない。
そんなクロに微笑を誘われつつ、アカはアオとキィにも視線を向ける。
クロより年上であろうと経験を積んでいようと、竜への恐怖は等しいもの。彼女らにも気を配らねばならないのは当然だ。
「ふたりはどうです? 落ち着きましたか」
「ビビった。けど、次は立ち向かえるとおもう」
「さすがにいきなり過ぎたねー。でも、センセがいるなら」
各々、やはり根深く恐れの感情を抱いているのは見て取れた。
だが既に感情を御して表面上は常を取り繕えている。
それはクロと同じく強がりみたいなものであるが、それすらできないよりは大分マシ。
今こうして折れずにあるだけで充分に凄いことである。
それを伝えたくて、アカはできるだけ優しく。
「あれは本当に生物としては最上位の存在です。恐怖して当然ですし、それを恥じる必要もありません」
「でも怖がってちゃ竦んじゃうだろ」
アオの闘志まじりの反発に、アカは穏やかに諭すよういう。
「恐怖とは付かず離れず傍にある影のようなもの。消そうにも消せるものではなく、むしろ躍起になって疎めば疎むほどに囚われてしまうものです。
なので、今は付き纏う影をただ静かに警戒して、すこしずつ受け入れていきましょう」
「はい先生」
「はーい」
クロとキィは素直に頷くも、もうひとりはむっつりとした顔で逡巡している。
しっかりと師の言葉を受け止め、真摯にそれの意味を考え自らに納得をしてから……頷いた。
「……わかったよ、アカ」
弟子らが揃って首肯したことを確認して、アカは切り替える。
彼女らへの教えを授けるのも重要だが、わりと現在は逼迫している。
「さて、予想外というか予想通りというか、とにかく彼は私との約束を反故にしたようなので――」
「予想通りすぎるわ」
ハズヴェントの茶々入れは置いといて。
「ともかく。この大陸中の竜が私たちを狙ってくるでしょう。状況は最悪です」
「でも、ハズヴェントの言ったように予想範囲内でしょ。慌てる必要はないわ」
「ほんとう、肝が据わっておりますね」
クロはもっと慌てふためいて泣き出してもいいだろう、年齢的に。さっきだって一番取り乱していたはずで。
なのに今のその落ち着き払った態度には感心するばかりだ。
「けれど予想外があります。どうやらは彼は私をよほど恨んでいるようで、閉じ込められました」
「どういう意味よ」
「空間魔術による移動を阻害する術を大陸中に敷いたようです。これではドアを開くことはできても、転移先が狂ってしまいます」
いつもの錫杖さえ、アカは呼び出せないであろうと予測している。
あれはいつも別空間に保管しておき、必要に応じて取り出しているのだが……それもまた移動を伴う空間魔術であるため、ここで行うのは危険なのだ。
ハズヴェントが疑問を。
「は? なに、竜って魔術も使えるの?」
「それは説明したはずですが」
「……そうだっけ」
他のメンツに振り返って確認すれば、冷めた目つきで首肯された。聞き逃していたのは彼だけだった。
クロは別に問いを。
「じゃあこの領域はなんでだいじょうぶなの?」
「阻害されているのが移動のみだからです。たしかにこの領域には空間を使っていますが、それはあくまで場を区切っているだけなので、なんとか無問題です」
「阻害対象の違いか。なるほどね」
「その分、転移は本当に困難でしょう。あまり無茶が効かなくなってしまいました」
いつでもドアを開けて屋敷に戻れる、そういう逃げ道が用意できていたのは強い安心材料だった。
アカが弟子らを連れてきたのも、そういう安全性が根底にあったからこそだ。
だが、それを封じられるとなるとあまりぐずぐずとしていられない。
「では、性急になすべきことをなしましょう……まずは、人探し」
「アンカラカ……だったっけ? そのひとと」
「精霊、だな」
「ええ、先は中断をやむなくされましたが――探査をします」
言うが早くにアカは探査の魔術を飛ばす。
目に見えるものではないが、魔力の波動がどこまでも駆け抜けていくのをクロはなんとなく把握できた。
「ん。はは」
五秒も待たずなにやら乾いた笑い声が漏れる。
嫌な予感を覚えつつも、ハズヴェントが代表して疑問を呈する。
「どしたい」
「いえ、笑えるくらいに一直線で無数の竜がこちらに向かっておりますね」
これが彼の言っていた準備というやつか――有り余る時間を使い、可能な限りの眷属を生成して数で圧し潰す。
浅はかで、やはり笑ってしまうような稚拙さだ。
笑いごとではない。
「やべぇじゃん」
「結界を張ります」
即答には既にこうなることを予想していたことがうかがえる。
魔術に疎いハズヴェントがまた質問。
「今張ってるのと違うの?」
「これは環境調整用で、それに晦ましの術式も付与します――」
細い指が舞い、魔法陣がきらめき、術式が走る。
「……しました」
「お手軽すぎる……」
