授業・魔術師協会
「そういえばしっかりとした説明をしていなかったのではないかと思い、今さらながらこうして授業のテーマとして据えさせていただきます」
「……まあ、そうかも」
アカが授業として弟子らに教えることは、決して魔術のことだけに留まらない。
この狭い屋敷だけしか知らないようでは、まるで鳥かごの小鳥の状況であろう。それでは知識が偏るのは必然であり、だからこそ広く世界の常識にあたる知識を教授するのも師の務めだ。
いずれ広い世界に飛び立つその日のために。
まあ、ある程度したらローベル魔術学園に入学させて一般的な価値観についても学んでもらう予定はあるので、アカから伝えるのは最低限なのだが。
その最低限のひとつとして今回取り扱うテーマは――魔術師協会である。
「魔術師協会とは」
アカは黒板に言葉のまま文字を書く。
「それは一種の研究機関であり、また秩序維持のための魔術師の監視役です」
魔術という奇跡に等しい現象に関して調べ、その情報を集積し、さらなる発展を目指す組織。また魔術師という存在を知らしめ、その地位の向上も目的となる。
そこまでは、クロにも想像がついていて、けれどもうひとつに首を傾げる。
「研究機関っていうのはわかるけど、監視役っていうのはどういうこと?」
「そのまま文字通りです。魔術師が犯罪を犯したとき、それを取り締まるのはまた同じ魔術師であるということです」
「ん。官憲とか、国の兵隊さんとかとは別に?」
「ええ。とはいえ、あまり仲がいいとは聞きませんが、いちおうは同じ目的をもてば協力体制を敷く、はずです」
ハズヴェントなどに聞いた話では現場レベルでは直近の危険度から割と協調性をもって行動できるが、危機感の薄い上のほうが縄張り争いで忙しいらしい。
あのハズヴェントが愚痴っていたほどなので、実はけっこう深刻な問題なのかもしれないが、ここで語ることでもない。
「協会設立以前まで恐れられ嫌われていた魔術師という存在を認めさせるため、魔術師には規律がありそれをもって統率されていると宣言したのです。これにより魔術師ならざる方々の嫌悪を極力抑え込もうとしたわけですね」
「……悪い魔術師が嫌われてたから、そいつらを倒して好かれる魔術師になろうとしたって感じね」
「その通りです。そのため未だに魔術師の犯罪者は協会によって強く取り締まられ、魔術師仲間からも嫌われています」
「べつに魔術師じゃなくても犯罪者はきらいよ」
魔術師だからとか、そういうのはあまり関係なくはないのか。
クロの純粋な意見に、アカはすこし寂しげに首を横に振る。
「けれど、魔術師が強い力をもち、単体で大きな影響を与えるのもまた事実ですから。魔術をもたない者よりも、強く秩序を意識していなければなりません」
「そう言われちゃうと、そうだけどさ」
なんとなしに、クロはすとんと飲み込めないのだった。
「魔術師が嫌われてるっていうのは、なんかいやだ」
「まあ、現代は言うほど目立った差別はありませんよ」
日常に溶け込んで、当たり前に魔術が飛び交って。
魔術師は既に違和感なく世界に浸透している。
かつてを知るアカからすれば見違えるほどに。
「そうなるようにと、魔術師協会ががんばってきたのですから」
「ん。じゃあ、魔術師協会には感謝しないといけないわね」
「そうですね」
まあ、協会設立の思惑はさらにもうひとつ別にもあったが、それは今になっては忘れられて久しいこと。
瑠天のエインワイスが協会を設立して、それを世界に認めさせたという事実が大事であり、その真意がどこにあっても偉業であるということに変わりはない。
「すこし、協会の歴史についても説明しましょうか」
「お願いするわ」
クロは楽しそうに頷く。
知ることが楽しいのだ。
「その前に、クロは魔獣についてはどれくらい知識がありますか」
「ん」急な別方向の問いに僅か惑ってから「なんか、ふつうの動物よりも危ないやつって感じかしら」
「あまり詳しくはなさそうですね」
「そりゃ、だって見たことないもん」
拗ねたようにぷいと顔を逸らす。
「やっぱり箱入りだったせいかしら」
