幕間 あれこれ閑話
「ふぅーはははははははは!」
ローベル魔術学園グラウンドの一角において、その男は仁王立ちしていた。
上機嫌に高笑いをし、意気軒昂なる魔力を漲らせている。
グラウンドを行き交う生徒らはそんな男に一瞬だけびくりと驚き、だがすぐにそれが彼だと気づけば日常風景としてあっさり受け入れる。
彼の名はジグムント・シュベレザート。
学園四年生の、この学園において大層有名な魔術師である。
三日前のガクタイの活躍によりその顔は一層に学園に知れ渡り、知らぬ者はなしと断じて差し支えないだろう。
そんな彼は見るからに高テンション。
下手に触れると飛び火しそうなほどの熱量に、学生たちは言葉もなく距離をとっている。どれほども経たずに彼の周囲からはひと気が絶えて、グラウンドのそこはぽっかりと空白が空いてしまう。
「ふぅーはははははははは!」
ジグムントはそんなこと気にもとめない。気づいてもいない。
ただこれからはじまる心踊る決闘が楽しみで仕方がない。
――本日の昼休憩から三十分後のグラウンドにて、彼はキィと決闘を執り行う約束をしていた。
彼女とは以前の決闘で決着が着いていない。
その強さをガクタイで見せつけてくれた。
そして、そのことについて、彼女はジグムントに謝罪をした。
「ごめんなさい、ジグムント先輩。あなたとの決闘のときに全力を隠してて……」
そんな謝罪とともに、詫びにと全力での決闘を必ず行おうと約束したのだ。
それが今日である。
ジグムントはそれを心待ちにし、昼休憩がはじまってすぐに待ち合わせにやってきていた。昼食もとっちゃいないが、彼の盛る思いはそんなことで衰えたりはしない。
「……」
けれど、ひとつ彼を落ち込ませるものがあるとするのなら、それは。
それは彼女に全力を出すに値しない魔術師であると見くびられてしまったこと。
キィが全力を出さなかったのは仕方がない。それは強者の特権で、見事に伯仲した時点で弱者の自分が彼女に文句をつけることはできない。
だから腹立たしいのは弱い自分。
名門シュベレザートの英才教育を受け、両親から充分以上の愛情をもらい出来上がったシュベレザートの魔術師。
同年代ではきっと誰よりも恵まれた環境と血筋だったはず――そんな自分が弱いままでいるということは許されない。
それは自らの血に対する裏切りであり、両親に対する不孝である。
だから悪いのはジグムント。
であるのに、キィは彼に謝罪をくれ、そして挽回の機会を与えてくれた。
なんと心優しい少女なのだろう。
彼女は戦いを好まないというのに、全力をさらけ出すのを拒んでいたというのに。
ならばジグムントのすべきは彼女の心意気に応え、全力を尽くしてこの身に叶う強さを全て見せつけねばなるまい。
ジグムント・シュベレザートは止まらない。
彼は自らの誇りを握り締め疾走し続ける暴風の紳士である。
□
「師匠!」
「おぉ、どうしたミーティ」
塊坤のバルカイナはその険しい皺くちゃの顔を僅かに綻ばせる。
厳格として弟子らに恐れられるバルカイナをして、彼女の恐れ知らずの振舞いは新鮮で清々しいとさえ思う。
最も年齢の低いこともあり、どこか孫のように接している節があるほどだ。
つまりバルカイナの厳しさは、彼女だけを限定して三割ほど減殺される。
「魔術、教えてちょうだい!」
「ふむ、ふむ。なにか学びたいことでもあるのかの」
「ある!」
勢いのいい肯定に、バルカイナは微笑ましい心地になる。
椅子から身を乗り出し、少女に向かい合う。
「聞こう」
「ひとりの人間にふたつの呪いを刻む方法!」
「む」
思いのほか具体的で、なによりも難しい内容である。
バルカイナはまずは理解のほどを計るように問いを。
「それは高等技法だぞ、わかっていっておるか」
「わかってる。けど、あの生意気な子、もう呪いを負ってるみたなのよね。アタシがそれできないと、勝てないわ!」
「……なるほど」
ここ最近、あの事件からずっと。
ミーティが度々口に出す少女。かの人の弟子という、黒髪をサイドテールに束ねた幼いながらも恐るべき才覚を秘めた魔術師だ。
どうにも、ミーティはその少女に並々ならぬ対抗意識を燃やしているらしく、ここのところは魔術の鍛錬に余念がない。
「しかし、同一人物にふたつの呪いを刻むには、まず事前に刻まれているほうの呪いについてある程度以上の知悉が必要となる」
