44 秘匿案件
「これまでの非礼、まことに申し訳ありませんでした」
その一言に、アカは小さく安堵する。
いちおう、このレベルの天候操作なら月位の者でも可能だろうと、そのように指摘される恐れはあった。
だがこれ以上となると些かよそへの迷惑がでてくるかもしれない。
強大な魔術師であると示すには強大な魔術を見せればいい。が、強大なればこそ影響も広く規模も大きいことが大抵だ。
意味もなく使うには無鉄砲にとはいかない。
ちなみに降らせた雪は、通り雨のように時間が経てば失せていく。天気の気まぐれを考えれば、まあそこまで訝しがられることもなかろう。
改めて、ふたりは隣室――応接間へ移動。
向かい合って座り、さてようやく本題だ。
「では用件をお聞きしましょう。まさか挨拶をするためだけに訪れたわけでもありませんでしょう?」
シュレーアの言葉は先よりほんのわずか柔らか。
見分けるのには苦労するが、警戒心がひとつ下がったように思える。
「今回お邪魔したのは就任の挨拶だけではなく、二点ほどお話ししたいことが」
「一点目は、手紙の件ですね?」
「はい。秋に起こった塊坤のバルカイナ氏による襲撃事件についてです……父君に宛ててしまいましたが」
「私に届いておりますので問題ありませんよ」
あの事件のあと、アカは会長宛てに手紙を一通だしていた。
ことがことだけに内密にと魔術的な封をして、報告をしておいた。
月位九曜の暴走と、それの原因たる厄介な新手の呪詛。
伏せておくわけにはいかず、大々的に喧伝するわけにもいかない。魔術に関して全てを取り仕切る協会の上層部で揉んでほしいというのがアカの見解である。
シュレーアは頭を抱えたようだった。
「こういう重要な情報は手紙よりもタイムロスなく伝えられる貴方がこうして赴いてくれると助かるのですが」
事件からすでに二か月は経過している。
手紙が届いて、一か月と半月は経過している。
……ちなみに会長就任からは三か月ほどは経過していて、結構な遅参である。
田舎ゆえの情報伝達の遅れである。
「先代は急に私が現れると吃驚して命を落としかねないのでまず手紙をと言われていたのですが」
「父はもういい歳ですからね、ショックを与えないようにという判断は正しいでしょう。ですが、私ならば死には致しませんので」
「吃驚はしますか」
「します。大変なほど」
平然とそのように告げるが、割と本音が色濃い一言だった。
顔色が変わらないから感情がないとか、そういうわけではない。
アカはひとつ頷く。
「では以降からは火急の要件に際しては直接顔を出しましょう」
「ご理解いただき感謝致します」
一礼。
切り替えて。
「それで、話を戻しますと、塊坤のバルカイナの件でしたね。実は彼のほうからも協会に手紙がありまして」
「そうでしたか。なんと?」
「一身上の都合で九曜の地位を降りると」
「……そうですか」
予想通りであり、無念でもある。
あれを彼の罪と問うのはいかにも酷ではあるまいか。
けれど、それを自身が許せないのだろう。
強大なるものとしての責務――強さを築き上げた以上は、それを悪用されてはならない。それが、本意でなかったとしても。
目を伏せるアカに、しかしシュレーアはやはり無表情のまま。
「とはいえ、それは却下なのですが」
「え?」
「九曜の暴走も、例の呪詛も、その両方ともが口外できるようなものではありません。秘匿します」
力強い秘匿宣言である。
だが、それがおそらく組織運営をなす長からすれば正解なのであろう。
月位九曜という魔術師協会が選出した現代最高の魔術師が一国の主都を崩壊させかけたなどとショッキングな事実、まさか漏らせるはずもない。
この世の均衡に動揺が走る。魔術師協会という組織の土台が揺らぐ。
魔術師という存在が、いつかかつてのように恐怖の対象として非難を受ける。
それはなんとしてでも避けねばならない事態だった。
そのうえで、九曜をも正気を失わせる呪詛だなんて、世界中が大パニックに陥りかねない。
