47 助っ人
「おや、これはこれはアーヴァンウィンクルさま。来訪、心より歓迎するよ」
「ええ、ジュエリエッタさん、お邪魔します」
事前通達なしの急な訪問であっても、その女性は静かに微笑んで喜色あらわに出迎えてくれた。
赤毛の魔術師、偽命のジュエリエッタである。
彼女は読みかけの本もあっさり横に置いて窓際のソファから立ち上がると、テーブルを勧める。
「どうぞ座って。ほーちゃん、お茶を」
「……」
無言の首肯をするのは表情なき人形のごとき少女。
アカはほーちゃんにも短く挨拶をして、それから勧められるままに席に座す。それを確認してから、ジュエリエッタもまた対面に腰を掛けた。
しかし、この場でひとりテーブルに向かうこともなく立ち止まって目を細めている男がいる。
「――」
名を呼びあい挨拶をするふたりに、ハズヴェントは表情を強張らせていた。
既に腰元に帯びた剣に手は触れている。
アカも、そしておそらくジュエリエッタもそれに気づきつつ話を止めない。
「それと、ジュエルと呼んでくれと言っているだろう?」
「……その」すこし気恥ずかし気に「申し訳ありません、ジュエルさん」
「ふふ。困らせてしまったかな。でも、そこはあまり譲りたくなくてね。
……それで」
柔らかな笑みは、腰元の剣柄に触れるハズヴェントへと移りわずか凍える。
ハズヴェントの眼光もまた鋭く尖っていて、睨み合いのような形になる。
ジュエリエッタは、口元だけは笑みのように歪めて。
「新たな客人がいるようだが、どちら様かな」
「……旦那のダチ」
「ふぅん?」
なんとも言い難い相槌の中には不審が大きい。
嘘ではないが、問いたい事実を伏せられたと読んで、ジュエリエッタは踏み込む。
存分に着崩してありはするが、彼の服装には見覚えがあった。
「どうやら彼は軍の者らしいが、どういうわけかな。あなたのことは信頼しているし、まさかワタシを裏切ったとは思わないけれど、彼と引き合わせたことに疑問はあるな」
「ハズヴェント、彼女は私の友人です」
ともかく武器に手を置く行為は失礼だろうと、まずはそちらに声をかける。
「……」
アカの一声で、ハズヴェントは指先から力を抜き、剣を手放す。
そのまま片手で頭を乱雑に掻き、面倒そうな声をだす。
「いいけどさ。ただ荒事はなしにしてもこっちも聞きたいぜ、旦那。説明もなしに連れて来やがって」
剣を手放しても警戒鋭く睨みつける先は穏やかな少女でしかない。
しかし、ハズヴェントは知っている。
「偽命のジュエリエッタといえば、協会で指名手配されてる魔術師だろ。こっちにも情報は回ってきてるぜ」
こう見えてもハズヴェントは軍所属の兵士。
犯罪者には厳しく、危険な相手には疑いを持って相対する。
アカが友人だと紹介したからとて――そのアカが騙されていないとも限らない。
長く生きて老獪な彼は、けれど無類のお人よし。騙されるときはあっさりと騙されてしまう危険性を抱えている。
とはいえ、初対面でガンを飛ばされるジュエリエッタのほうだって心中穏やかではいられない。
なにかの弾みで剣を抜かれると、この間合いでは一刀のもとズンバラリである。警戒しないわけにもいかない。
睨み合うふたり。
冬の透き通るような穏やかな日差しの差す小奇麗なリビングは、似合わぬ強烈な緊張感に包まれてしまう。
「おふたりともそう殺気立つものではありませんよ」
一方でアカだけは変わらず泰然と笑って間に立つ。
ふたりを知っているからこそ、ふたりの考えていることもわかっている。
それが杞憂であるということも、だ。
まずは、事情を知ることから。
「ハズヴェント、彼女のことを知っているのなら、どうして指名手配されたかもご存じですね?」