「え……」
「つまり、今目の前にいない相手の呪詛を観察することからはじまるかの」
「無理じゃんか!」
「ふむ、ふむ」
人差し指をがじがじ齧る弟子に、バルカイナは思案気に目を伏せ、すぐに見据える。
「先の一戦で、術式を観測できんかったのか? それから予測しうる呪詛を特定すれば――」
「わからなかったのよ」
「む?」
「直接触れたのに、全然、わかんなかったの。呪いを負っているってことさえ」
「それは……」
おかしいのではないか。
緑魔術師が直接触れてそれを観測できないというのは、道理にそぐわない。
いや、かの人ならば呪詛を綺麗に隠すことも可能だろうが……であれば、解呪したほうが手っ取り早いであろう。
「……っ」
気づきがあった。
弟子に刻まれた呪いがあったとして、解呪できるのならば誰だって解呪するはずだ。それが師というものであろう。
なのにしていない――できない。
かの人が解呪できない呪詛。
それは、まさか……
「……その方向での勝利は、諦めるしかなかろうな」
「ちぇ」
予測できる最悪は語ることはせず、ただ結論だけを述べておく。
バルカイナは、かの人のことについて弟子たちには黙していた。
その事実は、未だ先のある彼と彼女らには荷が重いだろうと判じていた。
師の心のうちなど知る由もなく、ミーティはその言葉をそのまま受け取る。
それがダメなら、ダメならどうしよう?
「じゃあ、どうしよう。エフィ姉はなにか手、思いつく?」
「……」
す、と拳闘の構えをとるのは傍のエフィ。
ミーティは憮然とした顔つきになる。
「いや、エフィ姉はなんでも拳で解決しようとし過ぎだって」
「?」
小首をかしげる姿は愛らしいが、彼女は悩むなら殴れを掲げる脳筋淑女である。騙されてはいけない。
こういう相談事には一切の役に立たない姉弟子だと思い出せば、いつも役立つ兄弟子を探す。
けれど。
「じゃあ、シシド兄は……って、あれ? シシド兄は?」
□
「あ」
「む……」
学園の昼休憩、アオが学食に通ずる廊下をひとり歩いていると、ある人物とすれ違った。
歩いていれば人とすれ違うのは当たり前だが、その相手が想定外。
立ち止まって振り返る。声は、自然と低くなって。
「あんた、どのツラ下げてこの学園にいるんだよ」
「ツラは、これひとつだがな」
「あんたほんとああ言えばこう言うタイプだよな……」
その男は紫魔術師シシド。
この学園の特別講師にして、塊坤のバルカイナの二番弟子。そして、知られざるテロリストのひとり。
アオはあまりに自然と紛れ込むこの男に、さすがに無警戒とはいかない。
またぞろ懲りずになにかを企んでいないとも言い切れない。
だが、シシドは苦笑する。
「そう警戒するな。ここには辞任を申し出に来ただけだ。勝手に去ったでは、迷惑だからな」
「まっ、まっとうな大人の理由……」
なにも反論できそうになかった。
謎の敗北感に項垂れるアオに、シシドはいう。
「生徒アオ……いや、青魔術師のアオ」
「なんだよ、紫魔術師のシシドさん」
他人行儀に言ってみると、割としっくりくる気がした。
「お前の師について、聞きたいことは山ほどある。だが」
「ああ。今回は質問は受け付けないぞ」
「だろうな。だから、言伝だけを頼む」
「ん」
軽く頷いて促す。
一方で、シシドの言葉はどこまでも重かった。
「師を救ってくれて、ありがとうと」
「……」
ほんのすこし驚いて、けれどすぐに得心いって。
「わかった。ちゃんと伝えとくよ」
「頼む。それだけが、この地での心残りだったからな」
それは言外に、この地より去ることを示唆しているようで。
だから、きっとアオが彼と言葉を交わすのはこれで最後なのではないか。
そう思うと、なんとなし口が動いた。
「……あんたは」
「なんだ」
「あんたたちは、このあとどうするんだ?」
「さて?」
肩を竦め、シシドはどこか楽し気に笑う。
「なにも考えてはいないな。すくなくとも、師とともにいようとは思っているが」
「そっか……」
その答えに満足できたのか、アオはうすく笑った。
「まあ、なんだ。達者で」
「そちらもな、青魔術師のアオ」
そうして、門を開くでもなく、普通にシシドは歩いてその場を去っていった。
□
「むぅ」
