シロ4 信じるという難儀
「今日はどうしましたか、シロ」
いつかのように夜も更けて久しい頃、ダイニングにて一服する者を検知。
階段をおりてドアを開ければ、待ってましたとばかりにシロがふにゃりと笑う。
やはりホットミルクを差し出され、アカは礼を言いつつ隣に座る。
シロは横目でそれをちらと見ながら、足をぶらぶらとさせる。
「きょうはー、あれじゃ、あれ。ええと」
「……」
今度は頭をゆらゆらさせながら悩むのを眺めながら、アカはミルクを一口いただく。
その間に思い出したのか、シロは手を打つ。
「そうそう。こないだのー、学園での騒動じゃ。あれ、詳しく聞いてええ? シロが寝ちょった間の出来事、ちぃと教えてくれんか」
「構いませんよ」
会場中の人々を眠りに就かせ、さらには夢を操っていたせいで、シロは実はそれ以降の顛末についてあまり把握していない。
アカは自分の見聞きしたこと、弟子らに聞いたことを含めてすべてゆっくり語りだす。
キィの赤魔術師打倒。
アオの学園教師の紫魔術師打倒。
クロの緑魔術師打倒と魔術の成功。
そして、アカの塊坤のバルカイナ捕縛。
あれこれと細かい部分まで語っていると、いつの間にやらカップのミルクがなくなっていた。
「へぇ、いろいろあったんじゃねぇ」
「あなたのおかげですよ。ありがとうございます」
シロが人々を眠らせて、空白の時間を作ってくれたからできたこと。
彼女の尽力なくば、もっと混乱して被害が拡大していた。最悪、アカの正体が広く露見していたかもしれない。
目立って主級をあげたわけではなくても、彼女は陰の功労者と言って間違いない。
「えへへ、もっと褒めたってええよー?」
嬉しそうにはにかむシロに、アカはできるだけ優しく髪を梳いてやる。
くすぐったそうなくせにじれったそう。自らアカの手に頭を押し付けてもっともっととせがんでくる。
頭を撫でるのは女性にとってだいぶ馴れ馴れしい行為であるから節度をもて、と苦々しく言い含めた当人は、それをとても好んでせがんでくる。
それはどこか矛盾のように思え、けれど遠慮する間柄にはないという言外の主張であるとすると無碍にできようはずもない。
子猫のようにじゃれつかれ、なつかれるのは、アカだって満更ではない。
心が暖まっていくのを感じて、だからこそ冷めた一面が浮き彫りになることもある。
「……」
ふと手が止まると、シロは不満そうに見つめる。
アカは愁うような眼差しだった。
「しかし、本当なら、私がひとりで解決してしまいたかった」
「……」
「私の空間では、他者をマーキングしていない地点に跳ばすことはできない。連続で使用することもできない」
彼の心図が「自分」という定義であるため、少々他者への付与が難しくなっている。
ほとんどの術においては誤差の範疇であるが、高難易度の空間魔術については多少なり影響を及ぼす。
そしてインターバルを開けなければ連続して扱えないのは、もはやそういう才能の形をしてしまっている。
三天導師などと持て囃されても、その才気には限度があった。
できないことが、幾らでもあるのだ。
そしてそんなアカの力量不足は、大切な弟子らの尽力をもって補われた。
「そのせいで、アオやキィ、クロを危険な目に遭わせてしまった」
なにが三天導師か。
今回の事件だって弟子たちにおんぶに抱っこでなんとか解決したに過ぎない。
自分ひとりですべてを終わらせるような全能にはなれない。
無性に落ち込むアカに、シロは不服そうに唇を歪める。
「……せんせーは」
「? はい、どうしました」
「せんせーは、傲慢じゃね」
「う」
端的に、ずばり斬られる。
なお重ねて言葉の刃で滅多斬り。
「欲張りで独りよがりで、どうしようもないくらい身勝手じゃ。さすがは魔術師の天じゃと感心するわぁ」
勝手なのは、魔術師としての本性。
その身勝手さ故に世界を歪め、そして自らを天に押し上げんと駆け上がる。天へと至り、その足下に敷く誰も彼もを見下ろす。
ならば赫天のアーヴァンウィンクルとは、どれほどに我が儘なのか。
「みんなのがんばりを無視してひとりで落ち込んで。
自分の強さを鑑みずに無意識で魔術師全体を雑魚扱い。
赫天サマはすごいねぇ」
「……あの。そこまで言わずとも」