「ああ。たしか、禁術を作り出したからって聞いた」
「……私の感性で申し訳ないのですが、禁術指定された術を作ったら捕縛って、どうかと思うんですよね」
「いや旦那、言っても一応、そういう法律があってだな」
「では私はどうです? 私だって禁術のひとつやふたつ、数えきれないくらいは作ってますよ?」
「そりゃ……」
そうだろうけれど。
ハズヴェントは一瞬納得しかけて首を横に振る。
「旦那とは立場が違う。あんたは協会とも親しいし、国と渡り合える。そもそも悪用しないと信用がある」
「それですね。
彼女は、ジュエルさんは、ひとりで自身を組み立て、誰の力も借りずに魔術師として実質的最上位にあたる月位に登りつめてしまった。そのため、急に怪しげな術を作った際に周囲から疑いを向けられやすかったにすぎません」
そもそも禁術を作ったとしても、精査と審問が行われてから処罰が決定するはずで。
それもなく、ジュエリエッタはほとんど問答無用で監禁を決定されたという。
そこに何者かの裏の事情がなかったとは思えない。
「……そこまで細部は、さすがに知らんけど」
「ですので、私が身元引受人になりました」
「旦那、ちょっと待って」
今あんたなんて言った?
聞き返してもきっと同じ答えしか出てはくるまい。
ハズヴェントは頭を抱えて声を荒らげる。
「あんたまたおれの知らないところでなにやってんだよ!」
「協会の上には通しました。残念ながら手配の取り消しに時間がかかっていますが、そう遠からずに解除されるはずです」
「マジで!?」
「はい」
しれっととんでもないことやってやがる。
協会が正式に指名手配し、軍が動いて捕縛を命ぜられている相手に対し、それを撤回させる。
アカはあっさり言ってのけるが、無論そんなのは無茶であり無茶苦茶だ。
協会にも面子があるし、軍だって既に根回しされて費用が嵩んでいるはず。
はじめておいてやっぱりやめた、など子供にしか許されない蛮行であろう。
決定したことを覆すのは、どうしたって難しいことである。
だというのにこの男は。
「ほんっとに、あんたはよォ……」
ハズヴェントは猛烈な頭痛を覚えて頭を抱えていた。
他方、矯めつ眇めつハズヴェントを眺めていたジュエリエッタは顎に手を置いて口を開く。
「ふむ、アーヴァンウィンクルさまとも親しいようだし、そうだね、ワタシは君を信じよう」
「そりゃ助かる、ハズヴェントだ」
「ジュエリエッタ、赤魔術師をしている。よろしく」
ようやく、喧嘩腰を改めてジュエリエッタもハズヴェントも互いに挨拶を交わす。
ただ、握手まではしなかったことに、びみょうに残る警戒心がうかがえるか。
改めてハズヴェントもまた席に着き、それでようやく会話をはじめる。
問いは、家主のジュエリエッタから。
「それで、今回の訪問の理由を聞かせてもらってもいいかい? ハズヴェントくんを連れてきていることが、なにかヒントになっているのかな」
「ええ、実はですね、ジュエルさんにひとつ頼みたいことがありまして」
「いいよ、頼まれよう」
即答に、むしろアカが硬直する。
怪訝そうになって。
「……まだ内容を話していませんが」
「それでも、了承するさ。他ならぬあなたの頼み事だというのなら」
毅然と言われて、なんだかアカのほうが照れてしまう。
頬を掻いて誤魔化して、本題を切り出す。
「実はですね、あなたの手配解除の件で協会会長に動いてもらっていたのですが」
「そこまでしてくれていたのかい。恐縮だね」
ジュエリエッタはほとんど表情を変えないまま淡々とそのように感想を述べるも、内心では非常に驚いている。
自分などのために彼がそこまでしてくれるなんて、想像もできなかった。