その唸り声は、本日だけで既に四十にも届く回数に達していた。
ほがらかな日差しにつられて窓から外を見遣れば綺麗な秋晴れ。ガクタイという大イベントが無事に終了して、教師陣でさえほっと一息ついている今日この頃。
ローベル魔術学園学園長室にて、アドバルドはひとり頭を抱えていた。
晴れ晴れとした青空とは正反対のどんよりとした顔つきは、まるで暗雲が立ち込めているかのよう。
彼は悩んでいた。
いや、悩んでいても仕方がないとはわかっているので、これは先にある面倒ごとを想像して憂鬱になっているに過ぎない。
この学園でテロがあった。
それも、月位九曜という現代における最強の魔術師の引き起こした史上稀に見る大規模の、だ。
大規模魔術によって都市ひとつ滅ぼすことは、たしかに可能だ。
無論、月位九曜というレベルのごく限られた者たちに限定されはするが、可能であると知られている。
だがそれが本当に大都市に降ってきた事例は数少ない。
そもそもそんな大魔術を行使するとなると、発する魔力が膨大で、勘づく者が多数に渡る。
なぜ今回のそれがほとんど成功してしまったのかと言えば。
それはガクタイという大イベントを目くらましにし、かつ学園の結界を気づかれぬように改変されて、そして一撃で終わらせる超絶の魔術を発令。
そうした巧妙なる策略が、この地を破滅に追い込みかけた。
もしも偶然にもかの御方が訪れていなければどうなっていたか、それを想像するだけで寒気がする。
アドバルドは今回の一件を踏まえ、国側へ結界の晦ませによるテロの可能性を指摘し、定期的なメンテナンスや警戒をすべきと促しておくと心に決めている。
だが、それの実例として今回の件を伝えることができないのは痛手だ。
かの御方の決定に異を挟みたいわけではないが、事件そのものをもみ消すことになると、危機感を煽ることが難しく、実際に警備行動の改革できるのは苦労と時間が必要になるだろう。
それがアドバルドを憂鬱とさせている要因の、ひとつ。
まだ他にも、彼が曇る案件は残っていて。
たとえば時計塔の完全崩壊と再構築という、話に聞くだけで冗談としか思えない事実である。
というかうちの敷地の建造物をそんな簡単に壊さないでほしい。
造形魔術だけで造形した物質は、常に対抗魔術による消滅を危惧しなければならない。そのため、安全面を考慮して造形魔術だけで建造物を作ることは極力避ける。
いや、かの御方の行動を責めているわけではない。
事件そのものをなかったことにするには、時計塔が崩れているのはまずいし、そもそも即時建築し直すという絶技に文句を言えるはずもない。
けれど学園の責任者としては、時計塔はいずれ建て直さねばならないだろう。一体どれほどの費用がかかるのか、考えるだけで気が滅入る。
それと同じで、またひとつ建て直しが必須の建物がある。
第三校舎と第四校舎である。
これはある空間魔術によって一面を削り取られ、さらに第四校舎に関してはその上である自然魔術によって一度完全に凍り漬けにされたらしい。
なんだそりゃ、と空いた口が塞がらなかった。
無論、そちらもかの御方の手によって見た目は修復され、何事もなかったかのように今日も生徒らが使用している。
そう、こちらは時計塔とは違って今も生徒らが行き交って学んでいる場所。
可能ならば今すぐにでも魔術によらない修理をしたいところ。
だがやはり事実が露見しないようにというとそうもいかない。
アドバルドは急ぎ手回しをして、既に冬休みのうちに校舎の修復を依頼している。
それまでの間に不慮の対抗魔術がそこを消してしまうという事故が発生しないことを祈るしか、彼にはできなかった。
わかっている。
かの御方の判断に間違いはない。というか、アドバルドに裁量権があったとしてもそれを選んでいただろう。
彼と同じ意見に辿り着くことができ、かつ彼に頼られるというのは正直とても気分がいい。
わかっている。
かの御方が仕立てた造形だ、並大抵の対抗魔術ではビクともしない。対策もとってあると言っていた、安心していいはずだ。
それでも教育者として、子らを心配する気持ちは絶えず湧き上がってくるのだから仕方がない。
頭を抱えるアドバルドは、常に魔術を用いて危険区域を見守っている。
□
「おい、お前!」
廊下を歩く背中を呼び止められるのは、特段に珍しいことではなかった。