幸いにして目の前の天なる者がすべて秘密裏に事を収めてくれた。情報の漏洩はほぼありえない。
世間に明かさず、協会内で静かに対策を講ずる方針でいくと、それはすでに決定事項だった。
「秘匿案件の、そうですね丙……いえ乙種くらいの案件でしょう。
バルカイナ氏にも、手紙の返信はしてあります。表に露出するような機会は極端に減り、ほとんど隠居状態となるでしょうが、九曜の号は背負ってもらいます」
「なるほど。次の黄の九曜が決まるまで、席を守っていてほしいということですね」
「ええ。表三色については九曜が空席になるのは避けたいのです。他に有力な候補もない現状では、バルカイナ氏にお願いしていたい」
言い切ってから、シュレーアはすこし肩を竦めたようだった。
「当初は気のふれた、という懸念もあったのですが、貴方様を信じる以上はその呪詛も信じざるを得ませんので、人格面も問題ないでしょう」
疑い深いゆえに、容疑を晴らせば信じはする。
未だ含むようなものが感じられるのは、やはり彼女の性分なのだろうが。
アカは苦笑し、シュレーアはやはり笑わなかった。
それよりも時間が惜しい。彼女は多忙。相手がアカであっても無関係に仕事として速やかな処理を望む。
「それで、もうひとつの用はなんです」
「会長の交代があったので、それに伴って前会長にお願いしたことがちゃんと引き継がれているのかの確認です」
「あぁ。無論ですとも。父が貴方との約束を忘れるはずがありません」
しかしそれもまた秘匿案件。種別は乙種であるが、それでも重要機密である。
父から頼まれたその案件とは。
「たしか、前九曜の偽命のジュエリエッタ、彼女の手配の解除でしたね」
「ご存知でしたら幸いです」
「けれど、この件はすこし遅れていまして」
「それはまた、どうしてでしょう」
事実確認の調査が必要なのは理解しているが、それにしても充分な時間はあったはず。
彼女が追放されてから二年、それを取り消すように言って一年。流石にすべて完了しているのではないかと思っていた。
それについてはシュレーアにも言い分がある。
「会長の世代交代なんかで、こちらもごたつきましてね。それに秘匿案件である性質上、あまりわかりやすく調べまわるというわけにもいきませんでしたし。
とはいえほとんどの調査は完了しています。それによって浮かび上がった事実は、確かにジュエリエッタ氏の潔白を示しています。九分九厘は」
「残り、一握りの疑惑が残ると?」
頷いて。
「なぜなら、この件で最も重要な魔術師からの証言を得られていないのです」
「……その方の名は」
「威命のアンカラカ……お察しの通り、新たな赤色の九曜の冠を得た女性です」
「……ジュエリエッタさんの、後釜」
含むようなアカの言葉に、シュレーアは言葉の上では皮肉気に。
「いかにも蹴落としたがる位置にいますね?」
「割と、そういうところはずばり仰るのですね」
「言いましたね、私は疑い深いと」
無表情を被り続けて、魔術師協会会長はいう。
「疑い深いから、威命のアンカラカは怪しいと思います。けれど、疑い深いから、偽命のジュエリエッタが完全な白とも言い難いのです」
「それの裁決をとるために、威命のアンカラカ氏の証言をとりたいと」
「その通りです」
あくまで慎重に事を進め、誤りのないように多方面から情報を得る。
偏りは許さず、偽りは許さず、間違いのない正解を探し出さねばならない。
なのだが、シュレーアはいささか瞳を細めて。
「ですが、彼女は現在、遠出しておりまして」
「遠出。いやにタイミングがいいですね」
「私もそう思います。こちらの調査に勘づいたのでしょうね。そのため通常では立ち入れない場所に調査を買って出たようです。あまり調査員を派遣するには危険すぎる区域でしたので、九曜のひとりが乗り出してくれるならとあっさり許可がでてしまったようです」
「それは、一体」
月位九曜クラスの実力の求められるような危険地帯、それは世界広しと言えどそう多くはないはずで。