物凄い皮肉な言い様に、アカはなんだか弱ってしまう。
特に、シロからそのように言われてしまうと耳を塞ぎたくなるほどに痛いのだ。
すっと手が伸びる。
アカの両頬を、小さな手が包む。真っ直ぐと逸らせぬように顔を突き合わせる。
澄み渡るシロの銀瞳は、間近で見ると本当に吸い込まれそうなほどに綺麗。まるで夜空に煌めく星々か月のよう。
「せんせーは、人間なんじゃろ?」
「……」
「三天導師だって、人間に過ぎんのじゃろ? せんせーがシロに教えてくれたことじゃ」
魔術はなんでもできるわけではない。
魔術師は万能ならざる可能性でしかなく。
三天導師といえども、人間に過ぎない。
確かに、そのように発言した覚えはある。
わかっている、その自覚をもって日々を生きている。けれど、それとは別のところでアカにも譲れないものがある。
「ですが、あなたがたは私の弟子です。私は、あなたがたの師です。その逆境を許すわけにはいきませんし、危機を招きたいとも思いません」
「ほうじゃね。でも、そういう危機が一番の躍進を生むもんじゃろ」
「……それは正しいかもしれませんが、だからと言って――」
シロは両手でアカの頬を押さえ込んで言わせず。
「ぬくぬくと過保護に育てられて、ずっとずっと大切にされて……そりゃ心地いいじゃろね。けど、いつかせんせーから離れる時に、あの子たちはどうなんじゃろうね。
暖かな庇護から離れて、急にせんせーのおらん厳しい場所に放り出されて。そんなん、ダメじゃろ。というか、それがわかっとるから学園に通わせとるんじゃろ?」
学園に通わせている理由のひとつが、自身の教えの根底にある甘さを自覚しているからこそだ。
やり直しのきく程度のピンチは成長の糧であり、強敵は自らの限界をあぶり出し試行錯誤を加速させる。
危険から逃れ慣れるということは、危険への対処経験に不足するということ。逃れられない状況下に陥ったときに、どうにもできないのだ。
逆境の経験のない魔術師など、短命だ。だからこそ、師という庇護者がいるうちにこうした危機に接しておくほうが長い目で見れば長く生きる。
「今さらになってそれを後悔しとったら、ダブルスタンダードってやつじゃろ」
「その通りです。ですが危険の度合というものがあるでしょう?」
今回の一件はこれまでにないほどの命に切迫していて、だからこそアカは思い悩んで。
けれどシロはあっけらかんと言う。
「問題なく解決できたけぇ、それでええじゃろ」
「それは結果論……」
「結果論かいの? できるって、信じたから頼んだんじゃないん?」
「む。それは……」
「じゃあ、大丈夫じゃ。なあ? せんせー、ひとを信じるのは辛いじゃろうけど、信じて欲しいいうひとの気持ちも、汲んでやらにゃいけんよ」
「……シロに口では敵いませんね」
アカの本質を見抜かれている。
アカの本性を見破られている。
すぐ傍で見るシロの笑顔に、アカはまるで勝ち目がない。
「申し訳ありませんでした。全てひとりでやろうとするのは、私の悪癖ですね」
「そうそう」
全肯定されて、アカとしては肩を落とす。ちょっとくらい否定してほしかった。
師のそんな心の機微を把握しつつも無視して、手を離して身を翻す。背中でアカにもたれかかり、その体重を一切預けてしまう。
急な行動にすこし驚くアカに、シロは首だけで振り返って下から見上げる。
「せんせーがそんなんじゃ、シロらもちぃと自信なくすじゃろ」
「……そうなのですか?」
「うん。せんせーに頼られるくらいの自分っていうんは、ものすっごく自信になるんよ。それが欠けとるから、せんせーに頼られん情けない自分ちなってまう」
師に認められない弟子は、自らを認めてやることもできない。
「……」
それは、アカには思いもよらなかった心の動きだった。
自分が弟子を信じていないから、弟子が自らを信じられない――そんな風に、考えたこともなかった。
気づきに心揺れ、上手くそれを飲み込めないでいるアカの内面を、シロは読み取って。
「じゃけぇ、せんせーはもうちっとシロらを信じんちゃいね? いーい?」
「……努力します」
なんとかして返した言葉に、シロはふにゃりと笑った。
「うん。それでええ。歩み寄りは、ゆっくりでええよ」