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キィ5 ひみつ


「センセ」

「あぁ、キィですか、どうかしましたか?」


 夕食も済ませた夜半のころ。

 書斎で本を広げていたアカに、控えめな声でやってきたのキィだった。

 お風呂上がりなのか、キィは既に髪を下ろしてパジャマ姿。だいぶんラフで、はしたないとは言わないまでも危うく思ってしまう。


 ……あまり淑女がそういう格好で男性に近づくのは、と注意をしようとして。


「センセ、あのね」

「……はい」


 先んじて素早くキィはアカの傍まで早足で寄って来ては顔を近づける。

 それだけでアカは言葉を失い、咄嗟に身を引くも、むしろキィはうれしそうにずいと接近。少女の吐息が耳元まで迫っている。

 さらに引けば妙な体勢になる、アカは誤魔化すように。


「キィ、話があるのでしたら、椅子に座りませんか」

「んん、そうだね、そうする!」


 提案を受けれればすぐに近くの椅子を持ってきて、アカと膝を突き合わせるくらいの間合いに置いて座る。

 やはり距離が近いと思うが、こちらが離れてもまた先程のようにその分だけ詰められるのだろうという予測は難くない。


 やれやれと思いながらテーブルの書を閉じて、すくそばのキィと顔を向かい合わせる。

 キィはにこにこと笑っていた。


「それで、どうしましたか?」


 キィの話好きはいつものことだが、この時間帯にわざわざ訪ねてくるのは珍しいように思えた。

 いつもと違う行動は、いつもと違うなにかを言いたいからではないのか。

 なにか困りごとでもあったか。そう思い至れば、近くで話そうとするのも内緒話のような風情に感ぜられ、より親身に会話しようという意図なのかもしれない。


「学園でね、友達と話してて話題にあがったことなんだけど」


 切り出しは、構えた割には穏当である。

 すこし拍子抜けした感情が露見してしまったか、キィはむっと口を膨らませる。


「センセ、ちゃんと聞いてよ?」

「はい、すいません、わかっています」

「もー。ほんとにだよ?」


 機嫌を損ねてしまったか。

 アカは急きょ真剣な表情を面に貼り付ける。

 眼差しだけで話を促す。


「その、友達の子なんだけどね? 彼女、恋人がいるんだけど」

「はっ、はぁ」


 なんだろう、自分が関わるべき話題とはとても思えないのだが。

 思いながらも顔つきだけは変えずに親身に聞いているという風情を保つ。

 キィの言葉は続く。


「その恋人に、ひとつ、どうしても言えないことがあるんだって」

「……」

「言ったら嫌われるかもしれないし、なにより言っても迷惑なだけ。そういう、ひみつがあるんだって」


 秘密、とアカは重要な部分を切り取り呟き返す。

 茶化すような話ではないと察する。


「これって、恋人として誠実なのかな? やっぱり全部正直に話すべきなんじゃないかな?

 そうやって迷ってたんだけど……センセはどう思う? 正直が大切だって思う?」


 すこし言葉を止めたのは、キィの声音が思いのほか深刻そうに彩られていたからだ。

 安易に正論めいた耳障りのいい言葉を並べることは望まれていない。

 上っ面ではなく内心の、アカという心からでた意見を聞きたいと言われている気がした。


「すべて自らの事情を詳らかにすることが誠実とは限りません」

「そうかな」

「そのお友達の心境や状況を知りませんので少々言い方は悪くなりますが、それは秘密を抱えることの重みに耐えかねているとも思えます。

 隠すという行為がつらくて、ただ吐き出して楽になってしまいたいと、そういう風にも考えられるのではないでしょうか」


 吐き出されたほうが迷惑するとわかってるのに話してしまうのは、誠実そうに見えて、ただの我が侭である。

 だって最初に答えはでているだろう。


 ――言っても迷惑なだけ、と。


 それが自分への言い訳や保身からくる建前でないとするのなら、相手のためにと秘密を明かしたい気持ちのほうこそが言い訳や建前であろう。

 隠すことにもまた労力がいるし、覚悟がいる。それでも隠そうとするのは、やはり相手を慮っているからではないのか。


 キィは納得しない。感情任せにでもと告げる。


「でも、相手のこと、大好きなんだよ?」

「……」

「ひみつにしてることがあるってだけで辛くなるくらいに大好きで、誰にもずっと隠してたことを明かしてもいいって思えるくらいに大好き。

 そういう思いを我が侭で済ませちゃうのは、悲しいよ」

「……そうですね、言い過ぎました。申し訳ありません」


 アカが必要以上に辛口に述べたのは、わずかな懸念を無意識ながら感じ取ったから。


 ――この話は、キィのことなのではないのか?