シュレーアは、秘め事を明かすように囁き声でいった。
「――極北地」
「まさか……あんな場所に?」
アカをしてまったく素の反応で驚いてしまう。
シュレーアは深く頷く。アカの驚愕に痛く共感して。
「そう、あんな場所に、です。九曜くらいしか、赴くにも赴けませんわ」
「……」
それは否定できない。
それほどまでに、かの地は危険に満ちており、人の赴くような場所ではない。
なにせその別名を竜盛巣。
――竜の巣くう地だ。
一方で、人を超えし天なる者は極北地に訪れたことがある。しっかりと探索したり、調査したわけでもないが、あそこは。
「しかし調査と言っても、あそこにはなにもありませんよ」
不毛極まる無貌無辺の土地。であるからこそ、アカはあそこに――
シュレーアは肩を竦める。
「それを、我々は知らない……というのもありますが、実はひとつ未確認ながら情報を得ましてね」
「……それは?」
「極北地に、精霊が現れたと」
「精霊ですか」
すこし驚き、つぎに腕を組んで思案し、それから考えをまとめるようにつぶやく。
「極北地に、精霊……そんなはずは……いや、生じることはないが、訪れることは皆無ではない……のか。それなら何故。物見遊山に行く場所ではない。理由があるはず。あぁいやもしやルーツを辿るため……? それなら、ありうる……か?」
「どうやら、ありえないとは言い切れないようですね」
「……はい」
実に興味深い言葉が聞こえた気もするが、シュレーアは会長としての立場でのみ物を語る。
「では、調査の判断事態に誤りはなく、人選に多少の思慮不足があったということになりますか」
まあ完全に別件であり、責任者だって違う。なにより秘匿案件に携わる者は限られている。
そこらへんを突いて、まんまと逃げおおせたというのが実際のところと想像できる。
「したたかですね」
「狡猾といったほうが近いように思いますが」
意外にも、この無表情の会長はアンカラカに良い感情を抱いていないようだった。
高位の魔術師は組織にとって有益であるはずだが、はて、人徳がないのか。
アカは感想を胸に秘めつつ話を進める。
相手の居所はわかったが、ではどうする。
「それで、協会としてはその後どのように対処するおつもりで?」
「このまましばらく待ちを選びます」
「逃げられてしまうかもしれませんよ?」
「逃げず、戻ってくるかもしれません。調査は秘密裏に行っていました、勘づいたというのが杞憂であった公算もすくなくはありません」
と、それは表向きの建前。
本音としては、もっと切実でどうしようもない。
「なにより、追うにしても、向こうの居場所がまずい。追っ手のことごとくが彼女に到達する前に無駄死にするでしょう」
「極北地。追っ手を撒くために訪問先を選んだのだとしたら、たしかに狡猾な方なのかもしません」
――踏み入った者はごくわずかの例外を除き帰ることはなく、帰った者も再度赴くことができたのは史上で五人に満たない。
と、それはいつか読んだ極北地について記載された書の一節であったか。
「むしろ、貴方様はどうしますか」
「私ですか」
不意とシュレーアのほうから切り出してくる。
おそらくずっとこの会話の前から腹に巡らせていた、この件における最も容易な解決策。
「もしもわずかなりとも思うところがあるのでしたら、威命のアンカラカの捕縛をご依頼したいのですが」
「……ふふ」
そこで、アカはかすかに笑う。
彼女に別の誰かの面影を感じた。
「そういうところは、先代によく似ておられる」
「そういうところとは」
「このような大層困難な事態に際し、雑用事のように私を使うところですかね」
「……貴方様にとっては雑事でしょう」
極北地に月位九曜を捕縛しに行くのが雑事だなんて、笑い話にもならない。
だがそれを笑うのが天である。
「そのように言われてしまえば、お断りするのも忍びありませんね。
わかりました、その依頼お引き受けいたしましょう」