36 紫魔術師シシド2
先手をとったのはアオ。
手のひらに青い魔法陣が開き、掴み取ったのは雪玉。
「『雪遊び・雪玉』」
名を告げながら全力投球。
雪玉は雪玉を作るだけの魔術。射出をする手間を省く分だけ素早く作り出せ、かつ低燃費だ。
代わりに投擲しなければならないが、アオの身体能力ならば充分に脅威の投球になる。
しかし煙草をくわえたままで、シシドは身動きひとつしない。
ただ紫の輝きが刹那だけ光り、門が開く。
雪玉はその門に呑まれて消えてしまう。
「……それが入門ってやつか」
シシドの魔術は入門と出門と呼ばれる空間の通ずる二対一つの門を展開するものだ。
入門に触れると出門へと距離を無視して移行するという空間魔術である。
それは、彼の講義で教わったことだった。
「そういえば、俺の魔術については講義したんだったかね……では、それが出門だ」
「へ……?」
アオの後頭部に衝撃が走った。
ぶつかったそれはすぐに砕け、粉となって散っていく。雪の塊だった。
「っ、あたしの雪玉か!」
「講義でも言ったな。空間魔術による転移先を敵に向けることで自滅を誘うこともできると」
「先生ぶるなよ」
再び雪玉を作り、両手で握る。
左を空高くに、右を握ったままで駆け出す。接近する。
「紫魔術師相手に近接はよくないと――」
「言われたさ。わかってるよ!」
それは空間魔術によってアオそのものが転移させられ――空の上にでも飛ばされたらそれで墜落死してしまいかねないからだ。
だから紫魔術師相手に近接するのは他の色より危険が大きい。
承知の上で走る。
シシドはやはり動かない。動くための労力や集中力を切り捨て、魔術の制御にのみ全霊を注いでいる。
門は三つ開く。
空から山なりで降り落ちてくる雪玉の防御にひとつ。
アオの眼前にひとつ――それは咄嗟のステップで回避され。
「っ」
回避したその先に、他より遅れて広く開いた門が待つ。
完全に身を投げた絶妙のタイミング。
これを体捌きだけで逃れる術はない。ここで急制動をかけても勢い余る。
「かまくら!」
それがわかっているから――自らを止めるための壁を作る。
『雪遊び・かまくら』は文字通り簡易小規模のかまくらを作る魔術。アオの身をかまくらの壁が押しとどめてくれる。
「ぐ」
結構な勢いでかまくらの壁にぶつかるも、その程度ならマシ。すぐに移動する。直後にかまくらは門に飲まれ半壊した。
向き直ると――シシドがいない。
慌てて意識を集中し魔力を探る。
発見、見上げる。学園校舎、その三階教室からシシドはこちらを見下ろしていた。
さっきの間に転移して逃れていたのだ。
「しかしよく戦う、生徒アオ」
「あぁ?」
「その魔力量、本当に桁外れだな」
つい今しがたの話だ――アオがあの塊坤の魔術に食い下がり、膨大な魔力を消費したのは。
「見たところ先の雪の柱、あれは他の生徒たちでは数十人ほど干物にしてなんとかできる芸当に思えたが……生徒アオはどれだけの魔力を保有しているのだ?」
「さぁね。すごく沢山だよ」
「そのようだ」
シシドの挙動と同時に、アオはその場から跳び退く。
門が空間を食い破って現れて――虚空を呑むようにして走る。
「ちょっ、それ動くのかよ!」
「止まったままではちょこまかと動き回る対象を捕まえられない」
「そーかよ」
けれど動くと言っても既定のルートを二メートル前後と言ったところ。複雑には動かないし速くもない。こちらを追うのではなく移動経路を先に術式に決めてあるようだ。
動かないものと考えていれば不意を討たれるが、動くかもと警戒していればなんとか逃れうる。
これまでの戦闘からしてシシドの同時に門を開ける数は三。