「いえいえ。ですがあなたに濡れ衣を着せた相手の最有力候補である方が逃亡しておりまして」
「……アンカラカかい?」
「やはり、予想はついていましたか」
「彼女が最も、ワタシの追放に注力していたからね」
特に思い入れもなくジュエリエッタは肩を竦めた。
そこで、むしろ第三者だからこそ気になったハズヴェントが口を入れる。
「……ちなみに、どういう理屈であんたは追放されたんだ? あんたが作った禁術ってのは……」
「魔術の名を『|生きるべきか死ぬべきか《セ・ラヴィ・ファ》』という」
端的に、その名称を伝える。
ハズヴェントは眉根を寄せて不思議そう。
「どういう魔術だ」
「……ほーちゃん」
呼べば、ちょうど茶を用意できたほーちゃんが寄って来る。
砂糖壺を置き、ミルクピッチャーを置き、それからそれぞれにソーサーとカップを配る。
機械的に、無表情で、正確に。
そんな彼女を指し、ジュエリエッタはあっさりとそれをバラす。
「彼女を造った」
「……は?」
「偽りの命――ホムンクルスを造り上げたのさ」
「…………」
言葉もない。
ハズヴェントは絶句のままアカへと視線を遣り、頷かれてまた困った。
驚倒と困惑とに停止する横で、ジュエリエッタはここで頬を緩ませる。
「ただし、アンカラカによって流布された虚偽がある。
ワタシは自由自在にこの術を成功させられるわけではない。いや、むしろ、ほーちゃんしか成功例はないし、おそらくもう二度と成功しない。
つまり、ワタシは魔術を作ったが、それは失敗したというのが事実さ」
「……失敗。じゃあ、禁術の作成ってのは」
「誤りですね」
アカが継いで。
「どれだけでも偽りの命を作ることができ、生命を愚弄した――というのが魔術協会での認識で、しかしそれは威命のアンカラカのでっち上げだったわけです」
「なんだよ、無実じゃん」
ようやくそこでハズヴェントの警戒レベルは平常にまで引き下がり、それとともにため息が漏れ出た。
恐ろしい魔術を作り出し、それを乱用する魔術師は打倒すべきだ。
魔術が日常的にまかり通る時代ではあるが、それを凶器として振り上げる輩は許すわけにはいかない。
たとえ作成者にその意志がなかったとしても、恐るべき凶器になり得るのならばやはり放ってはおけない。拡散するのを防ぎ、正しく管理すべきだ。
だが、魔術として成立していない偶発的なものにまで目くじらを立てようとは、ハズヴェントは思わない。
むしろジュエリエッタのほうが自らを咎めるように。
「いやまあ、偶然とはいえ命を魔術で生み出したのは事実だからね、非難は仕方ない」
「『魔術は命を作りえない』……だっけ?」
かつて魔術が批判され魔術師がそうであると名乗ることすら憚られた時代。
天なる者が不在した、魔術黎明期のこと。
魔術師批判に対し、ある魔術師が末期の際に叫んだとされる言葉があった。
――魔術は奇跡でも異端でもない、単なる学問だ。
――それが証拠に、魔術は命すら作りえないじゃないか。
「技術は進歩を続け、留まらないものです。それがいいも悪いもないのでしょうが」
「いやその。そもそも命を作ろうと発起したのは事実なんだ、そこらへんは責めてくれたほうが気楽なのだが」
「それはあんたが悪いわ」
ずばりと斬り捨てるようにハズヴェントは言って、ジュエリエッタはそれを苦笑で受け止めた。
自らにも落ち度があるのに、他のこととまとめて肯定されてしまうのも居心地が悪い。責任の所在は正しく配置されねばならない。
「そういう意味である程度の処分は覚悟していたさ。
けれど思った以上に燃え広がってしまったらしい、当事者のワタシの発言が無意味なほどに」
そこらへんに関しては、魔術貴族であるアンカラカのほうが一枚上手だった。