「これでまあ、大半の竜どもからは身を隠せるでしょう。ちなみにハズヴェントが持つ短剣に付与した結界のほうにも追加しますのでちょっと失礼」
「ん」
アカがいる間はいいかと鞘に収めてあった短剣を取り出し、刀身を見せる。
抜き身の刃に指先で触れ、すこしなぞって――お仕舞い。
「これで大丈夫です。ついでに今張ってあるのと同じよう床下やほそぼそとした調整も加えておきました」
「いやーこんなに簡単にできるんだー、すごいなー」
棒読みで自己欺瞞してみたがダメである。
すぐに重々しく本音が漏れ出る。項垂れる。
「旦那といるとマジで感覚ぶっ壊れそう……」
「心底同意するよ……」
術式の後付けはもとより、かの竜どもから身を隠蔽するというのもやはりやっぱりまた尋常の技術ではない。それもワンタッチであっさりと付与してのけた。
いや、それ以前まず大陸の一切を感知下におけることを驚愕すべきか。
アカとともにあると、常識をもった魔術師としてなにに驚くべきか判断に迷う。
一方でアオはそれよりも気になることがある。じれったそうに探査結果を問う。
「それでアカ、精霊のほうは見つかったのか?」
「いえ……それがそのような反応は検知されませんでした。隠れているのかもしれません」
「アカの探査から逃れられるの?」
鋭い指摘は、精霊の不在の可能性を考慮してのもの。
だがアカはそれを未だに不明と返す。
「ええ、精霊の方なら可能かと。さしもの私でも大陸中の探査をするとなると精度が落ちますからね。彼もしくは彼女が竜に見つからないよう魔力隠蔽をしているのなら、私も発見できないでしょう」
「そう、なんだ」
歯痒そうに納得するアオの次はクロ。
最優先目的がダメなら次だ。
「じゃあもうひとり、威命のアンカラカは?」
「そちらは発見しました。二人連れの方が、ここより西側で移動中です」
「ここから西って……まずここどこよ」
「ここは大陸のほぼ中央ですので、あちら方向です。思いのほか遠くなく、こちら側に向かってきていますね」
極北地はおよそひし形をした大陸である。
その中心部となると完全に前人未踏な部分な気がするが、クロはあまり深く考えるのをやめる。
アンカラカが中心部近くまで来ているらしいので、そこまで驚くことでもないのかもしれないし。
とりあえずアカの指差した方角に向き直る。
「ともかくあっちなのね。行きましょ」
急くクロに、アカはその前にと手を開いてすこし待ってほしいと伝える。
一人一人の顔を順次しっかりと見て、全員への言葉であると事前に伝える。
「いいですか、今回はすこし厄介ごとが向こうからやって来てしまいましたので予定を変更します。
これよりアンカラカ氏を追走し発見、捕縛し――その後に一旦帰ります」
「え、でもアカ!」
「申し訳ありません、私のせいです」
アオの驚愕と非難とが織り交ざった声に、アカは最後まで言わせず先に謝る。
此度のこれは……アカのかつての甘さが引き起こした厄介、彼女からしたらまったくもって知ったことではない事態であろう。
だが。
「ですが、みなの生存を考えれば、精霊は後回しにせざるを得ません」
この大陸に長居すればするだけ生存率は急速に減っていく。
アカは世界で三番目の魔術師にして三天導師であるが――無敵でもなければ万能でもない。
下手をすれば大事なものを取りこぼすことだって、ある。
アオはそれでも理解から遠い。
アカの力を信じているし、せっかく求めたものに近づいたのにまた遠ざかるのも悔しい。
なにより自分が自分に納得できなくなることが、嫌だ。
アオはなにか言いたげに口をもごつかせるも、それを見越して横合いからジュエリエッタが言葉を発する。
「……アーヴァンウィンクルさま、では、一度帰るのは仕方なしとしても、次は考えてあるのだよね」
「ええ、もちろんです。次回は先に私がひとりでこちらに赴き、おおよその敵を排除した上でまた再上陸をしましょう。そうですね、今日の疲労具合によりますが、一週間以内にまたやって来れると思いますよ」
「だそうだ、アオくん。すこし我慢すればまた来れる。そんなに焦らないでいい」
「っ」
精霊に会いたいという願いはジュエリエッタも同じだろうに、諭すようにそんなことが言えるのは年の功か。
アオは俯き、歯噛みし、拳を震わせる。
心のなかで強く葛藤していることが誰もに見えて、だからこそその感情を抑え込んで顔を持ち上げる彼女は気高く映る。
「……ごめん、ワガママいった」
「いえ、謝るのは私のほうです。あなたの道行きを師たる私が押し留めてしまうなど、あってはならないことなのに」
「謝らないでよアカ……アカはなにも悪くないじゃん」
「そんなことは――」
「待った」
なお言い募ろうとするアカに、すっとハズヴェントが割り込む。
いい加減、時間が押している。
「旦那、アオ。それ長くなる? どっちも悪くてどっちもごめんで終わりにしとかない?」
