授業・宿纏法
「宿纏法という技術を、今回は教えたいと思います」
しゅくてんほー、とクロは慣れぬ単語をぎこちなく復唱する。当然、意味合いはわかっていない。
前回大所帯で授業した直後であるためか、クロとふたりの室内はがらんと空白が感じられる。
だがその分だけ相手に集中できて、互いにやりやすい。
調子よく言葉を続けていく。
「これの別名を宿纏法といい、既にアオやキィなんかは習得しています」
「基本的な技術ってこと?」
「そうですね、中位程度の魔術技法でしょうか」
初心者には早い技法だが、上位の者なら当然に会得している。
今のクロにはすこしだけ早いが、早すぎるというほどでもない。
「それの特性は魔術を身に纏い継続させることにあります」
「魔術を纏う。服みたいに?」
「そのとおりです」
黒板に軽く人型の絵図を描き、それをぐるりと丸で囲む。
魔術のフィールドと、その円に添えて説明があった。
「なんか、それだけ聞くとむずかしそうね。魔術って基本的に発動したらそれで使い切りみたいなイメージがあるけど」
「そうですか? 術式次第では持続する魔術はありふれていますよ。
たとえば造形魔術なんかは、この宿纏法とは毛色違いとはいえ長期の運用をするでしょう?」
「あ、そっか」
「おそらく最近は自然魔術ばかり集中して修練していましたから、それにイメージが引っ張られたのでは?」
「そう言われると、そうかも。雷を持続っていうのは、想像しづらいわ」
「ええ、自然魔術の宿纏法はほかの色より少々難易度があがりますね。とはいえ、それを覚えてもらいたいのですが」
「そうなの?」
アカは頷いて。
「この技法は特に今回、活用する機会が発生しうるので、必ず習得をしてもらいたいのです」
「機会って、どんなよ」
「たとえば防寒の魔術です」
「あぁなるほどね」
一を聞けば十を知る。
クロは痛く得心して頷いた。
「もしも先生とはぐれたら、って場合に生き延びるのに必須ってことね。寒さから身を守る術っていうのは」
今回の極北地への遠征。
極寒にして零下の環境に赴くに際し、基本的にはアカが周囲を魔術で囲って温度の調整をおこなう。
吹雪く風も雪も遮断して、ついでに外部から魔力反応を手繰れないようにもしておく環境調整領域である。
とはいえ、状況如何によってはなにが起こるかわからない。最悪の場合、はぐれたりするかもしれない。
そうしたときに、なんらかの寒さへの対策がなければ、それだけで凍死してしまう。
その対策がこの宿纏法、そしてそれによる温度調整の初歩――防寒の魔術である。
アカは、重く頷いた。
「そのとおりです。そのため、これを習得できないようでしたら、クロには今回留守番をしてもらいます」
「えっ」
ぎょっとしてしまう。
突然の勧告は思いのほか非情で、しかし現実的な物言いだ。
たしかに参加メンバーを見渡せばクロが実力不足なのは顕著であるし、危険な場所というのもうなずける。
けれど、ここまで勢い込んで前のめりのところに梯子外しとはいくらなんでも酷くはないか。
「それは、その。きびしくは、ないかしら?」
すこし弱くなった語調でうかがうように言えば、アカは普段通りに笑った。
「いえ、そんなことはありませんよ。なにせ、もうほとんどあなたは宿纏法を会得しかけていますから」
「……どういうこと?」
「『活性』の魔術、今も常に帯びているでしょう?」
「ん。ええ、寝てるとき以外は、ずっとやってるわ」
「では、もう基本は問題ないと思います。あとは寝ている間も纏えるようになれば上等で、それでなくても自然魔術への応用のコツを掴むことさえできれば大丈夫でしょう」
「そうなの?」
目を丸くして。同時にひどく肩の荷が下りて。
「ええ。宿纏法とはみずらかに魔術を纏う技法です。それは、すなわちあなたが『活性』の魔術でおこなっている練習となにも違いはありません」
魔術が肌に触れる違和感に慣れること。
服のように纏うことを当たり前に認識すること。
持続して魔術を行使するという精神力の断続的圧迫を受け流すこと。
などなど、そうした宿纏法の必要事項について、クロは既に体得していると言っていい。
「もう、おどかさないでよ」
「そのつもりはありませんでしたが、すみません」
鋭いジト目に、アカはたじろいで謝罪を。
言葉の使い方はすこし誤るだけで人を不安に陥れる。
口が上手いわけでもないアカは、それをしっかりと肝に銘じておかねばならない。