 キィには隠し事がある。

 学園において、幾つか友達にも話せないような秘密を抱えている。

 かつての呪いのこと。師の素性。

 それが彼女の負担になっていないと考えるのは浅はかだろう。


 話してしまいたくなるような、大事な友人に巡り会えたのかもしれない。


 もしもそうならば、もちろん、アカとしてはキィの裁量に任せる。

 彼女がよしと思う人物ならば、彼女が構わないと思えるのならば、打ち明けてしまえばいい。


 けれど同時に、しっかりと重みを認識して告白してほしいとも思う。


 キィの持っている隠し事はとても重大で、覚悟もなく暴露すれば互いに火傷では済まない。

 後悔してほしくないのだ。

 するとしても、事前にその可能性を納得した上で、後悔してほしいのだ。


 キィには、逆境のあとにも笑っていてほしいから。


「それで話を戻すと、センセは大切なひとにも、ひみつを隠しておくほうがいいって思うんだね」

「それがよりよいのなら」


「――だから、センセはわたしになにかを隠して話してくれないの?」


「っ」


 あぁ。

 そうか、そちらのほうか。

 キィの見据えていた本筋に、そこまで言われてようやく気が付く。


 キィのことではなく、これはアカのほうか。


 優しいキィは遠まわしにアカの秘密主義を非難していたのに、当の本人はまるで気づかずいるもんだから、思わず直接的な言葉が出てしまったか。


 自らの滑稽さに、アカは自嘲の笑みを浮かべる。

 すると途端、キィは慌てて両手を振る。アカがなにか勘違いしたと察した。


「あ、違う、ちがうよ? センセに無理に話してって迫ってるわけじゃないの。ただ、どうして話してくれないのかなって悲しかったから、理由をね、聞きたかったの」

「身勝手ばかりで申し訳ありません」

「センセ」


 すこし言葉には怒気が混じる。


「謝るのはやめて。センセに謝ってほしいなんて思ったこと、一度もないよ」


 何年間も共に過ごして。

 魔術を教えてもらって。

 些細な口争いだってして。


 それでもそんな風に消沈して謝ってほしいなんて思ったことは一度だってない。


「そういう意味ない謝罪って、それこそ自分が楽になりたいからとりあえず言ってるだけなんじゃないかって思っちゃうよ?」

「まさしく然り、ですね。肝に銘じましょう」


 キィにしては痛烈な皮肉。

 甘んじて受け入れ、けれど謝るのではなく反省を。


 キィは笑う。


「んーん、だいじょうぶ、わかってるよ。センセはいつもわたしたちのことを考えて謝ってくれてるんだよね?

 そして、わたしたちのことを考えて、ひみつにしてるんだよね」

「それは……」

「でもねセンセ」


 キィは顔をさらに近づけて、額に額をこつんとぶつける。

 一番近くで伝えた言葉は、一切の誤謬もなく心をそのまま伝えてくれると信じて。


「でもわたしは、やっぱり全部うちあけてほしいっておもう。それでわたしに迷惑がかかってもぜんぜんいいよ。

 だって、隠してるのが辛いなら、明かさないとずっと辛いんだよ? 隣にいる大事なひとがずっと辛いなんて、わたしがいやだ」

「……どうせ痛みを受けるのならば、せめて相手の苦痛を減らせるほうを選びたいと」

「あとで迷惑になっても、耐えかねちゃうことになっても、でも、話してくれた時はきっとわたしはうれしいよ!」


 アカがキィにそれを望むように。

 キィだって、アカには笑ってほしいと願っているのだから。


「あぁ、まったく……」


 常ならぬざらついた声音は酷く小さく、間近のキィをして聞き違いかとさえ思えた。

 少女の輝きにあてられて、随分と自身の矮小さを照らし出されてしまった気がする。


 この屈託のない笑顔に、小さなアカは一体どれだけのことをしてあげられるのだろう。


 抱えた秘密を打ち明けることだって、別にアカとしてはどうということはない。

 ただ、しかし。

 どうしても先に終わらせておきたい因縁がある。


 アカは額を離すことなく目を合わせる。真っ直ぐ、キィを見つめて話しかける。


「いずれ必ずお話しします。

 ただひとつ、決着をつけねばならないことがあるのです。

 それさえ済めば、なんなんりとお話しさせていただきますので、どうか」

「わかった。待つよ」


 あっさりと、キィは頷いた。


「だいじょうぶ、信じてるから」


 ただ誤魔化すために言い訳を並べているわけがないと。

 本当になにか話すに困る事情があるのだと。

 そして必ず遠からず、話してくれるのだと。

 キィは、信じてくれている。


 この不誠実な師への信頼がなによりうれしくて、アカは万感の思いをこめて言った。


「ありがとうございます」



「……ぁ」

「?」


 すると、そこで急にキィは顔を朱に染め、電光石火の勢いで距離を離す。

 我に返ると、この接近は恥ずかしすぎた。

 あわあわとふためいて、もごもごとなにか言葉を選んで、けっきょく。


「じゃっ、じゃあ待ってるから! それだけ! もう今日は寝るから、おやすみ!」


 早口でそれだけ告げて、キィは酷く慌ただしく書斎を出て行った。

 残されたアカは、なにかまずいことでしてしまったか、としばらく腕を組んで悩むのだった。


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