……と見せかけてもうひとつくらいならできそうな余裕は見える。
キィという例外をつい先ほど見た手前、勘違いしそうになるが、三枚同時展開でも優秀だし四枚できたら驚愕すべきだ。けれど、驚いて捕まってしまえば敗北なので備えておく。
空間魔術だけを警戒するのも甘いだろうか。先ほど煙草の火を熾すのに自然魔術を使っていたし、他の色もおそらく扱える。
相手の手札を予測しろ。
戦闘中に驚くというのは隙を晒すのと同義。
だからできるだけ相手の行動を予測しておき、予想外を潰していく。それはアカから学んだ負けないためのこと。
逆に勝ちに行くための思考――攻めるために厄介なのは建物三階分の距離を置かれたことだろう。
すくなくとも格闘の接近戦は封じられたし、遠くから魔術で撃っても着弾前に空間魔術で対処される。
距離を詰めるか、なにか防御を抜ける手立てを思いつかねばならない。
「頭パンクしそー」
「降参ならば受け付けている」
「誰が!」
「そうか」
ならばとばかり、シシドはパターンを変える。
門はそこで追走の動きを取りやめた。代わって、アオを囲うように移動する。
「っ」
直後、火球が門より現れる。
門で捉えることをあきらめ、自然魔術を門越しに撃ち込んできたのだ。
一番の違いは術の速度と、なにより危険度の明白化。
攻撃だけを念頭に置いた自然魔術の火球は当然、速い。
アオでもとっさに防御は間に合わず、転がるように態勢を崩すことでなんとか回避したくらいだ。
そして、火である。
アオの得意な雪を溶かし、寄るだけで火傷しかねないような高火力。実戦経験の低いアオは多少なり萎縮してしまうのも無理からぬこと。
火球は次々と撃ち込まれる。
射出口が動く門であり、それは見た目の上では暗黒の亀裂でしかない。発射のタイミングや射角が予測しづらい。しかもゲートは三つあり、どれから攻撃が来るかもわからない。
「それなら!」
『雪遊び・かまくら』により全方位をガード。
しかし。
「ジリ貧だな」
火球は動かないかまくらに一斉に。何発か受ければ雪は溶け、防御は崩れ去る。
「わかってるよ!」
その直前にアオはかまくらから飛び出す。集中砲火は、同時に他に手の回らないということ。
火球がかまくらを破壊するこの瞬間だけ、アオはフリーだ。
即座に右手で雪玉を投げつける。投げ込んだ先には――火球を輩出している門。
「そっちがこっちに届くなら、こっちからそっちにも届くでしょ!」
「落第点だ」
間髪入れずに切り捨てられる。
そんな反撃はわかりやすすぎると。
門から出てきた雪玉はシシドにあたるような角度にはない。明後日の方向に飛んでいき、教室の壁を凍り付かせるに終わる。
「だが、一目で攻略法を見抜き、自らの発想を信じて飛び込む胆力は素晴らしい」
「上から目線かよ」
「物理的にな」
「笑えない……」
当たり前のように対策の対策をとっている。
攻撃方法に慣れを与えないよう切り替えてくる。
流石に場慣れしている。アオの一枚も二枚も上手だ。
歯噛みしているアオだが、その身のこなしとセンスにはシシドのほうだって感服している。
この圧倒的に有利な戦況でも押しきれないで粘れているのは、それだけで賞賛に値する。負けを予感させる。
だから、出し惜しみはしない。
「では次だ」
「何パターンあんだよ!」
「安心しろ、奥の手だ」
「なにも安心できないな!」
途端、シシドの魔術が一斉に解けて消える。
代わって彼のいるところから強い魔力が吹き荒れだしたのが検知できる。
宣言通り大技をだすつもりだ。
やばいとアオは思案を走らせる。
敵が魔力集中をしている溜め。今が攻め時なのだが、三階分の断絶がどうしても一足飛びにはできない。
