39 塊坤のバルカイナ
「っ」
得体の知れない感覚が、バルカイナの全身を包みこむ。
それは、間違いなくこの目の前の白い青年から発されたなにがしかであるはずだ。
だが、それがなんであるのか、バルカイナにはわからない。
ただ強者であるが故の威圧感なのか――否、この異質な感覚は、自らを定規として計っても強弱という枠組みでは当て嵌まらない。
人間一個が比較するから強いだの弱いだのと論ぜられるものであり、大自然を観測して強いと表現する者はいない。
だから、大きいのだろう。
まるで山のように雄大で、海のように底知れず、嵐のように鮮烈。
ただひとつの生命から感じるにはあまりに過大すぎる暴力的な印象がそこにはあった。
まるで破滅を背負った竜が折り目正しくお辞儀したような異様さ。
まるで大規模な災害が笑顔で握手を求めてきたような異常さ。
――それは、ただ魔力の隠ぺいを解いたが故の魔力圧。
ただし、バルカイナの魔力感覚機能が検知できる規模を超えてしまって、もはや理解に届かない領域の、だ。
これは一体、なんなのだ……?
この青年は、誰なのだ……?
「あなたは、自らのことを未熟という」
理解不能のなにかは言う。
「けれど、あなたはあなた以上に未熟な子らをその手で蹂躙するという。それは、他者を見下しているのとなにほど違うのでしょうか」
「なにがいいたい」
寸刻以前まであった余裕は消し飛び、冷や汗さえ流しながらも、バルカイナは言葉の上だけでは強気に。
アカはあくまで無感情に淡々と。
「力で物事を解決しようとした時、それは同時に、さらなる力に襲われ得ることを許容しなければなりません。
まさか……あれだけの大量虐殺をなそうとしながら、そんなありふれた理屈を想定していないはずがありませんよね。
――私があなたへの理不尽です」
「っ!」
言葉もなく、バルカイナは魔術を執行していた。
その時に覚えた感情は、偽りようもなく恐怖であった。
黄の魔法陣が刹那で編み上げられ、弾丸の速度で礫が百ほど射出される、まるでホウセンカの如く。
造形魔術なのに高速で、一発一発が人体を粉砕して余りある威力を誇る。
それが塊坤のバルカイナの牽制攻撃。
かつん。
と、アカは錫杖を鳴らす。先端の輪が揺れ動いて流麗な金属音を鳴り交わす。
展開した魔法陣の色は藍色。
礫がアカに届く前に、通過経路に置かれた魔法陣にぶつかって消失する。
だがそのころにはアカの真上に黄色い魔法陣が煌めく。
至近距離から巨岩が造形されて、完成しきる前にはアカを圧し潰さんと――
対抗魔術。
あっさりと、見向きすらせず魔法陣ごと巨岩は消え去る。
「!」
そんなにも容易く消されるような魔術ではなかったはずだ。膨大な魔力と精密な術式、対抗魔術対策まで組み込んだ術だったのに。
素晴らしい魔術――だがバルカイナは止まらない。
驚愕も恐怖も、彼を押し留めることはできやしない。
対抗魔術にも弱点がある。
それはひとつひとつに多大な集中力を要し、複数同時に発動が他の色相より一層困難ということ。
対抗魔術を得意としてこちらの攻撃を潰していくつもりなら、こちらはそれを数で押し通る。
瞬間で、バルカイナは五枚同時に魔法陣を展開。
多角的にアカを狙い、それぞれから速度と破壊力を極めた岩石を砲弾として飛ばす。
「……」
アカはほんの僅かに目を細め、杖を揺らす。円環を鳴らす。
展開した魔法陣は、バルカイナの予測どおり三枚と、こちらのそれよりも少ないようだった。
しかし、予測した色とは違う――空間魔術。
視認すら困難な高速射出の岩の砲撃を正確に観測し、紫色の魔法陣が射線を塞ぐ。
そして岩が魔法陣に触れると同時、それは空間を跳び越えた。
転移先は――別の岩の砲撃の真正面。
「なっ」
五つの砲撃は、そのふたつを別のふたつに相殺するようにぶつけられたのだ。
同威力の魔術が正面衝突したとなれば、当然に互いを滅ぼし合って消え去るのみ。
さらに、残るひとつの転ぜられた飛来する岩の砲弾は――バルカイナの正面に現れ出でる。
「くっ!」
激突する、そのほんの直前で岩はほつれて消えた。
バルカイナの作ったものであるため、ギリギリで自壊破棄が間に合ったのだ。
直後、バルカイナは自らの足下に魔法陣を敷く。二重。
上下の魔術はともに自然魔術。
同時に発動――轟音を伴って爆炎が時計塔を襲う。その威力は凄まじく、高い塔をも瞬くまに瓦解させ、アカは空中に投げ出される。
一方でバルカイナはもう一枚の魔法陣より発生し続ける弱い斥力をもってなにもない虚空を浮遊する。すこし上昇したところで立つ。
無論、このままアカが落下して死亡するだなどという安穏な思考はバルカイナもしていない。こんなのは時間稼ぎ。
落下する彼と上昇する我――できるだけ彼我の距離をとりたかった。
その合間にてバルカイナは自らの杖を放る。
