46 手紙3
――けっこう大きな見栄を張ってしまった。
御伽噺の魔法使いは、昨夜の自分の発言にちょっぴり後悔して頭を抱えていた。
極北地は恐ろしい。巣くう竜の群れはおぞましい。そして、知られざるあれは――最悪の一柱だ。
弟子ら三人を抱えて歩くには、アカをして安心とはいかないレベルの危険が伴う。
三人の意気を汲んで任せろと胸を叩いたはいいが、冷静にそれを想定して考えれば考えるほど不安が膨れ上がっていく。
アカは自分が万能な存在であるとは思っていない。
どうしたものか――そう頭を悩ませてどれほどか経過したころ。
「ちわー、旦那いるー? 寒いから勝手に入っちゃったわ」
「……ハズヴェント」
「お、旦那。はよっす」
考え事に気をとられすぎたか、勝手にリビングまで入り込んできた男に気づかなかった。
ハズヴェントは挨拶だけ済ませると特に家人の断りもないままずけずけと踏み入り、アカを通り過ぎてダイニングの食卓に座す。
そして、ちらとアカへと視線をくれて。
「茶ぁくれ。熱ーいやつな」
「……」
アカは非常に渋い顔つきになりながらも、静かに立ち上がって台所へ。
態度は横暴だが、確かにこの季節の午前は寒かろう。
棚からポットとカップを取り出し、ひと撫ですることで魔術により事前に温めておく。
それから引き出しから茶葉を用意。ティースプーンでもって適切な量を経験で計ってポットに茶葉をいれ、それから魔術で作り出したお湯を注ぎ入れる。
すぐに蓋をして、そのまましばらく待つ。
蒸らし終えたタイミングで、蓋をとって香りをいただく。問題ないと判ずればスプーンですこし混ぜて、再び蓋を閉じる。
それでようやくポットを持ち上げ、茶をカップへと注ぐ。
自分と、ハズヴェントふたりぶん。
ストレートで問題ないハズヴェントには、そのまま渡してやる。
「どうぞ」
「さんきゅー」
彼が飲み始めるのを見るもせず、アカは冷蔵庫――半永久的な低温の魔術を施された小さな食糧庫――から冷えたミルクを取り出し、自らのカップに追加で注ぐ。
アカはミルクティー派である。
上手に完成した紅茶をもってテーブルに、ハズヴェントの正面に腰掛ける。
そしてとりあえず一口すすってから、味の上出来を頷いて、ようやく。
「今日はどうしましたか?」
と、切り出した。
「おお、それがよ。これこれ。アオに手紙」
ハズヴェントはカップを置いて、懐から手紙を一通とりだす。
「ん、これは……」
テーブルに置かれたそれを掴み上げ差出人を見遣れば、非常に大事な手紙であるとわかる。
すぐにアカは自然魔術でもって部屋のアオに声をかける。
「アオ、アオ。手紙が来ました、いつものです」
『すぐ行く!』
声のすぐあとに乱暴にドアの開く音、そしてどたどたと廊下を走り、階段を下りてくる。
アオだ。
リビングまでやって来れば迷わず一直線。すぐにアカの手にある手紙を受け取り、念のために差出人を確認。すぐに嬉しそうに笑う。
「おおー、ありがとハズヴェント! 大好き!」
「へへ、どういたしまして」
返答も待たず、また同じく慌て急いでアオは部屋に戻っていく。行こうとしてふと立ち止まり、アカへと振り返る。
「アカ、あたし行くからね」
「ええ。わかっていますよ」
「それだけ!」
再び前を向いて、そのままアオは去っていく。
妙に小気味いいタイミングに、アカはなんだか苦笑する。
それから正面に目をやれば、妙ににやけるハズヴェントがいた。怪訝となって。
「どうしました、下品な顔ですが」
「笑ってるだけだろ!」
人のほっこり笑顔を下品とか表現するのは遺憾甚だしい。
すみませんの声を聞いて不服げな顔つきをやわらげ、とまれ言いたいことはおよそわかる。
ハズヴェントはカップをつまんで揺らしながら。
「いやほら、アオがおれに愛想いいのってこのタイミングだけだからよ。噛み締めておこうかと」
「……なんだか、うちの子がすみません」
「猫みたいなもんさ」
小生意気な部分もまた少女の可愛げとも言える。
内実、本当に嫌われていないことはわかっている。照れ隠しの口の悪さくらい受け入れてやる度量はある。
笑うハズヴェントに、アカはすこしだけ首を傾げる。
「しかしどうしてうちの子らは皆ハズヴェントへの扱いがこうも悪いのでしょう」
「そりゃあんたのせいだ、あんたの。あんたが適当に扱うからそれに倣ってんの」
「……そう、なのですか?」
傾げた首がさらに傾く。
疑問した先にさらに大きな疑問が返ってしまって得心が遠のく。
ハズヴェントは今にもため息を吐き出さんばかりに苦い顔。
「旦那は師匠なんだろうが。あんたの一挙手一投足が、その言動のひとつひとつが弟子に影響を与えてんだよ。自覚してろよ」
自らの背を見て律すべし――それが師たる者が言葉なく告げる重要な訓示であろう。
「なるほど」
それを言われてしまうと、アカはちょっと自信がない。
魔術を教える授業の時間については、できるだけ教師然としているつもりだが、平時においては割とだらしなかったりするのではないか。
年若く未来ある少女らに対してあまり不様を見せて失望されたくはないので、それなりに格好つけてはいるのだが、長く共に過ごすとどうしても緊張感を保ってはいられなくなる。
――だからと、引き締めるために見栄を張りすぎるのもよろしくはない。
アカは、中断していた思考を思い出し、せめて友人の前では強がりを控えることとした。
「せっかくですので、ハズヴェント。すこし依頼したいことがあります」