紫魔術師を相手取ると、ほぼ確実に地の利は奪われる――アカに教わったこと。こんな時に痛感したくはなかった。
ともかく急いで距離を詰めることが先決と一気に走る。全力疾走だ。
これまで動作中に急に目の前に門を出されたらと警戒して、すぐに回避できる程度に速度に制限をかけていたのだ。
だがことここに至ってはなりふり構っていられない。
アオは校舎の壁に足をつけ――自然魔術『雪遊び』。
右の足裏に雪を作り、即刻で凍り付かせる。左足を一歩、上につけて壁面と凍らせ接着。すぐに右の凍りを消して一歩上へ。
それを高速で繰り返し――壁面駆け上り。
優れた魔術制御と解除の手際、なによりも身体能力があってこその荒業だ。
だが無論、それで到着するよりも――シシドのほうが一手早い。
「――『門・大渦』」
深淵の門が力づくでこじ開けられる。
「っ!」
それは中庭の中空。
その虚空にて――ふと穴が空いた。
無音で小さくただ真っ黒な、けれど強大な魔力で無理にかっ開いた空間の割れ目。
一呼吸もなく、穴はごく当たり前のように拡大。
そして腹を空かせた獣のように、手当たり次第になにもかもを呑み込みだす。
強力な吸引。それがこの魔術の特性だった。
まるで見えない手に掴み取られたように、そこかしこの全て引き寄せ門にて食らう。
枯れ木が折れて引っ張り寄せられる。張り付いた窓ガラスが砕け散って破片をもっていかれる。地面が削がれて土が飛んでいく。
無論にアオも例外ではない。
咄嗟に動作を止め、壁に両手両足を引っ付けて凍らせて耐え忍ぶ。
けれど。
「ぐっ……ぐぐ……まじか!」
全力で手足を凍らせて、それでも砕けそうになる。身が浮き、体中が痛みを訴える。
なんて吸引力だ。
このままでは凍らせた手足だけを残して腕と脚が千切れてしまうのではないか。
おぞましい想像は――実際に現実と化す前にそれ以前のものが限界をきたす。
ぴしり、と。
石造りの校舎にヒビが走る。
直後に崩壊、あまりに強力な吸引に壁が崩れてバラけて渦に呑まれる。
「くそ」
アオは苦肉を選ぶ。
「『かまくら・屋台崩し』」
それはすこし、特殊な魔術だった。
先のように防御に使うのがかまくらの用途。しかしその応用のこれは、雪で周囲を囲ったと同時に崩す。
そして、アオはその全身が凍りつく。
ひっついていた壁面が崩れる直前で補修するように氷で引き留め、そこに全身でしがみつくようにして身を凍てつかせた。
氷はその浸食を増す。壁から内の教室、そして付近のあらゆるも巻き込んで凍り漬けにしていくことで吸引に対抗する。
食らう暗穴は猛威をふるっている。
校舎の壁より堅牢な氷は、それでも端から砕けて持っていかれるのを、新たにその身から凍らせていくことでカバー。
身を氷で閉じ込めつつも意識はある。その魔術を維持しているのだ。
しかしそれは常に身を凍り付かせるという暴挙。その氷点下において体力は奪われ、意識が霞んでいく。
せめてもうすこし猶予さえあれば自らに害のない雪になるよう術式をいじれたのだが、間に合いそうになかった。
我慢比べである。
シシドの大渦は多大な魔力を消費し続けている。それの長期間維持は現実的ではない。
アオの全身凍らせてのしがみつきは体力を著しく浪費している。それの長期間維持は現実的ではない。
そして――
◇
アオは不満だった。
とても、とても不満だった。
アカはこの場を自分にまかせてくれた。それはいい。
けれどそれはたぶん、にっちもさっちもいかないような――そう、猫の手も借りたい状況であったがためだと、アオにはわかっていた。