目もくらむような美しい金糸の髪は目を惹くし、振り返って見える整った顔立ちに浮かべる人懐っこい笑み。そして魔術師としての輝かしいほどの才覚をもった少女は、学園において非常に有名だった。
そのうえ、あの衝撃的な強さを披露したガクタイはまだ三日前。ここのところ常より多くに声をかけられていた。
キィである。
「なにー?」
とはいえ、その呼び声は不躾で不機嫌そうなもの。
今までにないパターンでちょっと困惑しつつも、笑顔のままで振り返る。
そこには。
「えっと……誰だっけ?」
「ジャロンだ! ヘルベルト魔術学園のジャロン・クウェース!」
それは件のガクタイにおいて、キィに完敗を喫したヘルベルト魔術学園の代表だった少年だ。
キィはちょっと苦々しい思いを浮かべつつも誤魔化すように。
「ごめんね、ほらえっと、制服着てなかったから一瞬わからなかったよ」
「ふん」
確かにジャロンは以前のような制服姿ではなく、カジュアルな私服だった。
だが、どうにせよ戦った自分をあっさり忘れられるというのは面白くない。
――戦った。
「……お前、名前はローベル魔術学園の、キィだったな」
「うん。そうだよ。ええと、今日はどうしたの? たしかそろそろ帰国するんじゃなかったっけ」
「このあと帰る。最後に先生らに無理を言って、お前に挨拶だけしに来た」
「わ。そうなの? わざわざいいのに」
「よくない!」
律儀だな、程度に思っていたキィに、ジャロンは声を荒らげる。
「俺はお前に負けた! あれだけ大見得切っておいて手も足も出なかった! 死ぬほど悔しい!」
「……」
それは、文字通りの負け犬の遠吠え。
勝者であるキィから、なにを言えるはずもなかった。
しかし。
「だから、次は負けない」
「え」
ただの恨み節かに思えたジャロンの声は、想像以上に意志が通っていた。
胸を張り、力強く、ジャロンは宣する。
「来年だ! 俺は来年、このローベルに留学をする! そして、もう一度お前に挑むぞ、キィ!」
「……」
キィは驚いて目を丸くして、すこし言葉を失った。
そしてすこししたら、こみ上げてきたのは笑みだった。
「ふ……ふふ」
「なにがおかしい!?」
「ごめん、ごめん。君を笑ったわけじゃないよ」
楽しくて、勝手に笑みが溢れてしまっただけだ。
キィは真っすぐにジャロンを見て、見つめて、手を差し出す。
「面白いね、君。ジャロンくん、だっけ? うん、来年、また会おうね、ジャロンくん!」
「っっ」
想像以上に清々しく返されるものだから、ジャロンは驚いてしまって二の句を告げない。
なぜだか言葉が浮かばず、逃げるようにして背を向ける。
キィの顔が見えなくなって、すこしだけ冷静になれた。
「余裕こいていられるのも今の内だ! せいぜい首を洗って待っていろ!」
「わかった、そうするね!」
やっぱり楽し気に返されて、ジャロンはなんだか言いようのない感情でいっぱいになる。
そのまま耐え切れなくなって走り去っていくジャロンを、キィは所在なさげに伸ばした手をそのままに見送った。
――していると、偶然にもアオが通りかかる。
「あれ? キィ、なに廊下の真ん中で握手せがんでんのさ」
「アオ。えっと、握手を求めたら、無視されちゃった」
急いでたのかな、とキィは苦笑するも、アオはちょっと不満そう。
代わりとばかりにその手を握りながら問いを。
「酷いな。誰にだよ」
「ほら、ガクタイでわたしが戦ったジャロンくん」
「あー、あいつ。なんだよ、ちゃんとアカの件あやまってもらえたのか?」
「あっ。そういえば謝ってもらってない!」
大事なことを忘れてた。
あの時はあれほど頭に来たのに、今ではそれほどでもなくなっている。
いや、すこしはまだ引っ掛かっているかも。
「なんだよ、やっぱり腹立つ奴だな」
「んー、でも」
「なに」
「今度、たぶん今度会ったら謝ってくれるよ!」
「はぁ?」
よくわからないで、アオは首を傾げるのだった。
このあとちゃんと留学してきて、なんやかんやキィに絡みにいって、いつの間にかホの字になって、でも持ち前のプライドが邪魔して言い出せなくて、それを乗り越えた強い心で「付き合ってやってもいいぜ」的な告白ができて快哉をあげるのだけど「ごめん、好きなひとがいるんだ」できっぱり断られてすこし大人になるジャロンくん……あるかもしれない。