「ん? おいおい公務員にバイトか?」
「では友人からの頼みでどうです」
「それならまあ……話は聞くぞ」
なんぞまた嫌な予感するなー、と嘯くハズヴェントに、アカは事の次第をかくかくしかじか説明。
すると第一声にこもる感情は驚愕と非難であった。
「――極北地に行くだぁ?」
くしゃりと、自らの髪を乱暴に掻いて。
「あんた……いやそりゃあんたはいいだろうけど、弟子も? そりゃダメだろ。やめとけ危ない」
至極常識的な意見である。
赫天のアーヴァンウィンクルを知るハズヴェントでさえ、その結論なのだ。
アカは困ったようにして。
「私もそう思います。ですが……」
「アオか……」言われるより先んじて事態を把握しため息ひとつ「まあ、あいつにとって精霊ってのは、ちと無視できんことだわな」
アオにとって退けない部分。
それを見過ごして怠惰に逃げれば、彼女が彼女を失ってしまう。
アオは、過去などに負けたりしない。
かと言って命は大事。無茶をさせるのが師として優れたとは言えないし、なにより心配だろう。
だから、アカはハズヴェントを見据え。
「なので、あなたもついてきては下さいませんか」
「あー。護衛か」
「はい。あなたが手助けしてくださるのならば、これほど心強い者もおりません」
「そりゃ光栄だが、極北地なぁ」
おどけた風情は消し飛んで、ハズヴェントはどこまでも沈着に試案を試みる。
顎もとに手をあてて、懸念を幾らか確認。
「てことは敵は竜だろ? 会ったことねぇけど、デカブツは苦手案件なんだよなぁ」
「問題ありませんよ、あなたならば」
「旦那は毎回それだから信用ならん」
人間が相手でも魔獣が相手でも鬼が相手でも、同じことをアカは言う。
それだけ実力を買っていると言えば聞こえはいいが、単に大雑把であり、敵の力量差というのを些事と認識している。
――まあ、ハズヴェントなら大丈夫だろうと、そういうある種の信頼という名の能天気さがそこにはある。
一体ハズヴェントがどれだけその無茶ぶりに付き合わされ、突破するために苦心惨憺の日々を送って来たのかアカは知るまい。
毎度命からがら、常々絶体絶命。むしろ今日この日まで生き延びている事実に、自分で自分に驚愕する。
信頼とは無茶を振ってもいいという免罪符ではないと、何度となく叫んでいるのだが聞いた風もないのだから困りもの。
とはいえ、それはもう昔からの仕方ないこと。ハズヴェントのほうが慎重に警戒しておくしかない。
「たぶんめっちゃ寒いよな。動きが鈍る、っていうか生きてられるか?」
「私が術で周辺環境を整備しますので」
「旦那とはぐれたら?」
「環境だけは維持するようにします」
「移動できねぇじゃんよ」
「……では物品に術式を込めるのでそれを持ち歩いてもらいましょう」
「おっけー」
状況設定を突き詰めればしっかりと応えてくれるのは互いにわかっている。
不測の事態を検討するのはまたあとでさらに深堀していくべきであろう。
今はもうすこしわかりやすい部分の質問をする。
「で、追っかけるのは威命のアンカラカと精霊だっけ。これ、交戦すると思うか?」
「前者は、おそらく。後者はまったく不明です」
「だわな。魔術師相手ならまだ慣れてるが、精霊ってのは会ったこともねぇしなぁ」
「強力な魔術師と思っていただければ、そう遠くはないかと思いますが」
「あんたの視点じゃそうでも、他から見たら絶対違うだろ……」
極論、アカは自分のことをすごい魔術師と表現することがある。
いや、すごいの度合いが桁外れ過ぎて別次元だろうがとツッコんだ記憶は幾度とない。
つまり、アカにとって魔術師という枠組みは誰かが思うそれよりも広いのだ。それは上限値でも下限値でも。
そもそもアカは他者を観測するとき、魔術師であるかそうでないかで分類する。
初見で人を認識して――男か女か、年のころ、顔立ちの良し悪し。そうした印象よりも魔術師か否かを第一印象として受け止める。
それは差別的な考え方というわけではなく、単に個人の区別として彼にとって魔術師という要項がそれだけ大きいのだろう。
だからそれに近い要素が揃えば、魔術師のようなものと思考がそのまま出力される。
なにが言いたいのかと言えば――アカの評価はまるでアテにならないということ。
なんだろう。三つほど質問をしたのに、実益のあったのはひとつだけな気がするのだが……。
これ以上の質問もなんだか意欲を削がれ、ため息をつくようにしてハズヴェントは首肯だけ。
「わかったよ、手伝えばいいんだろ……」
「ありがとうございます」
アカはそれでこそとばかりに笑みを浮かべるが、そこに込められた期待に応えられるかは不安であった。
気合入れないとなぁ、と久々にハズヴェントは仕事用に頭を切り替えることにする。
最近は平穏にずぶずぶ浸かって微睡むように過ごしていたが――目覚めて見据えねば、誰かを失うかもしれない。
それは、ハズヴェントだって嫌だ。
「んで、出発はいつだよ」
「その前に、もうひとり助っ人を呼ぼうと思います」
「ん。なんだよ、旦那にしちゃ珍しいな、おれ以外で小間使いにできる輩でもできたか」
「誰も小間使いになどしておりませんが……今回の件で、むしろ張本人がいますので」
「……そりゃ。まさか」
歯切れ悪い様に、アカは思い出したように。
「そういえばハズヴェントとは顔合わせもしていませんでしたね、せっかくですし今からお邪魔しましょうか」