話を戻す。
「それともうひとつ、宿纏法さえ覚えれば生命魔術の、とりわけ強化の魔術において可能性の幅を広げることができます。つまり、今よりより強い強化魔術を覚えることが可能ということです」
「あ。それはいいわね」
自然魔術の次に覚えたいのは生命魔術――そのように優先順位を以前につけた。
それに則れば、なるほど身に纏うという技術は強化の生命魔術に必須といえた。
「ねぇ先生、もしも今よりずっと強い強化の魔術を覚えられたら、わたし、人並みに運動できるようになるかな」
「……正直、最近のクロは『活性』でもほとんど同年代と遜色ない動きになっていますよ。体力は、ついてきています」
「そうかな。自信ないわ」
「あまり、ないものねだりを魔術で埋めようとするのは推奨できません」
「なんでよ」
ちょっと不機嫌そうな問いに、アカは怯まない。
不満を出しているが、その根底にあるのは不安であり自己嫌悪。べつだん、そんなものを感じる必要はない。
とはいえ、そのように説明しても感情で反発されかねないので、ここは理屈でもって説得を。
「強力な強化魔術を長時間維持し続けると、それを解いた時に身体に大きな負担がかかります」
「っ」
「その負担を生命魔術で治すことはできるかもしれません。しかし、負担と治癒にも深度があり、双方が噛み合わなければ蓄積を残すことになりかねません」
「……よくわからないわ」
「申し訳ありません、すこし先の知識でした。
わかる範囲で言えば、強化魔術はしょせん借り物ということです。そして、借りた力は返却せねばならないということです」
今の身体能力で慣れた身体と感覚を、強化後に適応するのは時間がかかるもの。
それの逆も同じで、強化後に慣れすぎると素の状態での運動性能は格段に落ちる。
強化魔術との落差による弱体化、と専門的には言われる現象だ。
「クロ、あなたは本当に魔術における天才的な才覚をもっています。正直、私は毎回感心しっぱなしです」
「……」
「ですが、そのせいで魔術で解決したほうが早いのではないかと思ってしまっている節があります」
たとえば運動について。
普通の者ならば毎日のトレーニングによる体力づくりや筋強化などを地道にやりこんで鍛えていくもの。
一から強化魔術を覚えて自身をフォローしたほうが早い、なんてことはありえない。
クロは、そのありえないを体現しかねない。
自分でも毎日のトレーニングなんかよりも魔術を選んだほうが早いと無意識的に理解している。
なんとも、奇特な逆転現象である。
「魔術師であっても体が資本、ですよ? 私だって最低限の運動はしております」
「え、先生も?」
「もちろんです。アオと一緒に走ったり、ハズヴェントに頼んで軽い運動法を覚えたり……ただまぁ、ちょっと恰好がつかないのであまり大きく公言は控えていますが」
すこし気恥ずかし気に吐露していると、クロは俯いて。
「……横着だったかしら」
「いえいえ、すこしでも魔術の鍛錬に時間を回したいのでしょう? その気持ちもわかりますが、もうすこしゆとりをもって大丈夫です」
「しゅくてんほー、覚えられなかったら留守番なんでしょ?」
「それはそうです」
「けち」
「クロなら問題なく習得できると信頼しているが故ですよ」
信頼と言っておけばなんでも飲み込むと思うなよ。
口には出さずに目だけで刺しておいたが、はて、通じているのだろうか。
クロは据わった目つきそのままでもういっそ急かすように。
「じゃあ、早く教えてよ、そのしゅくてんほー!」
「ええ、そのように。
では、今までは特に教えることもなく自然とやってきたと思いますが、身に纏うというイメージを強く抱いて、別の色でもって試してみましょう」
「それだけでいいの?」
「いえ。まだほかにも自然魔術を纏うことになるので、その殺傷性のカットをせねばなりません」
「殺傷性? あぁ、自然魔術って、だいたい痛いもんね」
防寒なのだから、熱を必要とするのだろう。もしくは寒さを遮断するか。
どちらにせよ裏を返せば過剰な熱は火傷を誘発し、遮断は過ぎれば酸欠を催す。
制御を誤れば自傷に至るということ、それが自然魔術の宿纏法の難しさのひとつだった。
「ん、術の過程に不殺傷を組み込むのを忘れちゃうと自分に術が返って大変なことになる。慎重にやらなきゃね」
「えぇ、では一緒に術式の内容を考えましょうか」