杖は未だ発生する足元の斥力に影響され、落下せずにバルカイナの正面で停止。
「――」
魔術師の杖は用途によって多様な機能をもっている。
たとえば、術式を一部書き込んでおいて発動速度を高めたり――なんてことも可能である。
そしてバルカイナの所持するそれは、国一番の杖職人が作り上げた最高級の杖であり、その用途は術式の加速にある。
杖には月位九曜の――塊坤のバルカイナが時間をかけて丹念に精密に術式を刻みこんである。特に彼の代名詞たる必殺の魔術の発動速度を限界まで短縮してくれる。
その上で。
「自壊せよ」
さらに無理矢理の加速を求め、バルカイナは杖に自壊を命ずる。
杖の限界許容量を遥かに超えた魔力を注ぎ込み、本来なら順次解決する処理を焼き切れるほど一斉に叩き込む。
それにより杖は二度と使い物にならなくなるが――次の一撃、一回限りにおいて彼の切り札の魔術は通常の四倍の速度で行使が可能となる。
実戦で敵が対面した状態ではとても使えないような巧遅魔術であっても、ここまでの加速をもってすればなんとか間に合う心算。
だが落ちていくアカはどうか。
バルカイナは急ぎつつも地上を見遣れば――
「な……っ!?」
術式制御を取りこぼしかねないほどの驚愕を見る。
それは――無傷の時計塔に立ち、こちらを見上げるアカの姿。
破壊したはずの時計塔が、まるでなにごともなかったかのようにそこには存在していた。
時間が巻き戻ったかのように――違う。
通常の物質と違い、造形魔術で作った物質は一定時間の間だけ魔力残滓が観測できる。
黄の九曜たるバルカイナにはそれがわかってしまう。
つまり、バルカイナが崩壊したのを確認してから、僅か五秒にも満たない目をそらしていた隙に、彼が造形魔術によって時計塔を造形してのけたということ。
あの巨大質量を。
あの複雑構造を。
そんな絶技、当代最高の黄魔術師ですら不可能だ。
ならば、それを為しうるのは――
「っ」
雑念を振り切る。
並みの魔術師ならば術式の構築途中にそんなものを見せつけられたら集中を乱して、術式が有耶無耶になっていただろう。
だがバルカイナは、ある意味で最も大きな衝撃を受けたはずの彼は、それでも術の構成を僅かたりとも揺るがせない。
彼は見かけ通りの老練にして老獪の魔術師、巌の如き堅牢なる精神を誇る。
そして
「――我が『塊坤』を受けよ」
その魔術は完成する。
魔術を消滅させる巧妙な対抗魔術であろうとも。
害あるものを退ける見事な空間魔術であろうとも。
全てを破壊してしまう強烈な破壊魔術であろうとも。
破壊したものを即時に作り直す凄絶な造形魔術であろうとも。
関係ない。
全てを飲み込み圧し潰すその膨大無比なる質量には。
二発目の――天を塞ぐ巨大な岩塊。
再び全てを平らにしてしまわんと降下してくるそれは、先よりさらに地上に近く造形された。
その圧迫感は筆舌に尽くしがたい。もはや触れずとも潰されているとさえ思えた。この最も高い時計台はその風圧に、端からまた崩れていく。
崩落していくその舞台において、しかしアカは不動にその赫い眼光をギラつかせる。
「――それは先ほど見ましたよ」
不意にアカは手に持った錫杖を手放す。それと同時に錫杖は掻き消える。
代わって空いた手を躍らせる。魔法陣を展開する。
その色は――藍色と赤色の混色魔術。
「対抗魔術は対象の魔術を知れば知るほどにその分解能力を向上させる。一度消した魔術に後れを取りはしない」
さらに、添えられた生命が対抗魔術を強化させる。
生命充填という。
生命魔術における高等技法であり、他の色相魔術に織り交ぜることで威力や効能をブーストするというもの。
それを、赫天のアーヴァンウィンクルという導師がなしたのならば。
あらゆる魔術を至高の術と昇華させ得る。
おそらく対抗魔術単体では消滅に少々足りなかったはずのそれをも、極限昇華。
結果。
黄の九曜たるバルカイナ、その切り札の魔術『塊坤』すらも、まるで風に吹かれた煙のように消えてしまう。
もはや結果を見るまでもない。
アカは、にっこりとバルカイナに笑いかける。
もちろん、バルカイナに笑い返す余裕などあるわけもない。
「な……っ、ばか……な……!」
動揺し切ってしまって、当然に次の挙動には間に合わない。
いつの間に、バルカイナの足下には赤い魔法陣が発生している。
「ちなみに私、生命魔術が最も得意でしてね……名前の通りでしょう?」
そして、そんなおどけた言葉を最後に、バルカイナは糸の切れた人形のように全身から力を失った。
当然、斥力の魔術も維持できず落下、屋上に身を打ち付けて立ち上がれない。
それは生命魔術による急激な弱体化作用。
いくら強大な魔術師でも肉体的には老齢、抵抗の間もなく強制的な身体能力低下をされては立ちあがることすらできない。
「大人しくなったところで、私の話を聞いてもらいますよ、塊坤のバルカイナ」