「いえいえ、そうではありません。今の時代、魔獣を見たことのない子供も珍しくはありませんよ」
「そうなの?」
ちょっと驚いた風情に、アカは苦笑とともに首肯して。
「はい。それこそが魔術師協会が世界に版図を広げ、認められた最たる理由になります」
「どういうこと?」
「魔除けの結界。これの開発と普及こそが、魔術師協会が最初に立ち上げた最大の事業になります」
「結界。聞いたことあるわね。魔獣を寄せ付けないための要とか」
「まさしく然りです。かつて世界中で魔獣たちが暴れ、人々に襲い掛かり、皆が困っていました」
アカの説明に、クロが挙手をもってストップをかける。
その解説には前提の知識が不足しているのではないかと申す。
「魔獣って、そもそもなんなのよ」
「生物が死ぬとき、肉体的に死んでも生命力が残存していることが多いのですが、そのとき、命の力が死体という正反対のものに汚染され、還元されてもよどんでしまいます」
割と最先端を超えた知を、アカは当たり前に語っている。
魔獣の発生については未だ議論されており、確証をもって話されることはあまりない。
三天導師たるアカだからこそ知りえた世に知られざる英知である。
「このよどんだマナが集まってできた害するもの。生命の影。死を集める怪物――生命力を保有するものを食らう災害。それが魔獣です」
「……」
魔術を行使する際に必須たるマナの、それは別の側面だった。
物事には表裏があり、役だつからと必ずしも全肯定されるべきものはすくない。
「ちなみに魔獣というのは魔術師に特に忌み嫌われ、最大の侮辱表現となっていたりします。魔術師の方を怒らせたい時には魔獣を交えて罵倒をすると有効かもしれません」
「そんなタイミングないわよ」
「ええ、ないほうがいいと思います」
「でも、どうして魔術師にそんなに嫌われているの?」
害獣で、敵対者で、邪魔者で。
それで嫌悪されるのはわかるけれど、それは人類としてだろう。魔術師が突出して嫌うのにはワケでもあるのか。
「かつて、魔獣は魔術師の使役する使い魔と誤解されていました。そのせいで、彼らの害悪はイコール魔術師の害悪とされていた時代があるのです」
「だから率先して嫌ったわけね」
頷いて、そういえばとアカは思い出したように。
「私も一度、魔獣を根絶やしにしようと頑張ってみたことはあるのですが」
「えっ」
さらりと不意打ちでとんでもないことを言い出す。
いや、なにをしているのだ、この先生は。
長く生きているぶんだけ多くの無茶をかましているということなのか。
「けれど、この世にマナが満ち生物が存在する限り際限なく出現するとわかり、諦めました」
「先生でも、どうしようもないの?」
「残念ながら」
魔獣を根絶するのなら、世界からマナを完全に取り去るか、もしくは死という概念そのものをどうにかする他になく、それをした場合にどんな影響がもたらされるのか想像もつかない
そもそもその方法すら現実的ではなく、机上の空論甚だしい。
「なので、現実的に魔獣被害を減らす方策を、協会は選びました。それが魔除けの結界……魔獣たちを弾く陣の形成です」
「あぁ、だからわたしは魔獣を見ないのね」
「はい。もうこの時代になると協会が各地に支部を点在させ、その支部ごとに大きな結界を張って魔獣の人里への侵入を防いでいます。魔獣を見かけるのは、結界外の未だ人の至らぬ秘境や無用の土地くらいです」
屋敷近くのフェント村も、クロの故郷も、そして他の多くの人が住まう地にも。
魔除けの結界が敷かれて魔獣を寄せ付けない。
結界外の魔獣も協会の魔術師や駐屯地の兵士が駆除して、今や魔獣はその存在を見かけることのほうが珍しい。
それは長年の多くの人々の尽力の成果であり、また協会の魔術師たちの努力の賜物である。
そうした努力があってこそ魔術師協会は拡大し、魔術師たちは世間に認められていった。
唾棄すべき存在から、なくてはならない隣人へと変わったのだ。
「魔術師協会があるから、わたしは魔獣を見たことがないでいられて、平和なのね」
しみじみと感じ入るように、クロはひとりごちるのだった。