ジュエリエッタのようなどこの出とも知れない平民を陥れるのは容易である。たとえそれが月位九曜であっても、綻びさえあればつけ入ることができた。
もともと嫌われていたようだったし、九曜の座も狙っていて、なにより協会の調査の目も誤魔化せていた事実から推察するに、おそらく仕込みは事の起こるずっと前から済んでいたのであろう。
丁寧に確実に、準備を万全に好機を狙い――ジュエリエッタを協会から追放した。
威命のアンカラカ――会ったこともないのにアカとハズヴェントからの好感度が既に底値をついていた。
「それと、一部にほーちゃんを実験のために差し出せとのたまう輩もいてね。それを強く突っぱねたのも嫌われた要因かな」
「ふぅーん?」
なんでもなさそうに目を細めるハズヴェントであったが、なにか具体的に言葉にはしなかった。
なにか、なんとなく――ジュエリエッタの瞳に読み取れない感情の色合いが濃く映った気もしたが、あいまい過ぎて追及するほどでもない。
それにはアカも勘づいてはいたが、ときどき彼女と話すときには見られることなので、今更思うこともない。
大きく逸れてしまった話を戻して。
「話を戻しますと、件のアンカラカ氏が逃げ込んだ先というのが極北地でして」
「ああ、そういう話だったね。しかしなんでまたそんな僻地に」
「それが、極北地に精霊が現れたとの噂がでて、その調査に――」
「精霊だって?」
情動薄く感情を控えて会話していたジュエリエッタの声音が、わずかに上擦る。
怪訝に思って、アカは覚えず直接的な問いを放ってしまう。
「精霊に、なにか思い入れでも?」
「ん。ああ、その」
言いよどむ。
アカを相手に歯切れ悪くなるジュエリエッタの姿など随分と珍しい。
どこかバツが悪そうに、それ以上に気恥ずかしげに、ジュエリエッタは年頃の生娘のごとくはにかんで。
「これは、アーヴァンウィンクルさまにも言っていなかったかな。
……ほーちゃんは精霊の生命構造をモデルにしたんだ」
「それは、初耳ですね。もしやジュエルさん、精霊とお会いしたことがあるので?」
「うん。昔、昔にね」
やはり常の大人びた風情よりも、どこか幼さを思わせる仕草。かつてを思い起こし、遠い過去をその眼は見つめている。
「……」
「……」
「おっと」
アカとハズヴェントの視線に気づけば、それもすぐに煙のごとく立ち消え、ジュエリエッタはいつもどおり泰然と微笑む。神秘的なほど落ち着き払った、妙齢の女性にしかできない笑い方で。
「また話を逸らしてしまったね、申し訳ない」
いい加減、余談ばかりでも進まない。
ジュエリエッタは自ら一挙に距離を詰めて話の終端に導く。
「話を察するに、極北地へと赴きアンカラカを追うことと、精霊の調査を平行したいので、その協力を頼みに来たとみていいのかな」
「ええ、その通りです。こちらのハズヴェントにも同行を取り付けております」
「めっちゃ気が重い」
軽口は無視して。
「それならばもちろん協力させてもらう……というより、ワタシ個人としても興味があるね」
「アンカラカ氏のことですか?」
「いや? ワタシはね、アーヴァンウィンクルさま。彼女にさほど怒っているというわけでもないんだ。彼女によって協会を追放されてしまったが、そのお陰でアーヴァンウィンクルさまと出会えたのだからね。むしろその点については感謝していると言っていい」
「では、やはり精霊のほうですか」
「うん。もしかして、子供のころに出会った彼女だったりしないかなんて、ね」
茶目っ気のように片目を閉じて言うが、その言葉とは裏腹、そこに期待を抱いたような感情は見当たらない。
ありえないと自覚した上でなお手を尽くそうとする、それは執念の燃える色だった。