「っ」
冷や水を浴びせられた気分だった。
アカはすぐにハズヴェントの正しさを認識し、うだうだと許しを乞おうと勤しんでいた自らの浅ましさを知る。
自己嫌悪――している暇も勿体ない。
「そう、ですね。申し訳ありませんが、謝罪は後ほど……今は進みましょう」
「うん、行こう」
◇
「そういえば聞いてなかったけど、ジュエリエッタ……さんは、強いの?」
一行は雪道を行く。
先頭はアカが行き、道筋を示して前方の警戒もこなす。
弟子らとジュエリエッタがその後ろに続き、最後方で殿を守るのがハズヴェントである。
そうして警戒はしているが、とはいえ。
アカの晦ませが効いているのか、向かってきているという竜と遭遇することなく既に数時間は過ぎていた。
そうしていると、どうしても沈黙に耐えられなくなってきて。
クロはふとそんなことを口から出してしまう。
別段、それを叱る声もなく――全員、緊張続きですこし疲れていたのかもしれない――ジュエリエッタも何気なく返答をする。
「まさか。ワタシは生まれてこの方、戦闘という行為に無縁で過ごしてきた平和の申し子さ」
「……え」
むしろ言葉をなくすクロに代わって、アオが思い出したように。
「そういえばさっきもドラゴンがでた途端、及び腰だった」
「ふ。流石はアーヴァンウィンクルさまの弟子だ、よく見ている。すごく怖かった」
「えっと。九曜だったん、ですよね?」
遠慮がちにキィが問えば、肩を竦めて返される。
「九曜が全員戦闘ができるわけではないのさ。まあ、大抵はある程度の心得があるものだが……」
自分は例外だと言葉にはせず伝え苦笑だけを漏らす。
クロはなんだか怒ったように。
「じゃあなんでこんなところまでついてきたのよ」
「それは当然、アーヴァンウィンクルさまに頼まれたから。と、まあ精霊に会いたいしね」
「助っ人参戦だと思ったらむしろ足手まといなのか?」
助っ人参戦枠のハズヴェントとしては、同枠と思えた大人がまさかの別という事実に震えてくる。
ジュエリエッタは辛辣な言葉にも微笑んで。
「君、酷いことをいうものではないよ。戦い以外ならおおよそ有用だよ、ワタシは」
「ええ。特にジュエルさんには怪我の治療や疲労の回復などをお願いしたいと思います。それ以外にも、たとえば環境調整もすこし手間をかければ可能ですよね?」
「もちろんだ」
「では充分に役立つかと思いますよ」
アカに太鼓判を捺されては文句のつけようもない。
ふとクロが言葉尻を捉えて、先刻からすくなからず不思議に思っていたことを聞く。
「……疲労の回復って、もしかして」
「ああ、気づいたかい? 実は既に何度か折を見て術を使っている」
「やっぱり。道理でわたしがずっと歩き続けていられるわけだわ」
自らの弱さを知っているからこそ、そこに違和感があったのだ。
まあ現在の慌ただしさにあえて問うまでもないとしていたのだけど。
人知れず、クロのようなひ弱な少女に何時間もの強行軍を許すような魔術。割とすごいことに思える。
アカはあまり、強化や疲労回復などを進んで行わないから――それはクロの体力づくりのためだが――他者の生命魔術というのを実感できたのははじめてかもしれない。
会話の切れ目を見てとり、キィがなんともなしに会話の継続のために話題を放る。
「ちなみにアンカラカってひとはどうなんです? 強いんですか?」
「彼女は、強いよ」
淀みない返答は指した相手に敬意を抱いているからではなく、単純に事実を述べているだけ。
「特化というほどではないが、心得はあるし戦場にも出ていた。魔術貴族としてね」
「ん。貴族なのに戦うの?」
「いやいや逆さ。貴族だからこそ戦う。なにせ、貴族というのは兎角、軍隊が嫌いでね。彼らに武力的圧力をかけられるのが心底嫌で魔術を覚えたみたいな話もあるくらいさ」
だから魔術貴族は戦闘者が多く、強さをこそ誇りとする。
へぇ、と感心したのは三人娘と、それからアカもであった。
そういう世情に疎く、貴族などとは縁遠いのである。
ひとりハズヴェントだけが苦々しい顔つきになっていて、なにか思うところがあったのかもしれない。
キィはこういう時、素早く感心から相槌に切り替えられる。
「じゃあ抵抗されたらちょっと困ってしまいますね」
「そんなことはないよ。なにせこちらにはアーヴァンウィンクルさまがいるのだから」
「それを言われちゃったらそりゃそうですけど……」
どれだけアカが謙遜しようと、彼の力は弟子らに絶大の安心感をもたらしている。
当の本人は、なぜだが肩を竦めてちらと振り返ると、苦い顔だった。
「とはいえ本当に警戒すべきはアンカラカ氏ではないのですが」
「え」
思った以上にアカの声音が硬くて、クロはなにか不安に駆られる。
「極北地の案内人……彼女が、果たしてどのような方なのか。今回最大の懸念はそこでしょうから」