アオを信頼して託してもらったんじゃなくて、不安だけど他の手立てがないから仕方なく、頼ったのだ。
それがアオには心底から不満で――自らを許しがたい。
アオは強くなりたかった。誰よりも、強くありたかった。
それは一面、そうすればアカが頼ってくれるかもしれないと密かに期待しているからであり、なにより彼を心配させないでいられるからである。
アカがアオを信頼してくれないのは、アオが弱いからだ。
そんな自分が腹立たしく、なによりも悔しいのだ。
――アカに頼ってもらえない。
――ただそれだけのことが死にたくなるくらいに悲しい。
たしかにシシドは強い。
歴戦であり、賢明であり、有能だろう。
おそらく平時のアオならまず勝てない。十回やって一回、二回の勝利をもぎとれるかどうかといった程度に戦力差は離れている。
けれど負けない。絶対に。
ここで負けたら、この場をまかせてくれたアカに顔向けできない。
仕方なくであっても、頼ってくれた信頼を――裏切ってしまう。
それだけはできない。そんな自分は許されない。
だからこそ――
「勝つ!」
そして――
◇
先に術がその威を失い、消失したのは――シシドの大渦だった。
黒い穴は閉じ、引力はなくなって、中庭に静寂が戻って来る。
直後、アオを覆っていた氷が砕け散る。
魔力が切れて、その術式維持が保てなくなったのだ。
さらに言えばアオの身は完全に衰弱していて、意識も朧気。二階辺りから、そのまま重力に引かれて地に落下した。
「っ……ァ!」
脚から落ちて、そのまま両足は骨折。恐ろしい苦痛に目が冴え、仰向けになって倒れ伏す。
その視線の先を見届けて――壮絶な痛みを堪えて、アオは会心の笑みを刻んだ。
その光景は、幻想的だった。
同時に、彼女以外からすれば深い戦慄を催す光景でもあった。
「ばかな……」
シシドの酷く困惑した呟き声が、地面に横たわるアオにも聞こえてきた。
勝利の確信はしていたが、その声はよりアオにとって笑みを濃くさせるだけの弱弱しさがあった。敗北を認めた者の、声だった。
彼の困惑はもっともだろう。
なにせ――彼は今、全身が凍り付いている。
否。
シシドだけではなく、それどころではなく。
校舎そのものが――その建築物全体が完全に凍り付いてしまっていた。
それはアオの奥の手がひとつ――『雪遊び・冬』と名付けた、大規模広域冷凍封殺の魔術である。
『かまくら・屋台崩し』ののちに、校舎に浸食していった氷結の正体がこれだ。あの冷却浸食は停止せず、むしろ加速して全てを凍らせて閉じ込めたのである。
「なんという、精神力……!」
シシドは感嘆する。
全身を凍らせ、大渦に襲われ、その最中であったというのに防御と同時に攻め込んでいただなんて。
「なんという、魔術制御……!」
シシドは驚愕する。
意識は混濁、身体は冷え切って、魔力も膨大に使って相当の衰弱状態だったろう。それでも術式を正確に構築し、魔力を正しく動員、魔術を間違いなく行使した。
「なんという、魔力量……!」
シシドは、恐怖する。
つい先ほど、塊坤の魔術を押さえた雪の柱。あれは他の生徒たちでは十人ほど干物にしてなんかできる芸当であり。
此度の校舎を丸ごと凍り付かせた魔術、これも同じく生徒数十人分ほどを絞り尽くしてやっとできる規模の大魔術だ。
どれだけ底なしの魔力を保有しているというのか!
「生徒アオ、お前は……ほんとうに」
それは、全身を浸食する冷たい終わりの狭間に漏れ出た、シシドという魔術師の心底からの疑問。
「ほんとうに人間なのか……?」
咥え煙草が、はらりと落ちた。
クロたちがいるのは第一校舎なので、彼女らごと凍り漬けというわけではありません。